血液型コンプレックス
B型 坂東慧編


 自己中だとか、マイペースだとか、全部血液型のせいにされるけど、これは俺自身であって血液型なんか関係ねぇ。俺の大嫌いな幼馴染は「お前って典型的なB型」と言ってバカにする。そんなところが大っ嫌いで、鬱陶しい。死ねばいいと、何度も思っていた。いや、過去形じゃなくて現在進行形だ。今でも死ねと相手に言ってやることは多い。本気で死んでほしいのに、それを真に受けず「あはは、お前、凶暴すぎる」と笑うから、すっげぇウザい。
 やっぱり、死ねばいいのに。
 人の言いなりになるのは嫌いで、命令なんかされるのは、虫唾が走る。それなのに、ただ一人だけ、俺に命令する奴がいた。
「……ほら、何をしてほしいのか、俺に言え」
 この口調が何よりもムカつく。机の上に突っ伏している俺を、上から見下ろす目は、見るだけで凍りそうなほどに冷たい。俺が突っ伏している机の上に座って、口元だけ歪めていた。
「るっせ……、はっ……」
 後ろで縛られて手が上手く動かせない。芋虫のように体を捩じらせると、変なところで刺激が襲ってきて背筋がゾクゾクとしてしまう。下半身だけ裸にされた俺は、首元までしっかり止められたシャツのボタンが鬱陶しくて仕方ない。ネクタイで縛られた手は、どう足掻いても動かすことが出来ずに、腰の上に置かれていた。
「まだ強がる気力はあるんだな。こんな状態なのに」
 長い指が、俺の尻に触れる。コイツの指は、目と同じように冷たくて、触れるだけで反応してしまう。体内に埋め込まれた物を、動かされて、前立腺をそれが刺激した。一つ、声をあげると、そいつは楽しそうに笑った。
「強気で綺麗な顔をしてるお前が、会社でこんなことをしてるって知ったら、周りはどう思うだろうな」
 中に埋め込まれた物を動かしながら、そいつは俺に尋ねる。そんなこと、聞かれなくても分かってる癖に、俺に尋ねてくる辺りが鬱陶しい。こんなことしてるって知れば、周りは俺を偏見の目で見るだろう。けど、俺はそんなこと全く気にしないし、言いたい奴には言わせておいたらいい。だけど、誤解されたくないのは、自分からそうやってるってわけじゃないこと。全ては、コイツのせいだ。
「えい、ぎょうの、課長が、こんなこと、してるほうがぁっ……、頭、可笑しいって、いわれっぞ……、んんっ……」
 バカにしたように見上げると、そいつはクスッと笑って、握っていたそれを思いっきり奥に突っ込んだ。
「あぁっ、あああっ……」
 課長であり、周りからの信頼はどうか知らないけど、仕事が出来る男で有名な相葉颯太は、爽やかな名前とは裏腹にこんな下劣な趣味を持ち合わせている。鬼畜で冷血で、俺を苛めるのが大好きな相葉は、膨大な量の仕事を押し付け長時間残業させた後にこんなことをしてくる。どうして、目を付けられたかって言うと、「強気な奴ほど、組み敷きたい」と変態な趣味を持ち合わせているからであって、俺がどうこうってわけじゃないそうだ。そんな奴にまんまと捕まってしまった俺は、初めて犯された時に、写真を撮られてしまい、仕方なく付き合っていると言うわけだ。
 こんなこと、誰だって好きにはなれない。無理やりだし。気持ち良いっちゃぁ、気持ち良いけど、プライドが高い俺からしたら、こんなのプライドを泥の付いた靴で踏みにじられているようで、イライラする。ましてや、脅されて、ぐうの音が出ない自分もイヤだった。いくら強気な俺だからって、職を失うのはイヤだった。
「奥まで突っ込まれてイったか?」
「イって、ねぇよっ……」
「ローター2つと、バイブ1つをケツの中に入れられても、強気なんてな」
 強気に言い返すけれど、俺の中ではもうすでに限界まで達していた。ドロドロと溶けるような快感は、脳だけじゃなくて、俺の全身を支配していて、あとちょっとでプライドも何もかも捨ててまで縋りつきたくなってきた。毎度のことだけど、強気が屈したところをみたい相葉は俺に容赦ない。射精止めから始まって、ローターを突っ込まれることなんて毎回だし、ローターを突っ込んだまんまバイブを入れられることだってある。今日は唾を吐いたから、ローターを1個おまけのように突っ込まれた。
 強く握っている拳は、痺れて感覚が無くなった。目がトロンとしてきて、快感に負けそうになる。この拷問のような行為が終わるのは、俺がコイツに縋らないと終わらない。早く終わらせたいなら、プライドも何もかも捨ててしまえば良いと言うのに、プライドが許さないせいか、俺はバカの一つ覚えに「死ね、クソ」を連呼して、相葉には極限まで縋らなかった。
「そろそろ、我慢の限界だろう。イきたくないのか?」
「……はっ、だれがっ……」
「楽にしてほしいなら、俺に言え。楽にしてくださいってな」
 眼鏡の奥の双眸が、ゆっくりと細められる。動かされると、ぐちゃぐちゃ自分の中から音がして、それが俺に催眠をかける。相葉の言葉が頭の中をめぐり始めて、枯渇している欲望を満たされたいがために、形振り構わず、縋ろうとしてしまう。
 許さないプライド。楽にしてほしい体。その両方が、俺の頭の中で論争する。
 楽になれ。まだだめだ。楽になれ。まだだめだ。
 けれど、最終的には体の意見が勝ってしまう。この満たされない欲望を満たしてほしくて、俺は相葉を見上げた。
「らく、に、して……」
 呟くように言うと、相葉は俺の前髪を掴み上へと持ち上げられる。重たくなった体は、自分の力では起き上らすことが出来ずに、相葉の掴んだ前髪だけで上半身を起こすことになる。
「言い方がなってない」
 耳元で言われ、俺は唇を噛んだ。楽にして。だけじゃ、コイツが満足しないのを知っている。あくまでも俺はお願いする立場だからと言って、敬語を使わされるのだ。俺からしたら、死にたいぐらいの屈辱だ。
「……楽に、して……、くだぁぁあああっ!!」
 フルに勃起しているペニスを足で蹴られ、大声をあげてしまう。相葉は俺のプライドをズタズタにするためだったらなんでもする鬼畜野郎で、煮え湯を飲ましている最中に上から煮えている鉄をぶっかけるぐらいのことをする。誰かに命令される事を嫌う俺に、命令して、唇をかみしめてお願いをすれば、それを何度も言わそうとする。最後まで言えなかった俺は、また最初から楽にしてくださいと言わされるのだ。
「何だ? 聞えなかったぞ」
「……この、クソ、やろっ……!」
 前髪を掴んでいた手が離され、バタンとそのまま机に顔面をぶつけてしまった。何を思ったのか、相葉は拘束しているネクタイを外して、俺の手を自由にした。
「楽にしてほしかったら、自分でやれ。バイブもローターも自分の手で取ってみろ」
 他人にやられるよりも自分でやったほうがまだマシだ。だから、俺は自分の尻に手を這わせて、尻から出ているバイブを一本抜いた。そのまま壊れてしまえと地面に落とすと、ゴトンと音を立ててバイブが落ちる。もう一個のローターも、簡単に取り出すことが出来た。その調子でもう一つも取ろうと思って、指を中に入れた。熱くなった俺の体内は、自分の指すらも気持ち良いらしく、まとわりついてくる。
「……ふ……、はっ……」
「自分の指にも感じてるのか」
 冷たい声が上から降ってきても、俺は中を刺激しているローターを取り出したくて、指をもっと突っ込む。指の先がローターに触れるけれど、それ以上指が進まずに取り出すことが出来ない。快感で頭の中が狂い始めている今、取り出すことだけしか頭の中に無く、取り出せないことに焦りを感じ始めていた。
 苦しくて、目から涙が溢れてくる。
「くっ、うぅっ……、……ぁっ」
 ぽたぽたと流れ落ちる涙を見て、相葉は楽しそうに笑った。この勝ち誇った顔がムカつく。ムカつくけど、逆らえない。脅されているからじゃない。何でか知らないけど、コイツにだけは最後まで強気で居られないんだ。それこそ、写真に撮られて脅されてるなら、ぶっちゃけ会社を辞めてしまえばいいんだ。それなのに、俺はやめることもせずに、こんな冷血鬼畜野郎にやりたいようやられている。それが悔しくてたまらないのに、甘んじている俺が居た。
「取ってほしいか? なら、言うことがあるだろう」
 相葉が言いたいことは分かっている。俺が全てを捨て切った瞬間が、楽しくてたまらないんだ。俺はコイツの、おもちゃであって、使い捨ての消耗品。
 息を飲んで、相葉を見上げる。一言、言っちゃえばそれで終い。
「……とって、くだ、さい……」
 この一言を言わすためなら、相葉は徒労を厭わなかった。
「利口な子犬になったな」
 ククと、悪役のような笑い声を洩らすと、突っ込んでいる俺の指を抜いて、冷たい相葉の指が俺の中に入ってきた。
「はっ、んぁっ……」
 奥を刺激しているローターが、前立腺に当てられる。相葉の指は、ローターを掴んでいて、自由自在に動かすことが出来る。
「や、ぁっ、やめ、んぁっ、んんっ……」
「イきたいだろ? イかせてやる」
 机にへばりついていた俺の体を起して、相葉は後ろから俺の体を抱えると、前を縛っていたビニール紐をほどきローターを叩きつけるように俺の前立腺に当てた。ずっと我慢していた射精は、解放されたと同時ぐらいに出てしまい、相葉の机を汚した。
 パタパタと飛んだ精液を見つめて、悔しくなる。
 中からローターが抜かれると、苦しい快感から解放されて、ちょっとだけ楽になれた。けれど、どこか喉が渇いたような焦燥感に駆られる。
「……折角、愛野が作った資料を……。お前が汚したな」
「だ、出し直せば、良いだろっ……!」
 わざとらしく机の上に置かれていた会議の資料は、俺の精液で汚れてしまった。白い精液に、インクが滲み、文字がほんの少しだけぼやけていた。これは今日、同じ課に居る1年後輩の愛野が作った会議の資料で、細かく分析されていて見やすい。先週、本人が配っているのを、俺は見ていた。
「明日の会議に使うんだ。どうしてくれる?」
「……今日中に、出し直します。相葉課長」
 嫌味っぽく言った相葉に、仕事モードで返答すると、背後から楽しそうな笑い声が聞こえた。何が楽しいのか分からないが、俺を抱えている体は笑いで揺れている。
「コピーを取っているから大丈夫だ。それに、これを発表するのは大野だからな。俺は関係ない」
 バカにされて、怒りが込み上がってきた。試されているところじゃない。これは完全にからかわれていて、そんなことに反応してしまった俺がバカバカしかった。そっぽを向いていると、復活し始めたペニスを後ろから揉まれ、快感が蘇ってきた。
「お前ばっかり、気持ちよくなられてもな」
「……はやく、しろよっ!」
「じゃぁ、ケツを見せて、自分の指で穴を広げて俺を受け入れろ」
 こんなの拷問どころじゃなかった。いつか、俺はコイツに頭の中をぶっ壊されるのではないかと思った。俺はさっきと同じように机に突っ伏して、自分の尻に指を当てる。こんなこと、誰にもしたことが無かった。昔から男しか好きになれなくて、何度か男の相手をしてきたけれど、俺は常にタチで攻めることしか考えていなかった。生まれて初めて、掘られたのはこの冷血鬼畜眼鏡で、よりによって鬼畜プレイ大好きな変態ドS野郎だったもんだから、ノーマルなセックスなんて今まで一度もしたことが無い。常に無理強い、射精禁止、時たま尿道刺激、言葉責めはデフォで、俺をいつも屈服させる。
 絶対に許せないことだった。前までの俺だったら、キレて殴りかかっていても可笑しくない。
 でも、こんな鬼畜眼鏡に逆らえないのも、現状だった。
「やっと素直になったな。お望み通り、入れてやろう」
 穴と指に、熱い塊が押し付けられる。それを見て、俺は指を離し、相葉のペニスを受け入れる。ゆっくりと入ってきたそれは、俺の中を圧迫して快感を生む。
 震えるぐらい激しい快感がやってきて、俺は机に爪を立てる。何かにしがみ付いていないと、自分がどっか飛んで行ってしまいそうで怖い。俺は俺で居たいから、必死に何かにしがみ付いていた。
 全てが俺の中に収まると、相葉は俺の腰を掴んで動き始める。中を圧迫しているペニスは、俺の中を暴れまわり、快感ばかりを俺に与えてくれる。
「や、はっ……、んぁっ……」
「締めつけて、そんなに気持ち良いのか?」
 そんな言葉も頭の中を通り過ぎて、「……きもちい」と漏らしてしまう。言いたくない。素直に何かなっちゃいけないの分かってるのに、俺は快感の前では素直になってしまう。一度崩壊してしまったプライドは、時間を置かないと元には戻らない。机にしがみ付いていると、相葉は俺の体を持ち上げて仰向けにさせた。眼鏡をかけた相葉が、俺を見つめてヤらしそうに笑う。
「根元まで食い込んで、ヤラシイ体だ。淫乱だな」
「は、ぁあっ、いんら、んでぇっ……、ごめっ……」
 頭の中はもうごちゃごちゃだ。何も考えられなくなった。タチしかしたことなかったのに、ネコがこんなに気持ち良いなんて俺はネコの素質があったんだろうかと疑ってしまう。
 相葉は首の後ろに腕を通すと、俺の体を持ち上げて唇を合わせた。絡んでくる舌を絡まらせて、相葉の首に腕を絡ませる。キスをしながらも、相葉は俺の体を揺さぶることはやめず、快感を生んでいる。
 こんなこと、いつまで続くんだろうか。
 そんなことを茫然と考えながら、俺は目の前にある快感に、必死だった。

「……あの、坂東君……」
 クソほど疲れてると言うのに、後ろから弱気な声がして、不機嫌に振り向いた。俺の背後にいたのは、後輩である愛野で、愛野は俺の顔を見るなりにビクッと体を震わせた。
「……何?」
「いや、あの、ちょっと辛そうだったから……。大丈夫かなぁって思って」
 愛野は俺と目を合わさず、指を弄りながらそう言った。確かに、俺は昨日、鬼畜眼鏡に深夜まで犯されていたせいで非常に疲れている。それに加えて、風邪引いたっぽくて、頭がフラフラする。けど、今日は会議があって休めない。製品開発部である俺達は、愛野が資料を作成して、俺が会議でその様子を見なければいけない。資料の作成ぐらい俺だってできるけど、後輩である愛野に任せた方が楽っつーか、コイツの方が作るの上手いから俺は会議に出席することを選んだ。
 それがこんな目に遭うなんてな。信じられねー。
「……大丈夫だよ。悪かったな、心配かけて」
 俺がそう言うと、愛野は意外と言った顔で俺を見て「……え」と呟いた。俺が悪かったって言ったのが意外だったのかなんだか知らないけど、本当に大丈夫かと言う顔で俺を見ている。あー、うぜぇ。この優柔不断で弱気な愛野が、俺はあんまり好きじゃない。
「本当に辛いなら……、俺が会議出るよ。資料作ったの、俺だし……」
 1年先輩だからって敬語を使わなくて良い。さん付けしなくて良いと言ったから、愛野は俺の事を坂東君と言うし、タメ口で喋る。けど、俺に対してビビっているようで、口調は馴れ馴れしいが、態度は俺を恐れているようだった。
「一人じゃ無理だろ? 会議には出る必要あるかもしれないけど……。質問されて、答えられるか?」
「……多分、大丈夫」
「一応、俺も出るから。質問はお前に任せるからな」
 ため息交じりに言うと、愛野は「うん!」と元気よく返事をして机に戻っていった。なんであんなに元気なんだと、頭を押さえながら考えていると、思い当たる節が一つだけあった。
 鬼畜眼鏡と同じ営業の大野は、この弱気な愛野のことを好きだと言っていた。一度、それを言われて俺は「へぇ、良いんじゃね?」と適当な返事をしたけれど、俺が思っていた以上に大野は愛野にマジだったようで、かなり真剣に悩んでいた。基本的に適当で、口癖がどうでも良いだった大野にしては珍しいぐらい真剣だったから、見ていて笑えた。
 両親が大野の友達で、小さいころから大野と一緒に遊ぶ機会があったけれど、俺と大野は仲が悪く、昔からケンカしていた。それなのに、両親たちが近くに引っ越したもんだから、小学校は一緒。中学校も一緒。大野と相談もしていないのに、同じぐらいの成績だったせいか、高校までも一緒だった。高校の時は3年間同じクラスだったせいで、友人も似たり寄ったりで、俺たちは仲良くないのに一緒に居ることも多かった。鬱陶しいことに大学まで一緒になってしまい、大野は遊びまくっていたせいで大学を1年留年。俺は通常通り卒業したけれど、その翌年に、それこそ腐れ縁と言う言葉を思い知らされた。
 会社とか言ってないのに、大野は俺と同じ会社に入社しやがった。
 大学を留年してから特に連絡取っていなかったけれど、また会ってしまってからは話すことも連絡を取ることも増えて、たまたまゲイだった俺に、大野が愛野のことを相談したわけだった。
 先週の金曜日、大野は愛野を家に呼んだ。それなのに、高校の連れから連絡が来たからと言って、愛野と遊んでいるくせに高校の友達も家に連れてこようとして愛野が遂にキレた。俺だったら、その前からぶっ殺してたと思うけど、健気な奴だから爆発するまで言わなかったんだろう。それは純粋にすげぇと思った。気の長い奴ほど、キレたら怖いってわけで。高校の友人から大野の家に遊びに行かないか? と尋ねられた俺は、愛野が来てるはずだろと思い、大野に電話をした。すると、大野は「愛野、出て行っちゃった。どうしよ……」と慌てふためいて、なんで怒った理由もわかんねぇんだと、愛野が言わずに出て行ったようだったから俺が言ってやった。一通り文句を言うと、大野は「……追いかけてくる!」と、俺の話が終わっていないのに勝手に電話を切りやがった。勝手に切られたのもムカつくし、フラれろ、ザマァと笑っていたわけだが、追いかけて大野が告白したら、愛野も大野のことを好きだったようで晴れて両想いになったってわけだ。
 鬱陶しい、この上ない。
 俺はそんな甘い空気が、一番嫌いだ。
 そろそろ15時になるから、会議室に行こうと思ってノートと筆記用具を持って立ち上がる。その瞬間、最高に頭がふらついて立っていることすらままならなくなる。これってやべぇんじゃねぇの。そう思った時には、体が傾いていて、俺は床に倒れた。
 気持ち悪いし、頭も痛い。ダルくて立ち上がれないなと思っていると、「坂東君!!」と俺の名前を呼ぶ声が遠くからした。この声は愛野だ。そう思ってうっすらと目を開けると、近くに愛野が居て、さっきの叫び声は近くからしたのかと、そんなことを考えてしまっていた。
 ピチャンと水の跳ねる音がして、俺は目を開けた。ここは俺の家で、どうやって帰ってきたんだろうかと視界を巡らせると、不機嫌そうな顔をした大野が俺を見下していた。
「……ぁあ?」
「起きて第一声がそれかよ」
 大野がここに居るってことは、大野が俺をここまで運んできたんだろう。それもまたムカつくことの一つで、俺が風邪を引いた原因なんて一つしかない。その張本人が、何で俺を運ばないんだ。それがムカついて仕方ない。
「……うるせ」
「相葉課長にお礼言っとけよ」
「はぁ!?」
 どうしてあんな鬼畜眼鏡に礼を言わなきゃいけないのかと思うと、大野はため息交じりに俺を見つめて「ここまで坂東を運んだのは相葉課長だよ」と俺に言った。張本人が運べって思ってたけど、運んだと言う事実を聞いたら聞いたらでなんか微妙だった。鬼畜眼鏡が運んだなら、どうしてこの場に居ないんだよ。意味わかんねぇ。
「じゃー、何でお前が俺んちいるんだよ。きっめぇ」
「会社の中で、お前んち知ってるの、俺しかいねーだろ! だからだよ。別に俺だって、坂東のこと全然心配してねーから、来たくなかったし」
 喋っていたら疲れて頭が朦朧としてきた。なんでこんなヘタレ野郎と、俺が喋らなきゃいけないんだ。俺はお前のことが大嫌いだと何十回も言ってるじゃねぇか。心配してねぇなら、来るんじゃねぇ。すぐに帰れっての。
「……あっそ」
「あとー。愛野が、お前のこと超心配してた。朝から顔が真っ青だから、大丈夫かなーって。一緒に行くんだから、面倒看てやって頼まれたんですぅ。俺は愛野の言うこと、断れないんですぅ」
 その言い方が凄くウザくて、俺は大野の顔を見るのをやめた。愛野と付き合うことが出来るようになったからって、浮かれすぎだろコイツ。超ウザイ。死んでほしいほどウザい。
 そっぽを向くと、俺のデコに置いたタオルを大野が取り上げる。それを水に濡らして冷たくなったタオルを、また俺のデコの上に乗せた。
「インフルエンザの可能性があるから、病院行けるなら病院行けよ。目が覚めたなら、俺もお役御免だし、そろそろ帰るわ」
「……ん」
 大嫌いなクソ野郎にありがとうなんて言いたくないから、俺は顔だけ大野に向けた。大野は俺を見て、ちょっとだけ顔を顰めた。
「別に、お前が何をしようが俺には関係ねーけど。手に、なんか縛られた痕、残ってたぜ。自分の体を大事にしろとかいわねーけどさ、仕事に影響与えるようなことすんなよ。ガキじゃねーんだから、それぐらい分かるだろ? ……それに、痕の付き方からして、お前が好きでそんなことしてるようにはどうも見えん。後悔するようなこと、すんなよ」
「……このお節介野郎」
「お節介で悪かったな。とにかく、俺は言いたいことを言っただけ。お前がそれで良いって言うなら、俺はとめねーし。残りは好きにしろ」
 大野はそれだけ言うと、俺の家から出て行った。俺の腕に凄い痕が付いているのは知っている。昨日、帰って風呂入ったときにひでぇなって思った。だから今日は、誰にも見られないようにちょっとだけ気を付けてた。着換えさせたのは大野なんだろう。布団から手を出して見ると、俺はパジャマに着替えていて、綺麗に痕が見えていた。
 好きでやっているようには見えない……、か。確かに俺は縛られるのも、言いたくないことを言わされんのも、好きじゃない。そして、そこまでマゾでもない。じゃぁ、何で耐えれるのかって考えたら、もっとムカついてきた。多分、鬼畜眼鏡以外にやられたら、俺は猛反発して、逃げ出していただろう。
 なんか色々考えるのがめんどくさくなって、俺は目を瞑った。まだ頭はふらふらしているし、眠たい。まさか、熱なんて出すとは思っていなかった。体って言うのはいつも素直で、目を瞑っていると自然に眠っていた。
 ガタン、ガン、ガシャンガシャンガシャンと物凄い物音がして、俺はまた目を覚ます。一人暮らしをしているこの家で、騒音を立てれるのは部外者以外いなくて、ダルい体を起して俺はベッドから這い出た。大野が出て行ったから、鍵なんてかけてなかったし、泥棒が入ったとしか思えない。熱でフラフラしてるけど、殴るぐらいはできるだろう。そう思って物音がした方へ行くと、見慣れたスーツが目に入り、俺は目を疑った。
「……起きたのか」
「不法侵入で訴えんぞ。今、警察に逮捕されたら、いろんな余罪が付けられそうだな。この変態野郎」
 俺の家に居たのは相葉で、俺を連れてきたなら、コイツの役だってすでに終わっているはずだ。どうして戻ってきたのか分からなくて、俺は首を傾げて相葉を見ていた。下に視線を向けると、何か散らばっていて、俺は目を凝らす。
「……あぁ?」
 足元に散らばっていたのは、米粒だった。人の家に来て、散らかすなんて本当に最悪な野郎だなと思って顔をあげると、相葉は珍しく気まずそうな顔をして俺を見つめていた。
「何やってんだよ。風邪ひいて寝込んでるっつーのに、俺の手間を増やすなんて。鬼畜野郎もやることが違うな」
 鼻で笑って相葉に言う。相葉は「……すまなかったな」と呟き、床に散らばった米粒を拾い始めた。一つ一つ手で拾っているのを見て、イライラした。まず、俺に謝ったことからイライラが始まり、そんな一つ一つ拾ったって、何時間かかると思ってんだ。足元に広がった米粒は、かなりの量があって拾うなんて面倒くさいはずだ。バカとしか言いようが無かった。
 それを数秒ほど傍観して、苛立ちが最高潮に達した。
「ああああー!!! 面倒くせぇ野郎だな!! んなもん、掃除機で吸ったら良いだろ!!」
「……あぁ、そうだな。掃除機出してこい」
「お前がばら撒いたんだろ!!!」
 熱があるのに怒鳴ったせいで、頭がふらついた。よろけてしまい、壁に手を付くと、相葉が必死な形相をして俺を見た。
「ね、寝てろ!!」
「……は? これ、どーすんだよ」
 寝てろと命令されたは良いが、このばら撒かれた米粒はどうするのかと思って相葉に尋ねると、相葉は自分の足の裏に付いた米粒を見つめて「掃除機はどこだ。俺が掃除をする」と言った。確かに、零したのは相葉なんだから、相葉が片づけるべきだよな。
「寝室の押し入れにあるから、自分で取れ」
 そう言って部屋に戻ろうとすると、肩を引かれて体重が後ろにかかり倒れそうになる。それを受け止められて、荷物を背負うように担ぎあげられた。
「うお!? は、離せ!!」
「暴れるな。一応、病人だろうが」
 風邪を引いたからって病人扱いされるとは思っていなかった。担がれて、抵抗するのも面倒くさいから俺は大人しく寝室まで運ばれる事にした。ベッドに落とされ、相葉はベッドの隣にあるキャスターを見た。その上に置かれているスポーツドリンクを、なぜか自分で飲みやがった。
 なんの嫌がらせだ。どう見ても、それ、俺のだろ。って思っていると、相葉が近づいてきて、顎を掴まれた。
「んぐ!?」
 注がれるスポーツドリンク。口うつしなんて、やっぱり変態はやることが違うなって思った。スポーツドリンクの中に、少し苦い味がして、俺は相葉を引きはがそうとしたが、力づくで抑え込まれて抵抗している意味が無かった。諦めて飲みこむと、やっと解放されて息が吸えた。
「昔から風邪薬が大っ嫌いだったんだってな。大野から聞いた」
「あー、そう」
「子供じゃないんだから、自分で飲め。掃除機はそこだな」
 相葉は部屋にある押入れを指さして立ち上がった。風邪薬が嫌いだってこと、なんで教えるんだよ、あのヘタレ。唇を手の甲で拭って、押入れを漁っている相葉の後ろ姿を見つめていた。
 掃除機なんかすぐに取り出せるはずなのに、相葉は掃除機を取り出すだけで苦労している。米粒をばら撒いたりしているのを思い出して、コイツ、仕事はできるけど家事は全く出来ないんじゃないのかと、疑い始めた。
「……おい」
「何だ?」
「お前、家事できねぇだろ」
 そう尋ねると、相葉の動きが止まった。数分、その姿を見つめていると、相葉はゆっくりと振り向いて俺を見る。
「……そんなことはない」
「即答しねぇあたり、信憑性がないな」
 まぁ、仕事出来る奴が家事出来ないって言うのはありきたりと言うか、やっぱりコイツも人間なんだなって思った。完璧すぎても面白くねーし、コイツの欠点を見つけられたってことが嬉しくてたまらない。
「もう良いよ。ほっとけ。起きたら、片づけておく。俺は眠たいから、帰ってくれ」
 疲れたから布団を掴んで頭まで被ると、静かに押入れを閉める音がした。帰ってくれた方が俺はゆっくり休めるし、これ以上ガンガンゴンゴン物音立てられちゃ、安静に眠れない。明日だって仕事があるんだから、出来れば今日中に風邪を治したかった。会議はどうなったんだろうかとか、色々考えてたけど、そんなこと考えているうちに俺は眠ってしまった。
 風邪薬に眠たくなる成分が入っていたんだろう。俺はぐっすり眠りにつくことができた。
 久しぶりに熟睡した気がする。どっかの誰かさんに無理やりな残業を押し付けられて、夜遅くまで残されられ、その挙げ句体を酷使されていたんだ。風邪ひいたって可笑しくない。全ての元凶は、相葉にあるって言ったって過言じゃない。さすがに体が丈夫だって言ったって、限度っつーもんがある。
 なんの音にも邪魔されず、自然に目が覚めると体は少しだけ軽くなった。それでも依然、体のだるさはさほど抜けていなかった。
 布団の右端に重たさを感じて体を起こすと、相葉が俺の布団で寝ていた。
 ……帰ったんじゃねぇのかよ。
「……何やってんだよ!」
 パコンと頭を叩くと、相葉はゆっくり目を覚まして、俺を見上げる。
「具合はどうだ」
「は?」
「具合はどうだって聞いているんだ。質問ぐらい、ちゃんと答えろ」
 何でコイツはこんな偉そうな言い方しかできないんだ。それにムカつきながらも、俺は「もう治った!」とぶっきら棒に答えて目を逸らした。時計に目をやると、朝の6時を指していて、仕事行くのも間に合いそうで良かった。
「ウソを言うな。まだ顔が赤い。熱をちゃんと計れ」
 相葉は俺のデコに手を伸ばして、自分の感覚で熱を計ろうとする。その手を振り払って、俺はキャスターの上に置いてある体温計に手を伸ばした。言われなくても熱ぐらい計ってやるわ。と呟いて、体温計を脇に挟んだ。数分ほど待つと、ピピピと音が鳴り、俺が体温計を見る前に相葉に奪われた。
「あっ!」
「……38.5分。まだ熱が下がってないじゃないか。今日は仕事休め」
 頭を押されてそのままベッドに押し付けられる。まだそんな熱があったとは知らず、昨日より体が楽だってことは、かなり熱が出ていたんだろう。面倒くさくて熱なんか計らないから分からなかったけど、今日でこんだけしか下がっていないなら、1回病院に行くべきなんだろうか。
 考えるだけで面倒くさい。
「大人しく寝ておけよ」
「……るせー。早く仕事行けよ」
「食いたいものを考えておけ。買ってきてやる」
 そんな見え透いた優しさなんかいらねーって言うのに、こんな時ばかりは優しい顔をしたこの鬼畜眼鏡に、なぜか胸を打たれた。そんな事実、絶対に認めたくないし、お前が原因で熱を出したんだってまだ責めてない。言わなきゃ気がすまないけれど、ここまでしてくれてるなら言わなくても良いかなと思って、言う気が失せた。
「……アイス。いちごアイス、食いたい」
「ガキか」
「寝る。早く行け、バカ、死ね、この変態野郎め」
 頭から布団を被って、顔を隠した。
 ガキかって言ったときの、笑顔が俺の網膜に焼きついてしまった。冷血眼鏡が、あんな顔するとは思わなかった。反則も良いところだ。
 鬼畜眼鏡が俺に優しくした。その事実が、受け止めきれず、心拍数が上がっていった。
「いちごアイスだな……。分かった」
 ポンと頭に手を置かれ、ゆっくりと手が離れて行った。パタンと閉まった扉の音を聞いて、やっと俺の心拍数が元に戻る。

 この感情には、当分、気付かないふりをする。


血液型の話、あんまり出てねー……笑
<<<<<<<<<<< Index >>>>>>>>>>>