血液型コンプレックス
O型 大野渉編


 例えば、A型は几帳面、B型は自己中、AB型は二重人格と、他の血液型には色々と有名な代名詞があるけれど、O型はこれと言って言われたことが無いように思う。そう思っていた幼少時代、大嫌いな幼馴染に「お前、人のことを自己中とか言うけど、O型はなぁ、大雑把なんだぜ。この大雑把!!」と罵られて泣いたことがある。どうしてそんなことを言われただけで泣いたのか分からないけど、自分がしてきたことを他人にされて悔しかったのだろう。美少年ともてはやされ、常に俺の前を歩いてきたアイツをバカに出来る言葉だったのに、逆にバカにされて悔しくなった。
 まぁ、大雑把って言うか、小さいことには気にしない性分なだけだったんだけどな。それに気付かなかった小学生は、いつか負かしてやると意気込んでいたけれど、体ばかり大きくなって、いつになっても勝てなかった。
「……へぇ、良いんじゃね?」
 心に貯め込んでいた悩み事を、その幼馴染に相談してみると、いい加減な返事が返ってきた。そうだ。コイツは昔からそうだった。興味の無いものには、常にいい加減で、どうでも良い。喜怒哀楽が激しくて、ストレートに感情を出すから、嫌う奴はめちゃくちゃ嫌う。けれど、一目を引く容貌に騙される奴は多かった。
 コップに入った焼酎を口に含んで、大嫌いな幼馴染こと、坂東慧は俺を見て大きくため息を吐いた。
「で、俺に相談したいことってそれだけ? なら、これ飲んだら帰るぞ」
「……お前、昔からひでぇって思ってたけど、かわんねーなぁ」
「10年変わらなかったら一生かわんねーよ」
 坂東はそう言うと、コップに残った焼酎を飲みほして立ち上がろうとした。
「……奢るから、待て!」
「うぜ」
 鬱陶しいと言いながらも、坂東は座って、店員を呼ぶインターフォンを押した。
 両親同士が友人と言うことで、それこそ生まれた時から一緒に居ることが多かった俺たちは、なぜか仲が悪い。昔から気が強かった坂東に泣かされ、いびられ、虐げられた小学校時代。家が真横になってしまったせいで、小学校も中学校も同じところへ通う破目になった。成績も中ぐらいだった俺たちは、相談もしていないのに同じ高校へ通うことになった。その辺から腐れ縁と言う言葉をしみじみ考えさせられる。高校3年間同じクラスだったせいか、友人はほぼ一緒。3年になってやっと卒業。これでようやくお別れだと思っていたのに、同じ大学に進学することが入試の前日に分かり、互いに落胆。二人揃って理数系が得意だったせいか、学科も同じだったけれど、他人のふりをしていたので友人だけは被らなかった。
 大学2年の時に、俺は遊び過ぎて単位が取れず、留年することになってしまった。家は隣同士だったけど、坂東が一人暮らしを始めたので会うことも無くなり、連絡もとらず、音信不通が続いた。
 一生、坂東とは会わないと思っていたのに、入社して翌日、俺は本気で腐れ縁と言うものが実在するのだと、思い知らされた。
 俺が入社した会社に坂東がいたのだ。唯一の救いは、所属している部が違うことだ。俺は営業。坂東は製品開発部だった。それだけが、本当に唯一の救いだった。けれど、同じフロアだから、毎日顔を合わせている。
「本当に奢るんだろうな。ウソだったら、この場で殺すぞ」
「……普通、後輩には先輩が奢るもんだろー」
 同い年だけれど、留年したせいで入社が遅れたので、坂東は俺の一個上の先輩になる。
「留年したバカが偉そうなこと言うんじゃねぇ。うちの人事も何を考えてコイツを入れたのか分からない。学歴からして、中途半端加減が出まくりじゃねぇか」
 流星雨のように降ってくる暴言に、俺は半笑いで流した。次々と降ってくる暴言は才能のようなもので、20年ぐらい聞いてきた俺には慣れっこだった。
「話術のおかげだろ。お前たちが作ってる商品は、俺たちが売ってんだからな」
「営業のそう言う偉そうなところ嫌い。うぜぇ。特にお前には頼んでねぇし。死ね」
 同じ会社で働いているせいか、俺は相談しに来たのに仕事の話になってしまい、ハッとする。今日は仕事の話なんかをしにきたんじゃない。それよりもっともっと大事なことだ。俺の一生を左右するぐらい、重要なことだ。
「仕事の話はどうでも良い。俺は愛野の話をしに来たんだ」
「……愛野ねぇ……」
 坂東が愛野と呟いたときに、インターフォンで呼んだ店員がテーブルの前に立った。丁度俺のビールも無くなったので、俺は「ビール」と頼み、坂東は「芋、ロックで」と言って、空になったコップを店員に渡した。黒い髪を少し長めに切り、可愛いと言うより美形である坂東は、芋焼酎を飲んでいようがカクテルを飲んでいようが様になっていた。弧を描く眉は綺麗に整えられていて、まつ毛は付けているのかと疑うぐらい長くふさふさしていた。大きい黒目が俺を捉えて「何、見てんだよ」とその容姿からは発せられないような暴言が飛んでくる。
「……お前みたいに綺麗だったら苦労しねーのかなーって思って」
「は? なわけねぇだろ」
 凡人を代表してそんなことを言うと、坂東は即答し、挙句の果てには「バカじゃねぇの」とおまけまで付けてくれた。確かに、綺麗だから苦労しないってわけじゃないよな。綺麗だからって苦労することはあるだろう。でも、周りから見たらそんな苦労も羨ましいことで、綺麗な奴にしか分からない悩みだ。
「変な奴には目を付けられるし。電車に乗ってりゃー、スーツ着てるってのに痴漢されるわ。最悪だ。俺はフツーに生まれたかった」
「へぇ……。痴漢されるんだ。お前、撃退しそうだな」
「当たり前だろ。金玉握りつぶしてやる」
 坂東だったらやりかねないと、俺は背筋が凍った。本当に小さい頃から凄く気が強くて、可愛い顔をしていたのとは裏腹に、度胸試しなどは率先してやってたし、人を苛めて遊ぶのが大好きな奴だった。
「……で、愛野をどうしたいわけ? 俺に相談したって、ろくな答え出ないと思うけど」
 静かに置かれた焼酎グラスを手にとって、坂東は伏せ目がちにそう言った。
 愛野と言うのは、坂東と同じ部にいる俺と同期入社した男のことだ。同期で同じフロアーにいるってことで、昼飯を食べに行ったり等、良くしているわけだが……。アイツの柔らかい笑顔と言うか、誰にも気配りが出来て、常に人のことを考えている健気なところを、俺は好きになってしまった。そりゃ、男が男を好きになるなんて、頭がぶっ壊れてしまったのかと疑ったけれど、好きになってしまったもんはしょうがない。当たって砕けろと思い、好きだという事実を認めることにした。
 それでまぁ、高校生ぐらいから、男しか好きになれないと言っていた坂東に相談したってわけだが……。
「どうしたい……か。特に希望も何もないかも」
「……キスしたり、セックスしたいとかないわけ?」
 ズバズバと尋ねられ、俺のほうが恥ずかしくなってきた。キスしたり、セックスしたりねぇ……。そりゃぁ、男と女だったら出来そうだけど、男同士ってどうなんだ。キスは問題ないと思うけど、セックスまではと思い、ビールを一口飲み込んだ。
「どうだろ。わかんねー」
「最終的にはそこに行き着くと思うけどな。女だろうが、男同士だろうが」
「……え、そうなの」
 男同士でもセックスが出来ると言うのを知り、途端にそういう欲求が強くなった。セックスって言うのは男と女がするものだと決め込んでしまっていたせいで、俺と愛野が付き合ってヤるだなんて想像したこともなかった。薄茶色い髪の毛をクシャクシャにして、ちょっと人より白い肌を紅潮させて、喘いでる姿が頭に浮かんで、不覚にも勃起した。
「お前、今、想像しただろ」
「……は?」
「ニヤニヤ笑ってんなよ、気持ち悪い。男なら当たって砕けろ。お前はそういうタイプだろうが。うだうだ悩んで、俺になんか相談してんじゃねぇ」
 はっきりと言われ、確かに俺はそういうタイプだったなと認識させられ、ジョッキをテーブルに置いた。嫌いだ大嫌いだと言いながらも、さすがは20年間近く一緒に居た仲だけあって、坂東は俺のことを十分理解していた。俺もそこそこは坂東のことを理解しているんだろう。
「覚悟が決まったら、とっととこくってフラれろ」
「そこは応援しろよ」
 俺はこの一言で、愛野に告白することを決めた。
 それから何度か愛野を飲みに誘ったりしたけれど、どうも愛野と二人っきりでいると坂東に言われたセックスを思い出してしまい、モヤモヤとしてしまう。するともう、告白もしていないのに押し倒してしまいそうになり、たまたま前を通りかかる友人達に声をかけて、無理やりこの状況を打開していたわけだが……。
 それがいけなかった。
 俺は自分のことしか考えてなくて、会社の同僚とか友人と一緒に飲んでいることで救われていたのは俺だけで、人見知りをする愛野は非常に心苦しい思いをしていたようだ。それでも、愛野はそれを俺に言わず、爆発するまで溜め込んでいた。
 そして、告白しようと俺の家に連れ込んだは良いが、根がヘタレなのか、「おー、渉。今、何やってんの?」と電話をかけてきた高校の友人に、この状況をどうにかしたくて「俺んち来いよ」と言ってしまい、愛野をキレさせてしまった。
 高校のときの友達は、坂東も繋がっていて、俺の家に行くなら坂東も呼ぼうってことで、高校の友人は坂東に電話をかけた。愛野が俺の家に行っている事を知っていた坂東は、キレて俺のところに電話をかけてきた。そのときの暴言と言うか、罵詈雑言の嵐は酷かった。生まれて初めて、クソ以下、お前をクソだなんて言ったら排泄物に申し訳ないとまで言われ、つい笑ってしまった。
「お前は愛野に告白したかったんじゃねぇのかよ。何を怖気づいてんだ。当たって砕けろ。失敗してもきにしねぇってのがお前の信条じゃなかったのかよ。お前は愛野の事をどう思ってんだ」
 そこまで問い詰められて、俺はようやく、愛野の事を好きだったってことを思い出した。キス、セックス、云々の前に、ちゃんと気持ちを伝えなければいけない。先のことを考えていたって仕方ないんだって。
「追いかけてくる」
 暴言を吐き続けている坂東を遮って、通話を一方的に切り、俺は愛野を追いかけた。時間的に終電もないし、かばんも忘れているようだったから、もしかして歩いて帰ったのではと思い、愛野の家があるほうに歩き出すと公園でブランコを漕いでるサラリーマンが居た。
 確認しなくても、愛野だとすぐに分かった。
 ごしごしとスーツの裾で目を拭っているのを見たら、叫ばずには居られなかった。
 俺は本当にひどいことをしたんだ。愛野を泣かすなんて、最低な男だ。
 逃げ出そうとした愛野を引き止めて、俺はやっと気持ちを伝えることが出来た。弱気なくせに素直じゃない愛野が、俺は大好きだった。几帳面で、真面目で、誰よりも慎重に物事を考えていて、そして誰に対しても細かい気配りが出来る愛野が大好きだった。
 几帳面なんて言ったら、愛野は絶対に怒ると思うから俺は言わない。愛野はA型であることをコンプレックスに思っていたから、俺は口には絶対にしない。
 けど、俺はそんなA型な愛野が、好きでたまらなかった。
 どうやら愛野も俺のことを好きだったようで、俺達は晴れて両思いになった。

「……ねぇ、大野。坂東君、どうだった?」
 ズバズバと言いたいことをキツく言う坂東のことを、愛野は苦手としていた。それなのに、どうしてこんな心配をしているのかと言うと……。
 今日の昼、坂東が会社でぶっ倒れたからだ。
 顔を真っ青にして、倒れこんだ姿を目の前で見ていたようで、愛野はひどく慌てていた。幼馴染である俺に「ば、坂東君、倒れた!」と言い、俺の腕を引っ張って坂東のところに連れて行ったはいいが、すでに俺の上司である相葉課長が坂東を抱き上げていて「熱があるな。大野、お前、幼馴染だったよな?」と、いつも冷静な課長にしては珍しく焦って聞いてきた。
「えぇ、はぁ、まぁ、そうですけど」
 どうして課長が幼馴染だってことを知っているのか分からなかったけど、頷くと「家を教えろ」と言われ、横に居た愛野に目を向けると「坂東君の家を知ってるなら、行ってあげて」とお願いされ、煽てられたら断れない俺は仕方なく坂東の家に行くことになった。
 会議が始まるからと言って、課長は運び込んだらすぐにとんぼ返りした。坂東も会議に出る予定だったけど、それは愛野が何とかすると言っていたし、苦手と言っていたが結構慕われてるんじゃないのかと思った。
 冷や汗のような脂汗をかいている坂東を見て、仕方なく着替えさせることにした。小さい頃から一緒に風呂入ったことがあるし、変わったことと言えば毛が生えて、皮が剥けたかどうかぐらいだろう。そう思ってスーツの上着を脱がせ、シャツを脱がし、インナーも脱がして汗を拭こうとしたとき、両手首にくっきりとついた痕を見て戦慄いた。
 何かで縛られたような痕がついている。それも広範囲にわたって。縦横無尽についている痕を見て、抵抗しているようにも見える。その痕をじっと見つめていると、坂東の体が震えたので、俺はすぐに汗を拭いてパジャマを着させた。
「痴漢されて、金玉握りつぶす奴が素直に縛られるか……?」
 独り言を呟いて、強気で傲慢だった坂東が、縛られて喜ぶようなマゾ野郎には全く見えず、知らない間に変わってしまった幼馴染を見て、放って置けなくなってしまった。
「…………まぁ、大丈夫じゃね?」
 上目遣いで尋ねてきた愛野に、目を逸らしながら答えると、愛野はムッとした顔で俺を睨みつけ「返事が曖昧」と叱咤した。そんな、愛野に「いやー、アイツさー、腕に縛られた痕残ってんだよー」なんて言えるわけがない。
「一応、目が覚めるまでは居たけど。うぜぇとか帰れとか言われたから、帰ってきた」
 これは事実なのでちゃんと説明すると、愛野はそれすらも納得せず「何で、そんなんで帰ってきちゃったの!」と怒った。苦手だと言っている割には、坂東のことをすごく心配していて妬けて来た。
「……だって、俺、別に心配してないし」
「ひどいよ! 幼馴染でしょ!!」
「……俺行っても、何も出来ないしなぁ」
 愛野が坂東のことを凄く心配しているのは分かっているけど、俺がどれだけ心配したって坂東の病気が治るわけじゃないし、料理が出来ないから何もすることがない。それこそ、ベッドの隣でしっかり寝ているか確認することぐらいしか出来ないだろう。
「坂東君が野垂れ死にしたら、大野のせいなんだからね!! もう知らない!」
 大声で怒鳴って出て行ってしまった愛野の後姿を見つめて、あららと思った。心配したい気持ちは分かるけれど、俺が行っても追い返されるだけなんだよなぁ。そう思っていたけれど、放っておけないと思っていたこともあり、仕方なく坂東の様子を見に行くことにした。時間的には夜遅く、12時を回っていたけれど、寝てるなら寝てるですぐに帰ろうと思って家の前まで来た。玄関の鍵が開きっぱなしになっているのを見て、俺はドアノブを引いた。
 ゆっくりと開けて家の中に入る。見慣れない革靴を一つ発見して、俺はそれをジッと見つめた。坂東のサイズにしては大きすぎる。誰か来ているのかと思って、あの手首の痕を思い出した。
 寝室のドアに耳を当ててみると、話し声などは一切せず、俺は気づかれないようにそっと扉を開けた。
「----っ!」
 目の前の光景に大声を出しそうになった。自分の口を押さえて、俺は数歩後ずさる。ベッドで静かに寝ている坂東。そして、その横でベッドに突っ伏するように寝ていた相葉課長。どうして、この二人が一緒に居るのか、俺には考えられなかった。
 見てはいけなかったものを見てしまった気分になり、俺はすぐに外へ出た。そう言えば昨日、坂東は仕事を押し付けられて残業していたような気がする。愛野が手伝おうとしていたけれど、坂東に「俺がやるからいい」と言って、帰らせられたと言っていた。相葉課長はいつも帰るの遅いし、もしかして……。と疑ってしまう。
 今日だって、俺が駆けつける前に相葉課長が坂東を抱き上げていた。大切にしているなら、俺は何も心配なんかしたりしない。男を好きになったからと言って、偏見の目で見ることもない。
 けど、傷つけるって言うのは、どうなんだ……。
 ポケットに入っている携帯を取り出して、俺はこの複雑な気持ちを紛らわすように愛野に電話をかけた。
『……もしもし』
 不機嫌そうな声が受話器から漏れてきて、俺は少しだけ笑ってしまう。
「もしもーし。不機嫌な愛野君ですかぁ?」
 茶化すように話しかけると『不機嫌なのは誰のせいだよ!』と大声で怒鳴られた。なんか、ちょっとずつ坂東に似てきた気がするなぁと思いながら、俺は坂東のマンションを見上げる。
「愛野君が心配してたまらない坂東君の家に行ってきたよ」
『……ど、どうだった?』
 怒っていた声とは打って変わって、深刻な声になった愛野に、これから俺は嘘を吐く。曲がったことは嫌いで、嘘なんか大嫌いだけど、本当のことなんて俺は言えない。
「元気だったよ。いびきかいて爆睡してた」
 そういうと、愛野はくすくす笑って『坂東君、いびきかかなさそうなのに』と笑いながら言った。こんなにも嘘が心苦しいだなんて、思いもしなかった。見上げる空は墨汁を零したように真っ黒で、星さえも見えない。
「なぁー、愛野ー」
『何?』
「今から、そっち行ってもいい?」
 人恋しくなりそんなことを言ってみると、愛野は少し間を置いてから『明日も仕事だよ?』と俺を気遣ったような声が聞こえた。
「顔見たら、すぐに帰るからさ」
 普通ならここで引いたほうが良いんだろうけど、会いたい気持ちと言うか、地味に坂東と課長が繋がってるとは思わなかったから、ショックっちゃぁショックだった。それに仕事が出来て、尊敬していた課長が坂東にあんなことをした事実も、ちょっとショックだった。
『うち、泊まっていっていいよ』
「……え」
『…………よ、夜、遅いし!! 明日、大野が遅刻したら俺のせいみたいじゃん!! だからだよ!!』
 まさかそんな答えが返ってくるとは思わず、俺は噴出してしまった。ああ、こんな素直じゃないところが凄く可愛くてたまらない。沈んでいた気持ちが一気に持ち上がって、俺はニヤけてしまう。
「じゃ、今から行くわ」
『うん……』
 愛野が返事をしたのを聞いて、電話を切り、俺はタクシーに乗って一度自分の家に戻り、風呂に入ってから、愛野の所へ行った。すでに2時を回っていたけれど、愛野は一睡もせずに俺が来るのを待っていてくれた。
「……は、早かったな」
「そう? 一回、家に帰ったから、遅かったと思うけど……。何か----……」
 何か言おうとした愛野を遮って、その小さい体を抱きしめた。細い体は抱き心地がよく、強く抱きしめると折れてしまいそうだ。愛野が居て、本当に良かった。俺の心の拠り所だ。
「……どうしたんだよ」
「愛おしいなぁって思って」
「なっ!!」
 こういう言葉には弱いようで、愛野は過剰な反応を見せた。俺から離れようともがくが、体格の差から、逃げることはままならず、最終的には抵抗することを諦めた。両手がだらんと垂れ下がったのを見て、俺は少し離れて愛野の顎を持ち上げる。
「んっ……」
 唇を合わせると愛野は少しだけ体を動かして、俺の腕を掴んだ。少し開いた口の中に、舌を差し入れると、腕を掴んでいる力が強くなった。
 歯列を舌の先で撫でると、少しだけ開いてぬめった舌が触れる。上へ下へ、遊ぶように舌を動かしていると、愛野の息が荒くなってくる。歯茎の裏を舐めると、「……ん」と小さい声が聞こえて、恐る恐る舌が絡んできた。
 我を忘れたように、愛野は俺の舌に舌を絡ませる。息もロクに出来ていないようで、開いた隙間から息を吸おうとして必死になっていた。
「んぁ、ふっ、はっ……」
 与えられた餌を必死に食べようとしている雛鳥のような、そんな懸命さが伝わってきた。ゆっくり、唇を離すと、物足りない顔をした愛野がきょとんとした顔で、俺を見上げていた。
「……ここ、玄関だぜ。愛野」
「………………っ!!」
 ようやくここが玄関であることを思い出した愛野は、顔を真っ赤にして「入るなら入れよ!!」と怒鳴り、部屋の奥へと消えていってしまった。嗾けたのは俺だけど、あの反応も中々面白いなと思って俺は靴を脱いで家に入った。
 さすがは愛野と言うか、これを言ったら確実拗ねるから言わないけど、綺麗に整頓された部屋はさすがとしか言いようがなかった。
「きれーな部屋。俺とは大違い」
「大違いって言うか、大野の部屋は何もなかったじゃないか」
 ベッドの上で蹲っている愛野は、不貞腐れながらそう言い、枕に顔を埋めた。
「だって、ものがあると散らかるから。片付けるの面倒くさいし」
「……あっそ」
 興味なさそうに返事をして、顔だけこっちに向けた愛野はまだ顔が赤く、俺を誘っているように見えた。まだ手を出すつもりなんて、なかったのに、その表情はヤバイぞ。
「坂東君の家に行って、何かあったの?」
「……え?」
「大野の様子、ちょっと変だから……」
 俺の様子が可笑しいのはもう悟られていたようで、俺はベッドに座って愛野の髪の毛を撫でた。あのことは話さない方が良いかと思ったけれど、俺はどうも愛野に嘘はつけない。吐いてしまった嘘が俺の胸を締め付けて、思考を鈍らせていた。
「坂東の腕にさ、縛られた痕が残ってたんだ」
「……え!?」
 その事実に驚いたようで、愛野は体を起こして俺を見上げた。
「でまぁ、そんなことされるような奴でもないしさ。アイツらしくないって言うか。黙ってヤられるような奴とは思えないんだよな。でまぁ、今日、愛野に様子を見に行けって言われて、縛られた痕も気になってたしさ、坂東の家に行ってきたわけだ。夜更けに。そしたら、無用心にも家の鍵も開けっ放しでさ。多少罵られても良いやって思って、仲に入ったんだよ」
「……不法侵入」
「まぁまぁ、聞けよ。静かだし、寝てるの邪魔するほうがもっとうるせーわぁって思って、寝室をそっと覗いたわけだ。死んでないか確認のためにな。そしたらさぁー……」
 あの光景を思い出すだけでも、俺はどうして良いか分からなくなる。課長があんなことをしたなんて思いたくもない。ましてや、あんなに熱を出した原因だって、縛られたことにあるんじゃないのかと疑ってしまう。
「そしたら?」
「……相葉課長が居たんだよ。部屋に」
「え……」
 この事実に愛野もびっくりしたようで固まっていた。さっきまでの甘い雰囲気は吹っ飛んでしまい、愛野はどうしようと言った顔で俺を見つめている。
「まぁさ、坂東が良いって言うなら、俺は止めないよ。あいつの事だし」
「けど、縛られた痕って……」
「そうなんだよ。そう言うことをするのは、どうかと思うんだよな」
 曲がったことが嫌いな俺からしたら、信じられないことで、不安げに眉を八の字にしている愛野の髪の毛をぽんぽんと撫でた。巻き込まれるつもりなんて、更々なかったのに、気づけば俺から巻き込まれに行ってしまった。
「どうするの、大野は」
「ん、言いたいことは言おうと思う。溜め込んでてもしょうがないし」
「そっか。俺は応援してるよ」
 微笑んだ愛野を見て、心が打たれた。愛野の部屋に二人っきりと言う状況が、もう襲ってくださいと言わんばかりだ。愛野の肩を掴んで、ベッドの上に押し倒すと、愛野は「え?」と言った顔で俺を見上げていた。
「……最後までやんねーから」
「ど、どう言うっ!」
「俺、我慢できねーわ」
 真顔でそう言ってから、俺は文句を言おうとした愛野の口を塞いだ。さっきのキスの余韻がまだ残っていたのか、唇を合わせて、ペロッと唇の端を舐めたら愛野の体が動いた。先ほどと同じようにゆっくり時間をかけてキスをしていると、愛野は潤んだ目で俺を見上げた。
「……苦しいって」
「苦しいんじゃなくて、感じてるんでしょ」
「ち、違うっ!!」
 わざわざ起き上って反論しようとする愛野の股間に手を這わすと、愛野は途端に弱くなって「……ぁ」と声を漏らした。すでに勃起したペニスを、焦らすように撫であげると愛野は小刻みに揺れて俺を見上げる。
「一回、ヌく?」
 俺にヌかれるなんて恥ずかしいことだろうに、愛野は視線を泳がせて迷うと、小さく頷いた。そのしぐさとかもう、ほんとにヤバいぐらい。途中で止めれないぐらい可愛かったけど、愛野のことを考えたらこの勢いでヤらないほうがいい。俺は口の中に溜まった唾を飲み込んでから、スウェットの中に手を突っ込んだ。
「……は、んぁっ……」
 愛野は俺に凭れかかって、上に着ているシャツを掴んでいた。ズボンを膝まで下げたから、俺から愛野の勃起したペニスは丸見えだ。その状態が恥ずかしいのか、愛野は固く目を瞑って羞恥と快感を堪えていた。先端から出ている先走りを指で伸ばして、上下に扱いていく。ただそれだけの単純作業だけれど、刺激が強いようで愛野の息は荒く熱帯びている。
「イきたかったらイっていいよ」
「……んっ……」
 それでも中々イこうとしない愛野を見て、俺は凭れていた体をベッドに寝かした。枕に頭を預けて、俺の行動を見ていた愛野は、俺が股間まで移動したときにぎょっとして「何やってんだよ!」と大声を上げた。
「舐めんの」
「……ちょ、そんなことっ!!」
「俺がしたいの」
 有無を言わさず口に含むと、上半身を軽く起こした愛野が俺の肩を掴んだ。何かに掴まってないと快感に耐えれないようで、足はがくがくと震えている。わざと音を立てると、「……大野っ!」と上から声が降ってきた。
「ん?」
「……音、立てるなよっ!」
 目に涙を浮かべて訴えている姿は、加虐を煽り、俺はもっと音を立ててやった。愛野は俺の名前を叫びながら、俺の肩から手を離して服の裾を掴む。
「や、おおのっ……、イきそっ」
「イって」
 動きを早くすると、ペニスが大きく膨らんで口の中に液体が吐き出された。全身の力を抜いて、はぁはぁと肩で息をしている愛野の目の前で飲みこむと「……う」と泣きそうな声を漏らした。
「なぁー」
「……なんだよ」
 むすっとしている愛野の隣に並んで、俺は汗が浮いたおでこを撫でる。
「名前で呼んでよ。俺も名前で呼ぶから」
「……え」
「ほら、言ってみて」
 耳に手を当てて良く聞えるようにすると、愛野は目を細くして俺を睨みつけ、何も喋ってくれなかった。さすがにああ言うエロいことをしているときに名字で呼ばれるのはなぁと思ったけど、恥ずかしがり屋の愛野にはまだ俺を名前で呼ぶことはできないようだ。
「もうおせーから寝るか」
「……ん」
 一回抜いたせいで眠くなったのか、愛野はうとうととしながら返事をする。
「おやすみ、祐樹」
 耳元でそう囁いて、布団の中に潜ると、ギュッと愛野が布団を掴んだ。

 翌朝、二人は遅刻することも無く、ちゃんと会社に行くことができた。昨日から愛野は俺に口を利いてくれず、夜のことを根に持っているようにも見えた。
 昨日ぶっ倒れた坂東は熱が下がらないからと言って、仕事を休んでいる。俺の列の先頭には、いつものように相葉課長が仕事をしていた。
 坂東の部屋で見た光景が頭を過ぎって、仕事に集中できない。言ってやると決めたんだから、終業までは我慢しようと思い、俺はあまり考えないことにした。
「……またフリーセルやってる」
 背後から叱咤する声が聞こえて、俺は笑顔で振り向いた。彼これ、8時間ぐらい無視されていた愛野から話しかけてもらえ、俺の機嫌が一気に良くなる。
「暇だし」
「今日も坂東君の様子、見に行くの?」
「……いや、電話で確認するだけで行かない」
 様子が気にならないと言うわけではないが、昨日の光景をまた見たくないってのもあり、俺は電話で済ますことにした。それこそ、俺がここまでお節介を焼いたとしても、坂東からしたら良い迷惑だと言うだろう。それが分かっているから、俺は自分がしたいことだけをすることにした。
「そっか……。頑張ってね」
「おう! 愛野に応援してもらったら、頑張れる!」
「……じゃぁ、仕事しろよ」
 上から冷たい声が降ってきて、俺はあははと軽い笑いで愛野の怒りを流した。本当に今日は仕事も無く、仕事があるんだったら真面目にやるけれど、無い仕事をどうやってやるんだと思いながら、俺はフリーセルの画面を閉じた。
「相葉課長。ちょっと良いですか?」
 カタカタとキーボードを叩いている課長に話しかけると、課長は手を止めて俺を見上げる。
「どうしたんだ」
「……坂東のことで、お話したいことがあるんですけど」
 そういうと、課長は何を言いたいのか分かったようで「向こう行くか」と応接室を指さした。俺は一つ頷くと、課長の後ろをついて応接室に向かった。パタンと扉を閉めて、俺はポケットから煙草を取り出した課長を見つめた。
「坂東のことがどうしたんだ」
「……俺、昨日、夜に坂東の家行ったんです」
 タバコに火を付ける手が一瞬止まって、課長は遅れるように火を付けた。煙を吐き出しながら「で、どうしたんだ」と俺に尋ねる。
「坂東の家に居ましたよね」
「……あぁ」
「俺、昨日、着替えさせたときに腕についてる痕を見てしまったんです」
 課長がやったんじゃないんですかと聞く前に、課長から「それをやったのは俺だ」と先に言われた。無表情で冷たい目を俺に向けて、だからどうしたと悪びれのない表情に俺は少しイラつく。
「……別に、二人が合意の上でそれをやってるなら俺は何も言いません。けど、どう見ても、あれは合意の上とは思えないんです。……アイツのこと、想ってないならやめてください」
 はっきり言うと、課長は「くくっ……」と小さく笑って俺を見る。何が可笑しいのか分からない俺は、眉間に皺を寄せて課長を睨みつけた。
「正義感が強いな。坂東自身がヤられて嫌だとでも言ったのか? 勝手に決めつけて文句を言うなんて、勘違いも甚だしい」
「……なっ!」
「俺はアイツから嫌だなんて言葉、一つも聞いたことが無い。合意の上だ。お前にとやかく言われる筋合いはない。人に干渉している暇があるなら、自分のテクニックでも磨いておくことだな。いつしか、愛野に見捨てられるぞ」
 相葉課長は皮肉げに笑って、俺の隣を通り過ぎて行った。
 漠然とした悔しさが後から込み上がってくる。
「…………あの、二重人格!」
 何がテクニックを磨けだ。抵抗している人間を縛り上げて楽しそうに笑ってる奴にテクニック云々なんて言われたくない。けど、一番悔しかったのは、言い返せなかった俺だ。
「愛野は俺を見捨てないし!!!!!」
 そんな意味不明なことを叫んで、遣る瀬無いこの気持ちを発散させるしかなかった。


自分のことが落ち着くと、他人に干渉したくなるものです。笑
この話に主人公っていねーなぁ……笑
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