メタモルフォーゼ


 大学時代の友人であり、経営のパートナーである高松洋明、通称ヨウははっきり言って性格が悪い。傍若無人で暴力的、自己中で他人なんか関係ないと言った横暴さに、良く友達になれたなと自分を尊敬することが多々あった。
 そんなヨウが突然、優しくなった。いや、優しくなったのはたった一人だったのだけれど、俺はあのワガママでどうしようもない性格が直ったのかと思って、浮かれていたのだが……。それはちょっと、違っていたようだ。
 ヨウの性格が悪いのは、店の常連のほとんどが知っていた。文句を言う客には容赦なく言い返すし、ケンカが勃発したときは倍返しまでする。客商売なんだから、それはマズイと10回以上言ったが、ヨウは「暴れる客はいらねぇ」と言って、自分のスタンスを変えなかった。
 だから、常連客の間では「ヨウを怒らせてはいけない」と言う暗黙の了解が出来ていて、ヨウの機嫌を損ねるお客さんは一見が多かった。そんなヨウが、田中さんと言う人にだけ優しくしてるのだから、みんな、ヨウが田中さんのことを気にしているのは分かっていた。
 田中さんのことを気にしながらも、持ち前の童顔で女や男を誑かし、遊び歩いていたんだから、まさか本気で好きだとは思わなかった。ただ、ヨウが優しくしてあげたい相手、なのかと思っていた。
 だから俺も、本物のヨウを知る前に諦めさせたほうが良いと思って、ヨウが居ないとき、田中さんに「ヨウはやめたほうがいい。誰にでも優しいから」と忠告してあげた。誰にでも優しいはウソだったけれど、ヨウが優しくしてるのに大した意味はないと思っていたんだ。
 ところがどっこい。ヨウは田中さんに本気だったのだ。俺がそんなおせっかいを焼いた次の日、朝、挨拶を交わして早々に殴る蹴るの暴行。まだ、機嫌がよかったから軽くで済んだけれど、高校時代は高松洋明の名を知らぬやつはいないと言われたぐらい、その地域では有名な不良だったらしいから、痛いっちゃー痛かった。
「……ねぇ、マスター。ヨウ君ってどんな子なの?」
 そんなヨウを知らない田中さんは、ヨウがカウンターから居なくなった隙をついて、俺にそんなことを聞いてくる。話す分には文句言われないけれど、余計なことを喋れば俺の命は無い。ふざけながら、俺は「さぁ?」とはぐらかしてみた。
「ヨウ君、誰にでも優しくないって言ってたんだけど。あれ、ウソだよね」
 どうやら、田中さんはヨウのことを優しいと疑っていないようで、首をかしげている。ヨウが言っていることにウソはなく、ヨウは田中さんにしか優しくない。……いや、田中さん以外には、容赦ないんだ。客ですら、殴る蹴るの暴行をするのだから。
「ど、どうだろうね」
「マスターはヨウ君と付き合い長いんでしょう? 性格ぐらい、熟知してるよねぇ」
 はぐらかされるのは嫌なようで、田中さんの尋問が続く。幸せオーラを振りまいている田中さんに目をつけた人が、ボックス席から立ち上がって近づいてくる。あー、近づいてきたら、ヨウに闇討ちされるぞと思いながらも、この店のマスターとして止めることは出来なかった。
「……一人?」
 高そうなスーツを纏った青年が、田中さんの隣に座った。田中さんの隣に人が座るのは珍しく、声をかけられた田中さん自身も驚いた顔で「……いや、一人じゃ」と言って、ヨウが消えて行った店の裏を見つめる。早く帰って来いと思いながらも、この場を目にしたらヨウが怒り狂いそうなので帰ってくるなとも思った。
「どうしたの、店の奥なんて覗いちゃって。マスターは目の前にいるじゃん」
「いや、ちがっ。俺は、ヨウ君と……」
 田中さんがヨウ君と言った途端に、青年の目の色が変わった。ガタと立ち上がって、青年は「よ、ヨウの連れかよ……!」と言って俺を見た。コクンと縦に首を振ると、一目散にこの場から逃げ出した。良かった、ヨウの怖さを知っていてくれて。状況を把握していない田中さんは「え? え?」と、走り去っていった青年と俺を交互に見て、目を丸くしていた。アナタにだけ優しい恋人にビビッて逃げたんですよーと言ってやりたかったが、それを言えば俺の命が無いから言わずににっこりと微笑んだ。
「ねぇ、マスター」
「何ですか、田中さん」
「ヨウ君って一体、何者?」
 ついに様子が可笑しいと分かったのか、田中さんは目を丸くしたまま、俺を見ている。俺は相変わらず、「さぁ?」と首を傾げて、それ以上追求してこないように笑みを向ける。まだ、希望は持っていてほしいと思う。……それに、友人の幸せを、俺が壊したりなんて、出来っこなかった。
「恭平。交代」
「ん、分かった」
「……お前、何もしてねぇよな」
 近づいてくるなりに耳元でそう囁くヨウの表情は鬼のようで、俺はぶんぶんと手を振りながら「まっさかー」と言う。俺達のやり取りを見て、田中さんは首を傾げていた。
「お待たせしました、田中さん」
 そんな田中さんの表情を見て、ヨウが笑顔を向ける。ああ、何て眩しい笑顔なんだろう。こんな笑顔、田中さんの前でしか見れないんだろうなと思って、俺は笑ってしまう。誰にでも本気になれず、人とは遊ぶだけの関係を結んでいたヨウが、優しくしてしまうぐらい本気なんだ。
 変化と言うより、変身したように見える。
「ヨウ、もう上がって良いよ」
「……え?」
「田中さんと一緒に飲みなよ」
 店自体、そんなに忙しくないし、閉店まで時間もあるわけじゃないからそういうと、ヨウは「良いの?」と言って俺の目を見ている。少しぐらいは本当の優しさと言うものを、ヨウにも見せた方が良いと思って「イイよ」と言い、奥へ行くように背中を押した。
「……忙しくなったら、手伝うから」
「この時間から忙しくなるほうがこえーよ。ほら、着替えてこいって」
 もう一度、次は戻ってくるなと言うように背中を叩くと、ヨウは一度俺を見てから、そそくさと店の奥へと消えて行った。
「ごめんね、マスター」
「ん? 何がです?」
 話しかけてきた田中さんの方を見ると、田中さんまでヨウと同じ顔をして俺を見ている。全く、カップル揃ってそんな申し訳なさそうな顔をされたら、俺のしたことが悪いこと見たいに思えてきた。気を遣ったわけじゃない。ヨウが田中さんの前ではどんな顔をするのか、見てみたかっただけだ。
「気を遣わせてるなぁって思って」
「いや、良いんですよ。仲良しなところを見せてもらいたいんでね」
「仲良しだなんて……」
 恥ずかしいと、田中さんは俯いた。二人ともいい歳をしているんだから、付き合い立てのカップルみたいな雰囲気は醸し出していないと思う。ヨウは一応、仕事とプライベートを割り切っているようだし、田中さんもいつも通りだ。時たま見せる、ヨウの柔らかい笑顔にはビビったけれど、田中さんに近づこうとする輩を睨みつける目はいつも通りだった。
 アレを見た時も、俺は少し笑ってしまったように思う。
「ねぇ、マスター」
「何ですか?」
「ヨウ君、俺には優しくすることしかできないって言ってたんだ。まぁ、それは俺が別の奴を好きだったって言う前提なんだけど……。ヨウ君は今まで、誰かに優しくすることしかできなかったの?」
 真面目な問いかけに、そりゃ、アンタだからだよと言いかけて口をつぐんだ。田中さんが好きになる相手はノンケばかりで、辛い恋愛をしてきたのは俺も知ってる話だ。それをヨウは、ずっと飽きずに聞いていた。だからなんだろう。この人だけには、優しく接したいと思ったはずだ。人になんか優しくしたことないヨウが、田中さんだけには優しくしていた理由は、この質問でよく分かった。
 上手くやっているように見えたけど、本命だけには不器用なのか。人にケンカを売ることは無くなったけど、買うときは二倍で買ってトコトン潰す。言いたいことはズバズバ言うし、客だろうが何だろうがお構いなしだったんだ。そんなヨウが、苦手分野でもある優しくするだけを選んだんだから、相当、好きだったんだろう。
 どうして、そう言うことを相談してくれなかったんだろうか。そこだけは解せなかった。
「いや。恋愛に関して、ヨウは上手くやってましたよ。これ、俺から聞いたって言っちゃダメですよ。……田中さんだけ、特別」
 カウンターに身を乗り出して耳打ちすると、田中さんは目を見開いてから笑った。
「特別……、かぁ」
「そうですよ」
 ニヤけている田中さんを見ると、田中さんも特別と言われて嬉しそうだ。俺を見てから笑って、俯いてからも肩が揺れていた。幸せオーラが全身からにじみ出ていて、ノンケばっかり好きになっちゃう不幸な体質もこれで改善されたように思う。その相手がヨウで良かったのかどうかは、田中さん次第。見ている限りでは、ヨウで良かったみたいだ。
 カランと扉に付いている鈴が鳴って、入り口を見ると荷物をまとめたヨウが息を切らしてカウンターにやってくる。
「お待たせしました、田中さん」
「いいよー。そんなに待ってないし。ね、マスター?」
 にっこりと笑みを浮かべる田中さんに、俺は少しだけ寒気を覚えた。ちらりとこちらを見たヨウが、俺を睨みつけている。あーあ、これで明日、何を話してたか問い詰められるんだろうなと思ったら、胃が痛くなった。田中さんに悪気が無いから、性質が悪い。
「う、うん……。そうだね、田中さん」
「恭平。アースクェークカクテル、二つ」
「……え」
 真顔で頼んできたヨウを見て、瞬きをした。地震カクテルと言われるほど、度数が強く辛口だ。甘さなんて一切ないこのカクテルを頼むなんて、やはり、容赦なさは田中さんにもある様に見えた。
「それ、どんなカクテル?」
「……飲んでみたら分かりますよ」
 にーっと笑ったヨウを見て、俺も田中さんも同じ顔をした。言われてしまった以上、俺は作らなければいけないと思って、シェーカーを用意する。アースクェークなんて、酔わすために飲ましているとしか思えなかった。
 現に田中さんは結構、飲んでいるって言うのに……。
「畏まりましたー……」
 それを作らなければどんな目に遭うか分からない。俺はドライジンとウイスキー、ペルノを出して、それをシェークした。カクテルグラスを二つ用意して、シェークしたのを注いで前へ出す。淡い黄色のカクテルを見つめて、田中さんは「美味しそうだねぇ」と言って口に付ける。
「ぶっ!!!!」
 油断して飲んでいたのか、田中さんはむせてゴホゴホと言っている。ヨウはそれを見て笑いながら「どうしたんですか」と田中さんの背中を撫でた。これは確実に確信犯だと思いながら、俺は黙ってシェーカーを片づける。
「こ、これっ……」
「アースクェーク。地震って言う意味ですよ、田中さん。震えたでしょ?」
 ヨウはにっこりと笑って田中さんを見ている。垣間見えたドSに驚きながらも、田中さんは「うん……。がっつりきた……」と頭をふらふらさせながら答えていた。
 可哀想だと思ったけれど、ヨウも田中さんも楽しそうだから、俺が口出しをする必要はないと思った。そのドSに愛想を尽かさなきゃ良いけど……。
「さ、そろそろ店閉めるから。ヨウも田中さんも……」
「店、閉めるだけだろ? 飲みたかったら俺が作るから、勝手に閉めて」
 はっきりとそう言われて、俺は項垂れた。今日は金曜日で、田中さんは明日仕事が無い。これは酔いつぶれるまで飲まされるんだろうなと思いながら、俺は「分かった」と返事をしてカウンターから入口へと移動する。
「あ、恭平」
 入口の前まで移動したところで、ヨウに止められた。振り向いてヨウを見ると、ヨウはニヤリと笑って入り口を指さす。
「ん?」
「……外、来てたぞ」
「うっそん」
 俺がドアを開ける前に、ドアをあけられて顔面を思いっきりぶつけた。「ぶっ!」と情けない悲鳴を漏らして顔を上げると、目の前には美女が立っている。
 満面の笑みを浮かべられて、俺も一緒になって笑みを浮かべた。
 ヨウがカウンターで田中さんとこそこそ話をしているのが、ちょっとだけ聞えた。

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