実りの秋 1
取り繕うつもりなど更々なかったから、仕事をやめた理由をあっさり簡潔に述べたら、滅多に表情を変えない従兄弟は分かりやすいぐらい不可解な顔をした。いつまでも清く正しい兄のような存在だと思い込んでいたのだろうか。本当に彼は愚かで可哀想だ。そうさせたのは紛れも無く僕だったけれど。
強い感情を向けられるのは快感だった。もちろんそれが愛情だったり嫉妬だったり向けられる色はそれぞれだが、荒れた海のような気持ちに身を委ねるのはとても楽しい。そんな僕の歪んだ気持ちにマサは振り回されている。そろそろ潮時なのかもしれない、と思っていた。
マサのことが好きだ。しかし彼の気持ちを受け入れたくない。矛盾しているこんな感情を理解してくれとは言わない。それに伝えるつもりもなかった。
春にこの町に戻ってきてから、マサと接する機会が増えた。僕へ対する感情は知っていたから近づいてくるのも目に見えていたし、僕としてもマサと一緒に居るのは楽しいし嬉しくなる。
十五年ぶりにここへ戻ってきた理由はマサがいたからだ。十五年ぶりに会ったマサは僕の理想通りの男になっていて僕は二度目の恋に落ちた。そして彼が僕に対する感情を未だに持っていたのも大いにある。マサは九歳の頃と変わらない好意を僕に持ち続けている。……僕と一緒だった。
本来であれば両想いなのだから僕がマサの気持ちを受けてやるべきだろうが、やはりそこは従兄弟だし、何より僕のせいでマサまでも親戚共から批難の目で見られるのは耐えられなかった。もちろん、そこは黙っていれば分からないだろうけれど、確証なんて無い。
男を好きになると気付いてから、僕はいろんな男と遊んできた。高校、大学、社会人と乱れた性生活を送ってきた僕に、今更、好きな人と一緒になりたいなんて願望は抱けない。むしろ、好きだと思うからこそ、付き合いたいなんて思えなかった。
そんな風に思っていても、体を重ねてしまえば意味はない。困った顔をするマサを見てにこりと微笑む。あの頃から変わらないマサにだけ向ける笑顔だ。
「もう、こういうことはやめようか」
あっさり言うと、マサは「え」と言って顔を上げる。酷く傷ついた顔をして、それから慌てて僕に謝った。悪いことなんて一つもしてないのに、どうしてマサはこんなにあっさり非を認めてしまうんだろう。
「ごめん、カズ兄。……俺、鬱陶しかった」
「そんなことないよ」
「ごめん……。もう聞かないから……」
もう聞かないから、そんなこと言わないで。
マサは悪いことをした子供のように小さい声でそう言った。そんな意味で言ったわけではないのに、泣きそうな顔を見てたらとんでもなく悪いことを言った気分になって俯いた。もう戻れないところまで来てしまったのかもしれない。
僕の間違いは、十五年ぶりの再会をした後、彼に抱かれてしまったことだ。あれから全てがおかしい。体が大きくなったマサはしっかりとした大人になって僕の理想だった。きっとちゃらちゃらしたフリーターでも僕の理想だっただろう。こんなことなら合わなければよかった。しかし長い年月、マサのことばかり考えていた僕は我慢が出来なくなっていた。会いたくて仕方なかった。
「僕はね、聞いたことを怒ってるんじゃないんだ」
「どういうこと」
「僕らは普通の従兄弟に戻るべき、だと思うよ」
「どうして?」
「だって僕らは従兄弟じゃないか」
「カズ兄、言ってることが分からない」
「僕はマサを恋人として見れないってことだよ」
はっきり言うと、マサは「分かった」と頷いた。泣きそうな声をしていたが、やっぱりマサは男の子だし、僕の前では決して泣いてはいけないと思ったんだろう。それからは居た堪れなくなったのか「帰る」と言って立ち上がった。もう彼が誘ってくることはないだろう。
自分で決めておきながら、僕は少しだけ泣いた。
ばさりとかなりの重量感のある書類を机の上に置いた。予想した通り、マサから連絡はない。昇進している僕はそれを忘れるために仕事へ打ち込んだ。心身的な寂しさを紛らわすのは忙しさに限る。今日も十時近くまで残業をしてから家路に着いた。
今日は金曜日だ。マサと話をしてからそろそろ二週間が経とうとしている。前の職場の後輩がこっちへやってきてからマサは頻繁に連絡をしてきた。それが嫉妬だと言うのは勘付いていたし、そうやって僕に必死になるマサが愛らしかった。それを楽しんでしまったのがそもそもの発端だった。最初からしっかり断っておけば誰も傷つかずに済んだ。僕もここまで深い傷は負わなかっただろう。
自分を正当化するつもりは更々ないし、マサにはとても悪いことをしたと思っている。しかし僕は思っているだけでそれを報わせてやろうなんて上から目線の思考はないし、何よりマサと付き合うことが僕への何よりの褒美になってしまう。そんなこと、出来る筈がなかった。
日が経つごとに風はどんどんと乾燥して冷たくなっていく。そろそろ秋が近づこうとしている。
コンビニで缶ビールを数本と弁当、そして手軽に摘めそうなものをいくつか購入してから家へ帰る。僕の浅はかさは家探しにも出ていて、何となく近くが良いからと僕はマサの家の近くに借りてしまった。今になってそれを後悔している。そう、まさに今だ。
スーツの上着を肩に掛けてマサが誰かと一緒に居た。白いスカートに淡い色の靴。背中まで伸びた髪の毛が歩くたびに揺れている。後ろから見るだけで彼女のスタイルの良さが伺えた。ああ言う女の子が好みなのか。顔を見てないから分からないが、あの後ろ姿から察するに結構な美人と判断した。
会社の同僚なのか、マサはアパートの前を通り過ぎた。マサの家に入らなかったことに安堵して、僕はそそくさと逃げるようにアパートの敷地に入りこんだ。家が近くて帰りが一緒になったから送って行ってるだけなのか、とにかく、僕はそれ以上を考えずに部屋に入るとすぐに鍵を掛けて部屋の明かりを付けた。乱暴にコンビニ弁当をレンジに突っ込んだ。
バカみたいな嫉妬をした。あんな女の子よりも僕はマサを悦ばせてやれるって。でも、僕が彼女より特化しているのはベッドの上だけで、それ以外は何も勝てないに違いない。あんな顔をさせてしまう僕がマサを幸せになんかできない。彼は僕と付き合えば毎日悩むことだろう。そんな苦しい思いはさせたくない。
テレビを見ながら弁当を食べているとチャイムが鳴った。てっきりマサかと思って勢いよく立ち上がり、玄関前に来てから疑問を抱いた。マサがうちへ来る場合、大体は携帯で連絡してきた。もう一度、ピンポンが鳴らされる。そっとドアスコープを覗いてみると、そこには前の職場の後輩の姿があった。
もうここへ来てはいけないと伝えたはずなのに。僕は右手で解錠してドアノブを握りしめる。
「……どうしたの、井上君」
「もう……、我慢できないんです」
井上君は僕の顔を見るなりに抱きついてきた。ふと、僕は彼に刺されるんじゃないかと、今時二時間ドラマでもやらないような陳腐な想像をしてしまった。腹部に違和感はない。ぐずる子供のように井上君は抱きつくなりに泣き始めた。一体、どうしたんだろうか。僕はゆっくりと彼の背中を撫でる。カツンと革靴の音が聞こえて、僕はまず井上君を部屋の中に入れた。このアパートは僕と同じように独身者がほとんどだ。さすがに男同士が抱きあってるシーンを住民に見られたくない。さっとドアを閉めようと思って階段の方を見る。そこには見慣れた顔があった。でも僕はそれに気付かなかったふりをしてドアを閉めた。
ほとんど寝静まっているせいで、ドアの音はかなり響いた。それに加えてこのアパートは壁が薄いから、階段を降りる足音まで丁寧に教えてくれる。僕を見て泣いている井上君を見て、僕の方が泣きたいと思った。
「とりあえず上がりな」
「突然、押しかけちゃってすみません」
そう思うならやめてくれ、と思いつつ、僕は冷蔵庫の中からビールを取りだした。僕のビールはさっき開けたばかりだから、これは井上君の分だ。ベッドの上に放置された携帯に視線を移す。メールや着信が入ってるかとお知らせランプを見つめるが点滅しなかった。
「井上君、何があったの?」
彼がここへ来た理由はある程度想像できていた。僕と付き合っていたのを上司に知られて嫌がらせでも受けてるのだろう。まさにその通りの言葉を井上君は泣きじゃくりながら話してくれた。
チンコも小さければ、器も小さい上司らしい嫌がらせだ。僕が辞めたのを井上君のせいにした挙げ句、仕事を与えずに干すなんてやってることが小さすぎてため息しか出てこない。しかし働き盛りの井上君にとってそれが一番の苦痛だと分かっている辺りがやらしい。
「嫌ならやめちゃいな。井上君ならどこでも拾ってくれるでしょう。英語出来るし」
「……でも」
「ここで泣いてても解決しないよ」
僕は上司にも井上君にも優しさを見せたことは微塵もない。なのにこの二人が僕に執着した理由は分からない。ぐっと息を詰まらせた井上君は手の甲で涙を拭って僕を見た。マサより二つも年上なのに、井上君はまるで子供のようだ。マサはいつでも聞きわけの良い子供だった。
そう言えば、そろそろマサの誕生日だ。今年こそは祝ってやろうと思っていたのに、どうやらそれも叶わないだろう。僕の三十四の誕生日はそれなりに祝ってもらったと言うのに。
「先輩、ここで働いてるんですよね」
「……来るつもり?」
「先輩が、誰とも付き合ってないなら、ヨリ戻してくださいよ。先輩のところじゃなくても、ここで、仕事探します」
井上君の目は真剣だった。それを見て僕はとんでもなく面倒くさいと思った。しかし断る理由が上手く思い付かなかった。
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