実りの秋 2


 会社で起こしたトラブルが気になって、ほとぼりが冷めた頃に聞いてみたら、あっさりと答えを言ってくれた。それが想像してたのと全然違う結果だったことに驚いてしまうと、カズ兄は俺を見て笑った。その後、こんなことはやめようと言われて、俺は聞いちゃいけなかったのだと後悔したが、どうやらカズ兄はそんなつもりで言ったわけではなく、俺を男として見れないとはっきり言われた。
 そう言われてはどうしようもない。だが簡単に諦められるほど融通の利く男でもなく、とりあえず距離を置こうと思った。
 けれどどうも俺は諦めの悪い男のようで、嫌な顔をされると分かりつつもカズ兄のアパートへ行くと、この前、道端で痴話げんかしていた昔の男と抱き合っていた。
 何なんだ、これは。諦めつかない惨めな気持ちばかりが俺の内に溜まっていく。二股がバレて仕事をやめたカズ兄がどんな人間なのか、俺はちょっとずつ分かり始めたと言うのに、それでも諦められない俺の意固地な初恋は、どんどんとあの頃に抱いた理想とかけ離れてるカズ兄にむしろ最初よりも強く執着している。
 一途で誠実だと思っていたカズ兄は、ただの淫乱だった。しかも二股してたのを悪びれてないなんて、こっちが驚きだ。あの男にフラれてからやきが回ったのか。俺は欲求を解消する棒でも良かったのに、カズ兄はそれでも俺を選んでくれなかった。
 そろそろ潮時なのかもしれない。時間をかけてでも忘れるべきだと自分に言い聞かせた。


 俺のいいところは何を考えていようが顔に出ないところだ。正直、かなり傷心しているが、何を考えていようとそれを悟られることはなかった。下手に心配されたりとか事情を根掘り葉掘り聞かれるのは嫌いだから丁度良かった。
 仕事が一段落ついたから、一回、社に戻ろうと思い営業車に乗り込む。既に十月だというのに、今日は真夏日を記録してくれたおかげでかなり暑かった。
 そう言えば、去年、カズ兄と会ったときも暑かったっけ。
 キーを回しながらそんなことを考える。ちょっと古い営業車はエンジンのかかりが悪くて、カカカカと妙に高い音を立ててうんともすんとも言わなくなる。真夏のような日差しが車内を照らしているせいでサウナのようだ。一旦、ドアを開けて換気する。どうしたものか。もう一度やってみるもの、結果は同じだった。
 上司には前々から調子が悪い旨を説明していたから、連絡を入れるとすぐに修理を手配してくれた。こんなことになるなら、さっさとやってくれていればよかったのに、と言いたくなったが、俺もまさかこんなタイミングで壊れると思っていなかったから同じだ。業者が引き取りに来てバッテリーなどを調べ、エンジンに異常があるかもしれないと言って動かない車を引っ張っていった。
 となると俺はバスに乗って会社へ戻らなければならない。特に今日は顧客との約束もないし、定時で帰ろうと思っていたから丁度いい。上着を肩に掛けて歩き出した。
「……マサ?」
 聞き慣れた声がして驚いた。あぁ、そう言えば、この辺はカズ兄の職場だったっけ。振り返るとカズ兄はしっかりスーツの上着を羽織って他の男と一緒にいた。隣にいる上司なんだか後輩なんだかよく分からない奴に声を掛け、それからすぐに二人は別れる。
「どうしたの、こんなところで」
 カズ兄は俺のところへ駆け寄ってきた。従兄弟に戻ろうといったときと同じ表情同じ声音。あぁ、カズ兄は俺のことを何とも思っていなかったんだと思い知らされる。こんな表情、声音一つでかなり傷つけられているのに、まだ仄かな限りない可能性に賭けて、俺はいつも通りに接しようと心中で努力する。俺のことだからそんなのも顔に出ない。
「仕事中。会社に戻ろうと思ったらエンジンかからなくなっちゃってその処理してたんだ」
「車は?」
「さっき業者が引き取った」
「マサの会社は……、ここからだとバス?」
「かな」
 ブオンと大きいエンジン音が聞こえて道路を見ると、まさに俺が乗ろうとしていたバスが横切っていく。
「……タイミング悪いな」
 ついつい愚痴ってしまうと、カズ兄は「ほんとだね」と呟く。
「日ごろの行いだ」
 思ったことをそのまま口にするとカズ兄が打たれたようにハッとして顔を上げた。カズ兄に俺の気持ちを受け入れてもらえないのも、はっきり無理だと言われてるのに諦められないのも、車のエンジンがこんなところで壊れてしまうのも、バスが通り過ぎて待たなければいけないのも……。
 全部、俺の日ごろの行いが悪いせいだと思った。
 現に車が壊れなければ、俺とカズ兄がこんなところで会うことはなかった。さっさと車に乗り込んで、今頃、会社に着いていたはずだ。なのにエンジンが掛からなくなって、上司に連絡をして、それから業者が来るまで待って、と、本当に散々だった。
「……何それ、どうしたの?」
「いや、ただちょっと感傷的になってるのかもしれない。秋だし」
「今日はちょっと暑いけど、風はもう冷たくなってきてるもんね」
「カズ兄、戻らなくて良いの? 仕事中でしょ」
 そろそろ従兄弟を演じる俺がしんどくなってきた。それに感づいたのか、カズ兄は困ったような傷ついてるような顔で俺を見る。
「え、あ……、うん。そうだね。マサはどうするの?」
「バス、待つよ」
「ん、じゃあ、僕もそろそろ行こうかな。……あ、マサ、今度の金曜さ」
「ごめん。俺、誘われても行かない」
 線引きははっきりしておくべきだと思った。カズ兄に誘われるのは初めてだし、もちろん、嬉しいと思った。だがきっと、俺はその嬉しさのあまり、カズ兄に言われたことを忘れてしまう。そしてカズ兄は優しいからその俺の欲望や感情を受け止めてしまうだろう。すればまたずるずると続いていくだけだ。
 カズ兄は俺を見て、痛々しいぐらい無理やりに笑った。
「そっか。……そう、だよね。じゃあ、仕事、頑張って」
「カズ兄も」
 手を振るカズ兄に、俺も同じ事をして遠ざかっていく背中を見つめた。あんな表情、セコイと思った。戻るべきだといい始めたのはカズ兄なのに、どうして今頃になって俺を誘ったりする。なんであんな傷ついてる顔をするんだ。これではまるで俺が、あの時カズ兄を泣かせたあの男みたいじゃないか。ピタリとカズ兄の足が止まる。俺はカバンと上着をその場に落として駆け出した。
「……カズ兄?!」
「ご、ごめ……。何でもないんだ。埃が目に、入って……」
 兎のように真っ赤な目が俺を捉える。ダメだ。理性がぐらつく。
「都合がいいってのも分かってる。僕が言い出したのに僕がこんなことしちゃいけないのも分かってる。マサの優しさに甘えてしまったところから、僕の間違いが始まってた。ごめん、マサ。僕はキミを傷つけてばかりだ。優しくしたいのに、優しくできない」
「カズ兄は十分に優しい」
「違う。僕はマサを弄んだんだ。全然優しくない。キミが思ってるより、最低な人間なんだ。浅はかで思慮が足らなくて、自己中心的で寂しかったら誰とでも寝る」
「分かってる」
 両手で顔を覆っていたカズ兄がピタリと黙り込んで俺を見る。
「俺はもう何も知らない子供じゃない。カズ兄がどんなことをして何を考えてたのかある程度は想像できる歳になった。その上で、俺は遊びでも構わないと思っていた。……カズ兄の傍にいたかった」
 何かを話そうとしてるのか、カズ兄の唇が震える。しかし嗚咽しか漏らさないから何を言いたいのか俺には分からない。ちらりと左腕についた時計を見る。午後二時。お互い社会人で仕事中である中、このままどっかへ行くわけにもいかない。けれどカズ兄を放っておけないし、俺はこの状態で仕事が出来るほど割り切れる人間でもない。
 一旦、カズ兄から離れて、ほっぽって来た上着とカバンを取りに行く。スーツの上着に入れてある携帯を取り出して上司に偶然道端で会った親戚が具合悪いと言って倒れそうなので病院に付き添う、と説明した。上司は半信半疑だったが、そこは日ごろの行いのよさが出たというか、従順な部下だったのが功をなした。午後から有給の処理をしてくれた。
「カズ兄、俺んち行こう」
「……え、でも、マサ。仕事は?」
「半休にした。カズ兄も、休み、とって」
「う、ん……、分かった」
 のろのろと起き上がったカズ兄はさっきまで子供のように泣いていたとは思えないほど凛とした態度で物凄いウソを吐いていた。また一つ俺の理想がぶっ壊されたわけだが、それでも嫌悪感などは抱かず、どちらかと言うとそんな一面を見せてくれることに安堵した。
 電話を切り終えるとカズ兄は俺を見る。
「幻滅した?」
 俺は驚いた顔をしていたのだろう。カズ兄はニコリと笑って、その言葉を肯定してほしいと目で訴える。きっとここで俺がそれを受け入れれば、カズ兄はまた泣いてしまうだろう。
「しない」
 俺ははっきりと言う。
「カズ兄が好きだから、幻滅なんてしない」
 取り繕っていようが、本心を曝け出そうが、それがカズ兄であるなら、俺は嫌いになったりなんかしない。それほど、彼のことが好きでたまらなかった。

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