生意気な後輩


 仕事の出来も顔も背格好も良い奴が、性格まで良いと完璧と呼ばれるわけだが、俺の知り合いと言うか後輩はどうも残念な奴で最初の三つまではクリアしたんだから、いっそのこと最後も華麗にクリアしてもらいたいけれど、やっぱり何でも出来る奴ってのは性格も悪いのか、俺の後輩は仕事も出来て顔も背格好も良いのに、性格だけは最悪だった。
「好きの反対? そりゃ、嫌いだろ」
 タバコを吸っていると、同僚から意味不明な質問をされた。好きの反対は何か、と聞かれたわけだが、嫌い以外に答えはあるのか。大きく空気と一緒に煙を吸いこんで、ゆっくりと吐き出す。同僚は面白そうに笑っていた。
「お前らしい答えだ」
「は? 俺らしいって何だよ。お前はどう思ってんだ」
 他にも答えがあるなら聞いてみたいと問い詰めると、同僚は逃げるようにタバコを灰皿に捨ててそそくさと出て行ってしまう。そうなると俺もこの場に居づらくなって、吸いかけのタバコを灰皿に落とす。喫煙所から出ると冷たい空気が足元を掠めた。そろそろ冬本番だ。廊下は室内よりも幾分か、温度が低めだった。
 オフィスに戻ろうと廊下を歩いていると、曲がり角で見知った奴と遭遇する。見た途端に俺は顔を顰め、相手も顔を顰める。
「また、タバコ休憩でサボりですか」
 さっそく嫌味を言われて、「今日は初めての休憩だよ」と返す。けれどコイツの言うことは間違ってなくて、喫煙者はタバコを吸いに行くのを理由に仕事をサボれるわけだが、非喫煙者のコイツ、後輩の白鳥は昼まで休憩は取れない。嫌味を言われる理由は分からなくもないが、コイツは俺だけに文句を言うからムカつく。
「ま、三枝先輩がタバコを一本吸っている間に、俺は仕事をこなして追い抜いていくだけなんで、どうぞ何十本でも吸って下さい」
「……うぜ」
 ついつい本音を漏らすと白鳥は鼻で笑って、俺の隣を通り過ぎる。俺のことが気に食わないなら気に食わないで無視すればいいものを、わざわざ俺に突っかかって来るから余計にムカつく。元々、俺は白鳥の教育係として半年ほど仕事を教えていた。受け持った新人は数人いたけれど、白鳥の仕事の早さは群を抜いていた。それは予想以上であまりにもあっさりこなしてしまうから、一年掛かる新人教育もその半分で終わってしまった。それからは俺が片手間に面倒を見ながら実務をしていたのだが、それも一月ぐらいで報告を受けるだけでよくなった。本当に優秀な新人だった。
 白鳥とは新人教育が始まってから半月ぐらいで打ち解けた。要領も良いし、物覚えも良いし、何より仕事と言うのを良く分かっていた。当時の白鳥も俺に対してそれなりの敬意とか持っていたみたいで懐いてくれてたから、二人で飲みに行ったりもしたし特別扱いはしてなかったけれど白鳥のことは気に入っていた。
 なのにいつしか白鳥の態度が素気なくなって、どんどんと俺に嫌味を言うようになった。きっかけは白鳥が独り立ちしてちょっと経った頃に、仕事でミスをした。ミスした箇所については教えてはいたけど俺の教えが悪かったのかもしれないと思って、部長と課長に怒られてる中、会議室に突入して俺が悪かったのだと二人に訴えた。会社にも損失を出したってことで、俺は三ヶ月の減給。白鳥はお咎めなしだった。周りはそこまですることねーよ、と言っていたけど、俺が無視しきれなかった。最初は申し訳なさそうな顔をしていた白鳥も、俺のことをチョロイと思ったのか、それからやたらとキツイ口調で話すことが増えた。
 それで今だ。顔を合わすたびに嫌味を言われる毎日。そこまで嫌われるようなことをした記憶はないが、白鳥があんな態度を見せるってことは、何か気に入らないことをしてるのだろう。分からないから無視してるけど、俺にだって我慢の限界と言うのがあって、逐一言われるのは鬱陶しい。だからあまり白鳥とは関わらないようにしているけれど、同じ部署だから顔は毎日合わせる。廊下を歩いていれば出くわす。俺が愚痴ってるとなぜか白鳥が聞いてる。会わないように努力してるのに、居場所が近いからどうしても顔を合わせてしまうのが現実だった。
 先週の金曜、俺の同期と後輩数人で飲みに行った。白鳥はどうするんだと思っていたら、後輩が気を遣って誘わなかったようだ。俺としては来ようがこまいがどっちでも良かったけど、白鳥の同期が全員来てるのに白鳥だけってのも仲間外れみたいで嫌だった。その後、白鳥もこの飲み会を知ってると聞いて申し訳ない気持ちに駆られた。一言でも声を掛ければ良かったと。まだ仕事してると聞いて、謝りに行こうと思った。その気持ちはよく分からない。嫌味を言われるって分かっていたけど、俺がすっきりしたいだけだからあまり気にしていなかった。
 いつもの調子で飲んでいたら、いつも通りに酔っ払った。白鳥の所へ行こうと思って、それからどうしたのか俺は全く覚えていない。気付けば部屋のベッドで寝ていて、ご丁寧にもコートとスーツの上着はハンガーに掛けていた。それから家のポストに鍵が入ってるのを見つけて、誰かに送ってもらったのだと分かった。送ってくれたのは誰だったのか。俺が泥酔してわざわざ家まで送ってくれる人なんて、一人しか思いつかなかった。
 でも、その答えは、確実にあり得ない。
「おい、井本」
 白鳥の同期でそこそこ仲の良い井本に話しかけると、手を止めて振りかえる。
「何ですか?」
「俺、金曜、どうやって帰った? マジで記憶ないんだけど」
 この拭いきれないモヤモヤとした気持ちをどうにか解消させたくて色んな人に聞きまわっている。井本はニヤリと笑って、斜め向こうを見た。
「タクシーで帰ってましたよ。三枝先輩って普通の顔してるから酔っ払ってるかどうか、分からないんですよね」
 笑顔でそう言われても、疑問は払拭しきれず首を傾げる。
「郵便受けに鍵、入ってたんだよ。んなこと、自分じゃしないだろ? だから誰かに送ってもらったのは確かだと思うんだけど、同期はみんな違うって言うし。残りはお前らだけなんだよな」
「えぇー、家入ったら郵便物チェックするでしょ? その時に鍵落としたんじゃないんですか?」
「郵便物入ってたんだよなぁ」
「酔っ払ってたんでしょ? 酔ってるときほど意味不明な行動しますって」
 あははと笑いながら、井本はちらちらとどこかを見ていた。その視線の先はよく分からなくて、俺は不満を抱えたまま自分のデスクへ戻る。酔っ払ったからと言って意味不明な行動はあまりしないと思う。飲んで帰ってコート着たままよく寝てしまう俺が、きっちりとコートもスーツの上着もハンガーにかけてるなんてあり得ない。
 誰かが送ってくれたはずなのに、周りは違うと言う。隠しているのかそれとも俺の疑問が可笑しいだけなのか。同期と飲みに行っても、後輩と行っても上司と行っても、酔っ払った俺を送ってくれた人は、今まで白鳥しかいない。だから多分、白鳥なんだろうけど、俺は確信が持てなかった。持てないからこそ、白鳥にありがとうなんて言いたくなかった。ムカつくし。
 仕事をしている最中も俺の思考を占拠したのは、誰が送ってくれたかってことだ。はっきりしないことは嫌いだから、出来れば今日中にでもはっきりさせたい。そんなことを考えながら、ガタガタとキーボードを打つ。
「三枝先輩」
 いきなり声を掛けられて少しびっくりする。振りかえると不機嫌そうな顔をした白鳥が立っている。一体、何の用だと身構えると、持っていた書類を差し出された。それを受け取って目を通す。
「……何だこれ」
「仕事ですよ」
 言われなくてもそれは十分に分かっているが、俺の担当ではない。
「これ、俺の担当なんですけど」
 ぶっきら棒に話しだした白鳥を見つめて、俺は次の言葉を待つ。
「主任に見せたら、三枝先輩が文書作るの上手いから教えて貰えって言われたんです」
「……はぁ」
 どうして主任はわざわざ俺を指名したのか。視線を向けるとにこりと笑われて、すぐに逸らされた。俺と白鳥の仲が悪いってのは、このオフィスにいる全員が知ってるのにどうしてわざわざそんなことを。俺が睨むと分かっているから主任は視線を逸らすんだ。卑怯だと思った。
「で、どういう文書作るんだよ。それに俺、別に得意ってわけじゃねーから」
「案内書とあとは商品についての説明です。……こう言うことするの初めてなんで」
 お願いします、と小さい声が聞える。あぁ、俺にお願いするの本当に嫌なんだな、と思ったけどわざわざここまで来たんだから俺もガキみたいなことをしてはいけない。受け取った書類とノート、シャーペンを持って立ち上がる。
「向こう行こう。ここでごちゃごちゃやっても邪魔だろ」
「そうですね」
 課長に隣の会議室を借りると伝えて鍵を貰い、白鳥と二人で会議室に入る。二人でこうやって話をするのは何ヶ月振りだろうか。いや、下手したら年単位な気がする。白鳥は性格こそは最悪だが、仕事は凄く出来るし客からの評判もいい。だから俺が教えることは半年で終わってしまったし、それからも口出ししなきゃいけないようなこともなかったし、白鳥は生意気な口ばっかり利くから話す回数も減った。
 白鳥が持ってきた書類を見つめ、どういう文書を作るのか説明を聞く。白鳥の説明は分かりやすくて、何をしようとしてるのかすぐに分かった。というか、白鳥は別に文書作るの苦手ではなかったはずだ。だから俺がわざわざ教えてやることもない。要点だけ教えると白鳥はすぐに取りかかった。この様子だったら会議室を借りることもなかった。
「……別に俺が教えなくても大丈夫じゃねーか」
 つい思ってることを言葉に出してしまうと、白鳥が顔を上げる。嫌味でも言われるかと思ってたけど、すぐに俺から目を逸らしてガリガリとシャーペンを動かし始めてしまう。なんだか調子が変だ。今日は嫌味にキレがない。まぁ、コイツからお願い事をしてくる自体、可笑しいっちゃぁ可笑しいわけだが。
「……そう言えば、先週の金曜日に井本たちと飲みに行ったんですってね」
 低い声が聞こえて、白鳥を見る。書類に目を落としているから、俯いていて表情は分からない。だから俺がぎくりとしたのも、白鳥には感付かれて無いはずだ。
「あー、そうだな。誘わなくて悪かったな。まさか、お前に声掛かってないとは思わなかった」
「別に良いですよ。無理に誘わなくて」
「無理にってわけじゃねーよ」
「だって三枝先輩は俺のこと、嫌いでしょう」
 白鳥が顔を上げて真っすぐ俺を見る。嫌いなのは俺じゃなくて、お前の方ではないのかと。そう聞こうと思ったけど、白鳥のどこか辛そうな顔を見てたら聞くに聞けなかった。
「……嫌いってわけじゃ、ねーよ。ムカつくだけで」
 いつも嫌味を言われるたびに白鳥のことを嫌いだと思うのに、どうしてここでは嫌いではないと答えてしまったのか。自嘲するような笑顔を見せた白鳥は、またノートに視線を落とす。
「それって嫌いってことでしょう」
 言い切られて反論が出来なかった。好きの反対は、嫌いだ。確かに俺は白鳥のことが好きではないし、生意気だと思ってる。だから嫌いになってしまうんだろう。答えとしては間違ってないのに、違うと訴える自分も居てなんだか奇妙だ。
「ま、嫌われるようなことをしてるのは俺なんで、三枝先輩にどう思われてようがどうでも良いですけど」
 俺には興味もないって言い方だ。きっと俺に話しかけてきたのも、主任に言われたからだろう。そうでなかったらいちいち俺の所へ来て、話しかけもしなかった。嫌いからついには興味も無くなってしまったのか。そう言えば、今朝、同期の斎藤が「好きの反対は何だと思う?」って聞いてきたけど、その答えがようやく分かった。
 好きの反対は嫌いではない。興味が無い、だ。
「……じゃぁ、いちいち俺に突っかかってきたりするなよ。俺のこと、興味も何も無いんだろ?」
「え、ち……、……」
 俺の声に驚いたのか、白鳥が顔を上げる。口ごもらせて何かを言おうとしたが、やめて視線を逸らす。それは肯定してるようにも見えた。
「俺を怒らせたいのか? 気にくわないなら無視してりゃー良いだろ」
「……本当に気に食わないなら、無視してますよ。こうやって教えてほしいなんか言いませんよ」
 白鳥は机を叩いて立ち上がる。どうしてコイツがキレてんのか分からなくて、俺は眉間に皺を寄せる。
「本当に嫌いだったら、わざわざ酔っ払ったアンタを家まで送ったりしない!」
 言うだけ言って、白鳥はノートと書類を持って会議室を出て行ってしまった。どうして俺がアイツにキレらんなきゃいけないのか。それと白鳥が俺を送っていったという事実に驚いて声が出ない。
 嫌いじゃないならどう言うことなんだ。嫌味ばっかり言って俺を怒らせるのに、嫌いじゃないって意味が分からない。しかも酔っ払った俺を送っていったのが白鳥って言うのもどう言うことだ。俺はなんで白鳥に送ってもらったんだ。
「……いみがわかんねぇ」
 頭が混乱する。誰か金曜にあったことを分かりやすく教えてくれ。

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