置き人形


 柚子が身代わりと言うなら、さしずめ僕は置き人形と言ったところだろうか。
 小さい頃からずっと柚子が傍にいて、嫌なことも全部、柚子がやってくれた。一応は柚子がお兄ちゃんってことになってるけど、僕は柚子のことを一度もお兄ちゃんだなんて思ったことはない。
「鈴。俺がなんとかするから、お前はなんも心配するな」
 僕がちょうど、本家へ連れて行かれる時、柚子はいつもと同じように僕の身代わりになることを選んだ。その選択に迷いなんてなくて、本当に僕のことを大切にしてくれてるのが伝わってくる。どうせ、何を言おうともこうなってしまった柚子に僕の意志は通じない。僕の代わりに行くことが、どういうことなのか柚子は絶対に分かってない。僕の体は確かに普通じゃない。けれど、そのことで悩んだりなんか、今まで一度もしたことがなかった。
 だから、いちいち、鈴はつらい思いをしてる。と言ってすべてを背負ってしまう柚子が、この時までは大嫌いだった。
 柚子は必死になって身代わりになっていたけれど、僕はあっさり本当のことを両親に漏らした。
「……分かっている。まぁ、柚子で満足してくれるならそれでいい」
 そのことを聞いた両親は、自分の子供を見事なまでにたやすく見捨てた、と言うわけだ。そうしてようやく、柚子が頑ななまでに僕の傍にいてくれた理由を知って、生まれて初めて柚子のために泣いた。
 初めの一週間は、寂しいなんて思わなかった。
 二週間目にしてようやく、柚子が傍にいないことで辛くなる。
 一ヶ月目にして、やっと会いたいって思った。
 僕はいつしか、柚子が傍にいないとダメになっていた。


 そうしてようやく柚子のところへ行くことができたわけだが、どこか楽しそうにしている柚子を見てちょっとだけムカついた。僕は寂しくって寂しくってたまらなかったと言うのに、柚子はそんな素振りを見せない。本家の長男は見るからにして性格の悪そうな腹黒い男で、何が何でも奴から柚子を奪ってやろうと目論んでいた。
 柚子と同じ学校に進学してから、そろそろ、一ヶ月が経とうとしてる。
「ゆーずっ! もう、帰るの?」
 後ろから抱きつくと、柚子は驚いた顔で振り返った。まぁ、クラスは別になってしまったけど、双子ってだけで学校中から注目されている。こうやって抱きつくと、柚子と自分の体格差をしみじみと実感してしまう。二次性徴を過ぎたあたりからじわじわと出てきた差は、僕と柚子の違いを明らかにさせる。
「……ちょ、鈴。学校内では名前逆だって言っただろ?」
 柚子が小さい声で僕を叱咤する。「分かってるよぉ」と言って、ぴったりくっついた。男らしい骨格の良い背中、肉付きも家に居たときよりよくなってる。
「きゃー、関谷君達超仲良しー」
 女の子の声が聞こえて横を見た。数人が団子みたいになって僕達をキャーキャー言いながら見つめている。そりゃぁ、双子だもん。仲良しに決まってるじゃん? と思って、僕は彼女達にサービスしてやった。ぎゅーと抱きつく力をこめると、廊下に黄色い声が響き渡った。
「す、……ッ、おい!」
 危うく、鈴、と言いかけた柚子は、僕を見て唇を尖らせる。分かってる。僕は柚子として入学したし、柚子は鈴として入学してるから、学校内で名前を呼ぶときは気をつけなきゃいけない。ほんと、こんなんバレたら大問題だよなぁ。と、僕自身のことなのに、どこか他人事だった。
「ね、そろそろ中間テストじゃん。一緒にべんきょーしようよ」
「……って言っても、鈴は勉強必要ないだろ」
「そんなことないよぉ。一緒にしたいな。ね?」
 柚子は僕のお願いに弱い。これはずっと前からだ。甘えきった僕の声を聞くと、どうしても断れないのは知っている。あのド腐れ野郎との仲を邪魔してやんないと気がすまないから、勉強と称していつもより長居してやったりとかな。夕飯は柚子が配慮してくれたおかげで、今は一緒に食べてる。腹黒野郎の憎々しげな視線が、楽しくって仕方ない。
「分かった」
 困ったように笑う柚子を見て、僕も合わせて笑った。
 まぁ、柚子の言う通り、僕はあんまり勉強が必要ない。元々の頭の出来が違うって言うか、まぁ、ド田舎で暮らしてたときは勉強も運動も一番だった。なんか皮肉だなって思う。
「あと、今日の夕飯何にすんの?」
「まだ決めてないよ」
「じゃー、オムライスがいいなー!」
 そう言うと、柚子の顔が強張る。オムライスの何が悪いと言うのか。
「ダメ?」
「いや……、ダメじゃないんだけど、一志が嫌いって、まえに」
「えー……。あのドケチ野郎が嫌いだからって作ってくれないのぉ?」
 不貞腐れた顔を見せると、たちまち、柚子は困った顔をする。僕とあの陰険野郎を比べて奴を優先するなんて、信じられない。柚子はいっつも、「一緒に暮らさせてもらってる」とか言うけどさ、元はと言えば、あの胡散臭い笑顔野郎が僕を欲しいとか言い出したから、こんなことになったんじゃないか。まぁ、膿んだド田舎に暮らすよりかは、断然マシだけど。
「分かった。じゃ、ハンバーグがいいな」
「悪いな。今日はハンバーグにするよ」
 やっと笑ってくれた柚子を見て、心が温まっていくのを感じる。柚子もこっちに来てからよく笑うようになった。昔はずっとしかめっ面で、愛想が悪いとか言われて、嫌でも一緒に居るのが柚子しかいなかったから、僕達は離れることもあまりなかった。そんな柚子から僕は逃れたいと思って、わざと置いてけぼりにしたこともあったっけ。泣きそうな顔になりながら、必死に僕の居所を探し当てた柚子は、怒ることもなく、笑顔で「良かった」と言って抱きしめてきた。あんときは、ちょっとだけ申し訳ない気持ちに駆られたけど、今はもっと悪かったなって思うようになった。
 僕の知らないところで、僕の悪口を言う人はいっぱいいたから、そんな人たちから柚子は守ってくれたんだろう。それは両親も例外ではない。
「あ、そだ。僕ちょっと、部活動の先輩に呼ばれてるから、先に帰っててよ」
 柚子は訝しげな顔をして、僕を見る。
「だいじょーぶだって。安心して?」
 にっこり笑うと、まだ懸念は残ってる顔をして柚子が先に歩いていった。ま、さっきのは嘘なんだけど、柚子は僕が嘘吐いてるなんて全く疑ってない。ほんと、この信頼はどこから生まれてしまったのか、全然検討もつかない。柚子に対してはそれなりに酷いことをしてきたから、嫌われても仕方ないのに、柚子は全然僕のことを嫌ったりなんかしない。むしろ、大事に大事にするから、昔はそれに虫唾が走った。まぁ、今もそれはあんまり変わってないかもしれない。本当の僕の姿も知らずに、ああやって何でもかんでも信じちゃうから、あーんな変態野郎にいろんなことされちゃうんだよ。普通にしてたら見えないとこだけど、抱きついたときに見えた。首筋にキスマーク。ふざけんなっつの。柚子は僕のだっつの。
「……えっと、関谷、柚子君……!」
 一瞬だけ、柚子と呼ばれて躊躇ってしまう。そうだ。この学校で僕は柚子。
「何ですか?」
 ニコリと笑いながら振り返ると、そこには同じクラスの男子が立っていた。茶色いくるくるとした髪の毛の、えーっと、名前は分からない。覚えようともしてないから余計に覚えない。
 ころっとした真ん丸い目が僕を捉えて、恥ずかしげにすぐ逸らされた。
 えーっと、男、だよな?
「あの、い、今帰り?」
「んー、まぁ、そうだけど」
 ちらりと後方を見ると、もう柚子の姿は無い。それを確認してから、目の前に居るモジモジした子。モジっ子とでも呼ぼうか。モジっ子を見る。
「い、一緒に帰らない?」
「……へ?」
 モジっ子は相変わらず俯いたまんま、僕を見ている。んー、何だろう、この奇妙な感じ。不可解だったけど、これはまた面白そうだなと思って、僕はそのモジっ子に一歩近づく。
「僕、寄りたい所があるんだけど、それでもいいなら」
 にっこりと愛想の良い笑顔を向けると、モジっ子は顔を上げて満面の笑みを見せた。ははーん。まぁ、確かに、僕の顔面偏差値は平均より上だし、遺伝子関係のおかげでどこか中性的な感じだ。同じ顔をした柚子もそんな感じだけど、柚子はちゃんとした男らしさを持っている。僕はどちらかと言うと、儚げですぐに折れちゃいそうな感じ。だーからむかしっから、バカ男が僕の見た目に騙されて茂みに連れ込んだりするんだよなぁ。ま、一応、武道を習ってて、そんな奴は一発撃退。柚子に守ってもらわなくても、自分を守る術は持ってた。柚子もそれは分かってたけど、健康な体を持ってる自分が守ってやんなきゃとか、色々葛藤はあったんだろう。現在進行形で柚子になってるけど、柚子の気持ちはさっぱり分からない。
「え、あ、どこ?」
「ケーキ屋さん」
「へ、ぇえ!?」
「欲しいケーキがあるんだ。なんなら、一緒に、食べてく?」
 どこでどう笑えば相手が喜ぶのか充分に分かっている。ここで一番の笑顔を見せると、モジっ子は顔を真っ赤にして俯いてしまった。これは完全に気がある証拠だ。僕がどれほど可愛いか分かってるけど、顔だけで選ぶなら柚子のほうが百倍もマシだ。同じ顔だけど、性格は柚子のほうが全然いい。
 でも、ま、どうしてか分からないけど、彼は僕を選んだ。顔だけで選んだことを後悔させてやろうか。
「僕、まだこっちに来たばかりだから、この辺のことよく分からないんだ」
 首をかしげて、しなを作る。
「おすすめのケーキ屋さん、教えてくれるかな?」
 モジっ子はぶんぶんと首を縦に振った。
 学校の外へ出て、いつもとは違う方向に歩き出す。モジっ子は慌ただしい手振りで僕にいろんなことを説明しようとしている。しかし、口ごもっているし、早口で何を言ってるのかさっぱりだ。退屈だな、と思いながら、街並みに目を向けた。僕たちが住んでた村はそれこそ、市町村の合併で村から町に昇格したものの、言葉が変わっただけで風景や人間など全く変わらなかった。歩いても歩いても緑ばかりで家までさほど見るもんなんか変わらなかったけど、やっぱり都会は違う。角を折れればまた違う景色が目に飛び込んできた。
 田舎も無駄に道路が広かったけど、都会は交通量が断然に違う。軽自動車や軽トラックはしょっちゅう目にしていたが、ここでは見たこともない外国の車や無駄にでかいバス、目まぐるしく動くものや人に圧巻だ。
「あ……、あそこ、あそこなんだ」
 モジっ子が指差したのは、そこそこ大きいケーキ屋さんだった。食べるところもあるし、やたらと女の子が並んでいる。でも、あそこのケーキ屋には一度行ったことがあって、お世辞にも美味いとは思えなかった。ただの口コミ情報を僕に教えてくれたのか、どっちにせよ、げんなりだ。
「あ!」
「え!」
 僕が大声を出すと、モジっ子はびっくりした顔で僕を見る。
「ごめんね、用事思い出した」
 にっこりと微笑んで踵を返してしまう。ああ、モジっ子君には本当にがっかりだ。てっきりいいところへ連れてってくれるもんだと思ってたのに、ほんとがっかり。呆気にとられたのか、モジっ子君は僕のことを追いかけてこなかった。柚子のところへ行く最中に、小さいこじんまりとした可愛いケーキ屋さんを発見してそこに入る。初めて入るところだけど、味はどうだろうか。イチゴのタルトを二つと、ショートケーキ一つを買った。
 確かにどうしてあんな奴にケーキなんかを買わなきゃいけないのかさっぱり分からないけど、あんまりにも子供じみたことをすれば柚子が悲しむ。それはやっぱり気が引ける。今まで柚子には散々なことをしてきたんだから、これからはちょっとずついいことをしてやりたいな。そのスタートとして、柚子が大好きなイチゴのタルトを買っていく。
「たっだいまー」
 ドアを開けると、エプロンをつけた柚子が困った顔で僕を見る。
「……おかえり。って言っていいのか、よく分からないな」
「何言ってんのぉ。柚子がいるところに帰るのが、僕の役目でしょお? ちょっと冷蔵庫借りるね」
 もう一か月も通い続ければ、勝手知ったる他人の家だ。冷蔵庫を開けることも柚子は文句言わない。テストが近いって言うのに、家事はしっかりやるんだから偉いなって本当に感服する。土日は僕の家に来て、僕の部屋まで掃除してくれるんだから、さすがはお兄ちゃんだ。まぁ、してくれなくても、時たま自分でやってるから綺麗っちゃ、綺麗なんだけどね。
「じゃ、僕は適当に勉強でもしてるねー」
 ご飯の支度をはじめてしまった柚子は「うん」とそっけない返事をしながら、作業に取り掛かっていた。手伝おうかと思ったけど、基本的に柚子は誰かに手伝ってもらうのが苦手なのか、いつもいらないって言う。嫌なことを無理やり手伝っても意味はないだろうから、こういうときは大人しくしてるに限る。六時を過ぎるとドアの開く音がして、ソファーから玄関を見る。いつもの位置に座ってると、どうしても奴が帰ってきたとき、一番最初に目が合うのが僕だ。お互い、嫌な顔をする。
「えーっと、おかえり」
 ドアの閉まる音で気づいたのか、柚子がキッチンから顔を覗かせる。エセ笑顔野郎は柚子に向かってにこりと笑って「ただいま」と言う。僕はそっぽを向いて、教科書とノートに目を落とした。
「…………テスト勉強?」
 ネクタイを緩めながらこっちへやってきた嫌味野郎は、僕を見てそう言う。地味に柚子の行動予定を把握してるコイツのことだから、テスト期間がいつからか知ってるはずだ。
「そう言えば、鈴君は初めてだったね。テスト。大丈夫?」
 一見は僕の成績とか、初めてのテストで緊張してるかどうかとか、心配してくれてるような笑顔だけれど、その裏では僕のことをバカにしてる。どうせ点数悪いんじゃねぇの、と目が僕をあざ笑っていた。学年一位でも取って、このクソの度肝を抜いてやろうか。
「鈴は俺より頭がいいから、テストは大丈夫だと思う」
 どうやら話を聞いていたようで、柚子が助け船を出してくれる。びっくりした顔を見て、にやりと笑ってやった。
「え……、えぇ?! まぁ、でも、柚子ってすごく成績良いわけでもないし、悪いわけでもないよね」
 的確な指摘に、柚子がちょっとだけ落ち込む。こいつ、ぶっ殺してやろうか。
「でも、鈴は全国一斉テスト十位以内だったから、たぶん、うちの学校じゃ上位に食い込むよ」
「う、っそぉん」
「柚子。一志さんの言うことも一理あるよ。あの学校でテスト受けるの初めてだし、僕、頑張る」
 吠え面かかせてやるから覚えとけよ。と、ショタコン野郎を笑顔で見る。
「鈴に頑張られると、困るなぁ」
 リビングで火花が散ってることも気づかずに、柚子はのんきなことを言っていた。

 テストが終わって一週間。順当にテストも返ってきて、ほとんどの教科は九十点以上だった。元々、もっといい学校へ行ったほうがいいって言われてた僕のことだ。順位は一位に決まっている。そう思っていた矢先、帰りのホームルームでテストの成績表が配られた。名前を呼ばれて取りに行くと、学年順位のところについていた数字は「2」思わず、ぐしゃりとそれを握りしめてしまった。
「関谷君!?」
 担任が驚いた顔で僕を見る。
「あ……、いえ、思った以上の順位でびっくりしちゃいました」
 にこりと笑って席に戻る。これじゃぁ、あのド変態野郎に自慢できないではないか。よく見たら、クラス順位も二番だった。と言うことは、このクラスの中に僕より成績のいい人がいるってこと。
 ああ、すげぇ悔しい。
 初めての挫折と言っても、過言ではなかった。

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