Rain





 鬱陶しいぐらいのしとしととした雨が空から舞い降りて、昇降口のタイルに落ちてその水滴が跳ねていた。
 ピシャンピシャンと跳ねて、周りを汚していく。昼過ぎから降り始めた雨は、街全体を鉛色に染めていつもは部活で騒いでいるグラウンドも静かだった。
 雨が降ると、学校の風景は一瞬で変わる。別に陰気になっているわけじゃないけど、どこかみんな静かなんだ。
 学校中の生徒のほとんどが家に帰ってしまい、俺はボーっと静かなグラウンドを眺めていた。
 雨がやむ気配は全くない。
 そう言えば、今日の朝、母さんが「雨降るから傘持って行きなさいよ」と言って俺に傘を手渡した。そのおかげで俺は、雨にぬれずに済むだろう。
 黒い傘を手に取って昇降口から出ると、隣に俺と同じようにボーっと鉛色の空を眺めている男が一人。黒い学ランを気だるげに羽織った、クラスメートの一人。
 背が高くて、短髪で、そして活気のある笑顔とにこやかな表情が女子に大人気の人気者。
 コイツの周りにはいつも人があふれかえっている。そんな奴が切なそうに空を眺めているもんだから、ちょっと珍しくなって俺はジッと見つめていた。
「……あれ、安藤じゃん。どうしたの?」
 俺の視線に気づいた人気者こと、山本が俺をジッと見た。
「あ、ちょっと部活のことで……、残ってたんだ。山本は?」
 俺は陸上部に所属していて、今日もグラウンドが使えないからどうしようかと先輩たちと相談していた。
 地味に次期キャプテンとして名が挙がってて、相談関係は呼び出されるようになってるから今日も遅くなってしまったんだけど、部活に入っていない山本がこんなところで立ち往生なんて珍しい。
「んー……、教室でさ、外眺めてたらなんか帰れなくなっちゃって」
「へぇ」
 よくわからない奴だ。外眺めてて帰れないって、ただのバカかと思った。
「傘、無いんだよね」
 山本は静かに言うと俯いて、どんな顔をしているのか分からなかった。なんかそれがもっと切なそうに見えて、俺は声をかけた。
「……なんなら、傘入ってくか?」
「え?」
 俺はずいっと山本に傘を差し出した。困ってる奴を……、放っておくことができなかった。
「いいの?帰る方向一緒なの?」
「俺、駅方面」
「じゃぁ、一緒だ。悪いな、入れさせてくれ」
 山本は照れくさそうに笑うと俺に近づいた。何で、コイツに人気があるのか分かった気がする。なんか、さりげない一言が人の心に入り込んでくるって言うか、なんつーか……。
 俺は傘を開いて山本を中に入れた。
「……安藤って背、低いよな。俺が傘持つよ」
 ……やっぱり、コイツ悪い奴かも。俺が一番気にしている背のことを一番最初に言いやがった。
 くそ、でかいからってバカにしやがって。
「うるせーな……」
「あ、ごめん。気にしてた?」
「……俺は遅咲きなんだよ」
「ごめんごめん」
 山本はケラケラと笑いながら、俺から傘を奪い取って傘を持ち上げた。歩き始めると、傘に雨が当たってポツポツと音が鳴った。
 最初はずっと無言で、俺たちは歩いていた。
 校門に行くにはグラウンドを通って行くんだけど、学校指定の運動靴がグラウンドのぬかるみにはまって泥が付いていく。
 グチャグチャと嫌な音を立てながら、俺たちは校門に向かって歩き始めた。
「こうやって安藤と話すのって初めてだな」
 山本は俺を見ながら笑った。確かにそうかもしれない。俺と山本はタイプが違うと言うか、友達の種類が違うからあまり教室で喋ることは無かった。
 2年になってから3ヶ月。俺は山本のことを全然知らない。きっと、山本も俺のことを全然知らない。
「そろそろ期末だな」
「そうだな」
 中学生の大敵、テスト週間だ。その期間って部活ができなくなるからイヤなんだよなぁ。俺、バカだし……。テスト大嫌い。
 よく考えたら、山本もそんなに頭良くなかった気がするけど……。
「イヤだなぁ。俺、頭良くないし」
 山本はケラケラと笑って俺をちらっと見る。その表情が何となく、今までとは違って見えた。正直に言うと、俺と山本ってタイプが違うから合わないと俺が先入観で決めてた。
 ……けどそれは……、違うのかもしれない。
「俺もバカだからな。テスト嫌いだ」
「へぇ、安藤ってバカだったんだ」
「部活しかやってないからな」
 部活して、家に帰って風呂入って、飯食って、そんで漫画読んだり……。後は暇なときにオナニーするぐらいしか俺はやることが無い。
 好きな子とかも居ないし、特にそう言う色恋沙汰とかに疎い方だから余計かもしれない。
「部活って陸上だよね?短距離だっけ」
「よく知ってんな」
 まさか、山本が俺のことをそこまで知っているとは思わなかった。だからびっくりして、目を見開いて山本を見た。
「うん。窓からたまに見てた。足速いよな。スポーツテストん時も、学年1位だっけ」
「こう見えても、俺は陸上部を支えるホープだからな!」
 なんか、褒められたら良い気なってどんどん喋ってしまう。そんなときでも、山本はうんうんとうなずいて俺の話を聞いていてくれた。
 山本の知らない一面を見る。これは、雨のおかげなんだろうか。
 地面を打つ雨は俺たちの制服や靴を汚していく。そんなことも気にならずに、俺たちは和気あいあいと喋っていた。
「夏休みとかも、ずっと部活なの?」
「そうだ。地獄の合宿とか……、考えるだけで恐ろしい……」
 去年は脱水症状になりかけるまで走り続けて、ぶっ倒れた記憶がある。まぁ、俺が水分補給をせずに無理して砂浜走ってたから……なんだけど。
 思い出すだけで、なんか息苦しくなってきた。
「へぇ、合宿とかあるんだ。本格的だね」
「俺の目標は、全国大会に出ること!県大会は常連だからな!」
「それ以上に行かないんだ」
 山本は時折さらっと俺に対してひどいことを言う。だから、そのたびに俺は山本を睨みつけた。それでも見上げて睨むから、山本には効いていない。
「悪い悪い、目標って言ってたもんな」
「……そうだよ」
 不貞腐れるように言うと、山本はクスクスと笑って俺の顔をジッと見つめた。優しく包み込むような笑顔に、俺は少しだけ見とれた。
 って……、なんで俺が男に対して見惚れてるんだ。気持ち悪い。
「なぁ、今日の理科の話聞いてた?」
 なぜかいきなり山本は俺に勉強の話を振ってきた。理科と言えば、5時間目のご飯食べ終わった後の眠たい授業。全く記憶が無かった。
「いや……、覚えてない……」
「安藤寝てたもんな。なんか今日は重要な事言ってたぞ」
 山本はニヤニヤと笑いながら俺を見ている。……何だと、重要なことって何だよ。
「なんだよ、重要なことって」
 食いつくように山本を見ると、山本はケラケラと笑った。
「七夕の話してた」
「……は?七夕!?」
 そう言えば、今理科は二分野やってて天体がメインだった気がするけど。七夕と言えば、織姫と彦星がああだこうだって奴だよなぁ。
 そんなことが重要なのか?
「年に1回しか会えない織姫と彦星は、七夕の日に天の川をはさんで会うじゃん?」
「うん」
「それって虚しいと思わない?」
「……は?」
 なんてロマンチックな奴なんだ。って俺は思った。別に関係ないから良いじゃんと思いながらも、俺は山本を見ていた。
「だってさ、川挟んで会うってことは、触れることも何もできないわけじゃん。顔しか見れないんだぜ?虚しい以外の何があるんだよ」
 そう言われたらそうかもしれない。二人は年に1回しか会うことができないのに、川を挟んでいるから触れることもできない。
 可哀想って言えば、可哀想かもしれない。
「そうだな……」
「でね、その七夕の日に降る雨は催涙雨って言うんだって。二人が流した雨なんだって」
「……へぇ」
「って、今日、理科の田中が言ってた」
 山本はそう結論付けて俺を見て笑う。こいつは結構良く笑うやつだ。
「催涙雨ってどういう意味なんだろうな。恋人同士が恋い焦がれて流す涙。それが俺たちの頭上から降り注いでいる。それを受けた人は、恋に落ちちゃうとか?」
 茶化すように言うと、山本はくすくすと笑って俺を見ている。本当にロマンチックなやつだな、こいつ。
「誰と恋に落ちるんだよ」
「一緒にいる人とか」
 山本はけらけらと笑って笑顔のまま前を向いた。
 二人が流した雨の名前が催涙雨。なんか、報われない愛に二人が涙を流しているように思えた。
 川を挟んで触れることもできずに、二人は両目から大量の涙を流して、それが雨となって地上へ舞い降りる……。
「けどさ、なんか二人が川を挟んでしか会えないって悲しいな」
「悲しいね」
 それから俺たちはとぼとぼと無言で歩いた。なんか、七夕の話をしたらちょっと悲しくなっちゃって言葉が出てこなかった。
 それでも雨はしとしとと降り注いでいる。
 この雨は、織姫と彦星どっちかが泣いている雨なんだろうか。
 大通りへ出て、車が隣を通り過ぎる。その時にちょっと水が飛んできた。
「うおっ!」
 道路側を歩いていた俺にその水がかかった。右足がびしょぬれになる。最悪すぎる……。
「あーあ。俺、そっち側歩くよ」
 山本が俺の足を見てから、傘を持ちかえて俺の右側に来た。
「いや、良いよ。お前が濡れるだろ」
「別に良いよ。もう濡れてるも同然だし」
 そう言って山本は俺に左足を見せてきた。泥の跳ねた制服のズボンは濃い黒に変色している。
「何でお前そんなに濡れてるんだよ」
「……ちょっとね」
 山本が濡れている原因は俺には分からない。俺はきょとんとした顔で山本を見てから、前を見つめた。そろそろ分岐点に近づいてきている。
 目の前にはT字路があって、俺はそこを左に曲がらなきゃいけなかった。
「なぁ、家、どっちだ?」
「俺、右」
「俺は左だ」
 ここでお別れた。傘をどうしようかと迷い、俺は山本を見上げた。山本もどうしていいのか分からずに、ジッと俺を見つめている。
 その顔は今日、昇降口で見た時と同じような切なそうな顔。
「傘、使えよ。俺、家近いし」
「良いよ。元々安藤の傘なんだから……。安藤が使いな」
 そう言って山本は俺に傘を押し付けてきた。その時、山本から傘が外れて雨が山本の頭に当たり始めた。
「お前、家どこなんだよ」
「俺もそんなに遠くないから」
「……でも、風邪ひくぞ」
 もし、明日山本が風邪ひいて休んだとか言ったら、俺のせいみたいじゃないか。そんなの俺がイヤだ。
「陸上部のホープなんでしょ。ホープが風邪ひいたら、俺、陸上部に申し訳ないよ」
 山本はにこっと笑って、俺にもっと傘を押し付けてきた。よく見ると、山本の肩がびっしょりと濡れていた。
 ……もしかして、コイツ俺が濡れないようにちょっと傘はみ出してたのか?
 思った以上に良い奴だ。
「……でも……」
「良いから。こんなことしてる間に、俺びしょぬれになっちゃう」
 俺は仕方なく山本の手から傘を受け取った。山本はクスッと笑うと、傘を掴んだ俺の右手を取って傘を横へ向けた。
 そして……。


 ちゅ。


 と唇が触れあった。
「……じゃぁね」
 山本は俺に笑顔で手を振るとそのまま背中を向けて走り出した。
 よくわからない。
 俺は意味が分からなくて、山本の背中を追いかけた。俺は県大会で3位入賞までしたことのある短距離ランナーだ。
 そこらの男に負けるわけがない。
「待て!!」
 ガシッと山本の腕を掴んで引き止める。傘は掴んでいるだけで持っていないから、俺も山本もびしょぬれになってる。
「どうしたの?濡れてるよ」
「どうしたのじゃねえええ!!!」
 俺は山本に食いつくように両腕を掴んだ。何が起こったのか、何があったのか分からない。何で、俺にキスしたのか分からないから山本を追っかけた。
「なななな、何で!!」
「……あぁ、キスしたこと?」
 山本はクスクスと笑って俺を見ている。なんかその顔は楽しそうで、もっと理解できなかった。
「そ、そうだよっ!!」
「照れてんの?可愛いね」
 腕を掴んで食いかかっている俺を小馬鹿にするように山本は笑っている。その顔がちょっとだけ憎たらしくなった。
「何でキスしたかって?簡単な理由だよ」
 そう言って山本は俺の耳元で囁くように「雨の仕業じゃないかな」と言うと、俺の右手に持たれている傘を横まで持ち上げてもう一度俺にキスした。
 雨が混ざっているキス。傘で誰にも見られないように、隠したキスはなんだかちょっと特別な感じがしてしまって俺は拒むことができなかった。
「じゃぁね、安藤。風邪ひかないように。ダメだよ、もう追っかけてきちゃ」
 子供を宥めるように山本は俺の頭をポンポンと叩くと、にこっと笑う。
 その顔は少し赤く染まっていて、山本も照れているようだった。俺は唇を左手で押さえて、山本を睨みつけていた。



 このドキドキとよく分からないもやもやは、雨の仕業なんだろうか……。


 それとも、恋い焦がれた織姫と彦星の涙が俺に催眠をかけた催涙雨のせいなんだろうか……。


 まだ七夕には少し早すぎる。






+++あとがき+++
はい、すみません。先に謝っておきます。

ここ最近梅雨の影響で、しとしと雨が降っていますね。
金曜日の夕方です。仕事帰りにスーパーへと向かっているときに、中学校の近くを通るのですが。
男の子二人で相合傘しているのを見て、このネタが浮かびました。
純粋な中学生に、こんな腐った感情を抱いてしまいまして……。
申し訳ありません。
なんか、二人は無言で歩いている(ように見えた)ので、なんか照れくささがあるのかなぁ(ニヤニヤ)と見ていたわけです。
ごめんね、中学生。

これも一発ネタです。最近学生の話が少ないので、ちょっと学生やりたかったのもあります。


2009/7/5 1:37 久遠寺 カイリ




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