Rainy


 まっすぐ、前を見つめるその目が好きだった。
 意識をし始めたのはいつぐらいからだっただろうか。あんまりよく覚えていない。あぁ、そうだ。中1のときの体育祭からだった。
 1年のときから同じクラスだった安藤は、あまり目立たない静かなイメージが強かった。出席番号順でも、安藤は大体、一番前。山本の俺は、大体、一番後ろだったから余計なのかもしれない。接点は、非常に少なかった。それにきっと、安藤は俺みたいなタイプ、苦手だったんだと思う。
 体育祭の種目を決めるとき、安藤は引っ張りだこだった。リレーに出ろ。100m走に出ろ。など、本人があからさまに困った顔をしているって言うのに、みんなが押すから仕方なく400mリレーと100m走、そしてクラス対抗リレーのアンカーを務めることになった。
 イヤなら、断れば良いのに。と遠目で見ながら思った。そりゃ、学年で一番速い子が居れば、体育祭では大活躍のはずだ。それに陸上部に入っているんだから、余計だったのかもしれない。決めたからにはやってやるぞと、友人に話している声が聞こえた。
 もしかして、地味に熱血系か? と、疑問に思った。
 それから俺は、意識的に安藤を見てしまった。教室の隅のほうで話している俺達と、同じクラブの奴と机で雑談している安藤。時折、ケラケラと大笑いしているのを見たりして、大笑いとか出来るんだって思った。意識してみるまでは、大人しいイメージが強かったから余計だったと思う。
 気づけば、俺は安藤を目で追っていた。結構、俺、ジーっと見てた気がするけど、鈍いのか興味ないのか、安藤が俺の視線に気づくことは無かった。
 そして、体育祭がやってきた。鬱陶しいぐらいの秋晴れで、気温は夏が戻ってきたように蒸し暑かった。朝っぱらから、椅子を移動させたり、面倒くさいことが多かった。陸上部は朝から集合させられていたせいか、安藤の姿は見当たらなかった。
 安藤が戻ってきたのは、開会式が始まる数分前。小走りでやってきた安藤に、体育委員の子が話しかけていたのを良く覚えている。真剣な顔で話していたと思えば、急に笑い出したりなど、喜怒哀楽の激しい奴だなって思った。
 体育祭が始まって、人がまばらになる。午前中は個人競技で、午後から団体競技へと変わっていく。1年の100m走は2番目で、俺は飲み物を取りに行くと言って安藤の様子を見に行った。この時点で、俺はかなり安藤のことが気になっていたみたいだな。
 同じクラブの奴がいたのか、安藤は並びながら隣の奴と喋っている。笑ったり、怒ったり、凄く楽しそうで羨ましいを通り越して隣に居るやつがねたましくなった。
 ついに安藤の順番がやってきて、さっきまで笑っていた顔が、ふと消えた。つま先で地面を叩いて、後ろ足の左足をスターティングブロックに乗せる。それから前足の右足を乗せて、両指を地面についた。
 安藤が顔を上げる。
 前を見据える目は強く、安藤の負けん気の強さが出ている。教室に居ては絶対に見れない目だなと思った。まっすぐ、ただ、ゴールだけを見つめている目は、とても強くて、綺麗だった。その目に捕らわれた。
「用意」
 審判の声で、俺はようやく現実に戻ってくることが出来た。パンと軽いピストルの音が聞こえて、安藤は自然なモーションで走り始める。スタートから、安藤は違っていた。最初からトップでぐんぐん周りと距離を広げていく。誰が見たって、安藤が一番なのは分かっていた。ゴールテープを切った安藤は、一緒に走った奴と笑いながら喋っている。背中を叩かれたり、頭を叩かれたりしていたけど、安藤の笑顔は消えなかった。
 俺は安藤が出てくるのを見計らって、退場門へと向かう。一言で良い。一言で良いから、話しかけたいと思った。たまたま、その場に居合わせたような素振りで、「おめでとう」と俺が一番最初に言ってやりたかった。
 ちょうど良く、俺が退場門に着いたとき、安藤が出てきた。俺の顔を見るなりに「……あ」と呟いたのが聞こえたので、俺は笑顔を見せる。
「おめでとう」
 本当に、一言だった。ただ、おめでとうの5文字だったと言うのに、かなり緊張してしまった。話しかけられたことに驚いたのか、安藤は少し黙ってから「ありがとう」と答えてくれた。走っていることを褒められるのは嬉しいようで、俺に向ける笑顔は心から喜んでいるように見えた。俺の言った言葉で、安藤が喜んでくれるのはかなり嬉しい。
 でも、その場にいるのが少しだけ辛くなって、俺は逃げるように応援席へ戻った。話し掛けた時の緊張がまだ体の中に残っていて、胸がドキドキと高鳴っている。こんなの、生まれて初めてだった。この感情をなんていうのか、俺は知っている。だけど、相手はクラスメートで男だ。同性だ。普通、こんな感情、異性にしか抱かないって言うのに、どうして俺は安藤に対してこんなことを思ってしまっているんだろうか。
 分からなかった。
 けど、その日から、俺はずっと安藤を目で追っている。

 ある、雨の日のことだった。
 その日は昼から雨が降っていて、安藤は忌々しそうに空を見つめている。雨が嫌いなのかな、と思ったけれど、よく考えてみれば、陸上は外でやるもんだから、走ることが出来なくてイヤなのだろう。しとしとと振り続ける雨は、止むことを知らない。
 結局、その日はずっと雨だった。昇降口の外でグランドに落ち続ける雨粒を見ていたら、誰かが昇降口から出てきた。ゆっくりと視線を向けると、そこには黒い傘を手に持った安藤が立っている。安藤も俺と同じように、びっくりした顔をしていた。
「……あれ、安藤じゃん。どうしたの?」
 ここぞとばかりに話しかけると、安藤はピクと眉を動かして俺を見上げる。残ってる理由は、知っていた。
「あ、ちょっと部活のことで……、残ってたんだ。山本は?」
 期待されているのか、安藤は部活のことでよく呼び出されていた。だから、今日、練習が無くても帰りが遅いことは知っていて、偶然を装う自分に必死だなと嘲笑う。
 俺が何をしていたかなんて、本当のことを言えば、安藤は気持ち悪いって思うだろうな。だから、ウソを吐いた。
「んー……、教室でさ、外眺めてたらなんか帰れなくなっちゃって」
 なんて無様な言い訳なんだろうか。さすがにこのことに関しては、安藤も疑問に思ったようで「へぇ」と短い返事をした。コレは少し話題を変えなければいけないと思って、俺はまたウソをつく。
「傘、無いんだよね」
 俺はそう言って俯いた。ほんと、俺ってマジで安藤に対して必死だと思う。本当はカバンの中に折りたたみ傘が入っているけど、きっとこう言えば、安藤と一緒に帰れるんじゃないかと期待してしまった。
「……なんなら、傘入ってくか?」
 安藤は多分、何気なく言ったんだと思う。でも、俺はその言葉を信じきれずに「え?」と聞き返してしまった。相合傘じゃん。少しだけときめいた自分に、バカだなと叱咤する。
「いいの? 帰る方向一緒なの?」
 安藤の家がどこだろうが、俺は入っていく気満々だった。
「俺、駅方面」
 ぶっきら棒に答えた安藤を見て、俺は「じゃぁ、一緒だ。悪いな、入れさせてくれ」と言って安藤に近づいた。距離が縮まれば縮まるほど、恥ずかしくなって俺は照れ笑いしてしまう。ほんと、無様だな、俺。
 安藤が広げた傘の中に入ると、思いのほか、低いことに気づく。遠くからしか見てなかったから分からなかったけど、安藤って結構、背が低い。身長が低いと空気抵抗もそんなに無いから、足が速いのかと妙に納得してしまった。
「……安藤って背、低いよな。俺が傘持つよ」
 そういうと、安藤は俺を見上げて、ムッとした。不貞腐れた顔は初めて見たから、とても新鮮だった。ぶつくさと何か言っている安藤に、俺は表面だけ謝って傘を奪い取った。
 歩き始めると、傘に雨粒が当たって、ポンポンと音がする。グランドを通らないと校門に行けないから、グランドを直進しなきゃいけないんだけど、雨でぬかるんだグランドはぐちゃぐちゃになっていて、靴に泥がひっついてしまう。二人揃って、雨音に負けないぐらいの足音を立てながら歩いた。
 こうして、安藤と二人っきりになるのは初めてだった。何を喋っていいのか分からず、俺たちは校門まで無言だった。
 安藤は少し俯きながら、俺に歩幅を合わせて歩いている。何を考えているんだろうかと、少し気になった。
「こうやって安藤と話すのって初めてだな」
 話題も兼ねて話しかけると、安藤が顔を上げた。俺の目をまっすぐと見つめていて、考えていることを全て見透かすような、捕らわれるような視線に俺は目が逸らせないから、誤魔化すように笑って見せる。
 テストの話をしながら、家へと帰る。丁度、家を建てている最中で、仮住まいは安藤の家と全く正反対だけど、仲良くなる機会って今日しかないから遠回り覚悟で歩いた。
 テストの次に、陸上の話をすると、急に安藤の目が変わった。生き生きと話す姿は、陸上の素晴らしさを俺に伝えてくれているようで微笑ましくなる。けど、安藤を占領している陸上に、俺はちょっとだけ嫉妬した。全国大会に出ることが目標で、県大会は常連だと言う安藤に俺は意地悪をした。
「それ以上は行かないんだ?」
 目標なんだから、それ以上に行けていないのは分かっているのに、俺は安藤にそんなことを聞いてしまった。明るかったその表情が一変して、不貞腐れた顔をした安藤に、俺はまた笑ってしまう。
「悪い悪い、目標って言ってたもんな」
 居た堪れなくなって謝ると、安藤は「そうだよ」とぶっきら棒に答えた。その拗ねた顔が、可愛すぎて笑ってしまった。

 俺はきっと、安藤に恋してる。

 確信してしまったら、止まらなくなる自分がいた。暴走して、このまま安藤を連れ去りたくなった。そんな気持ちを隠すように、俺は催涙雨の話を安藤にしてやった。
 理科の先生が言っていたわけじゃない。安藤が寝ていたのを知っているから、俺は理科の先生が言っていたよとウソをついた。俺、安藤に対してはとことんウソ吐きになってしまうようだ。
 七夕の日に降る雨は、催涙雨と名付けられている。その理由は、織姫と彦星が七夕の日に天の川を挟んで会うことが由来されている。年に1度だけ、顔を合わすことしかできないから、二人は悲しみと愛しさの涙を流す。それが空から舞い落ちてくるから、催涙雨。
 なんてロマンチックなんだろう。こんな話を安藤にするなんて、俺はきっと乙女だとか思われてるんだろうな。ちょっと恥ずかしくなったけど、俺は安藤に雨ってのは鬱陶しいだけじゃないことを言いたかったんだ。
「催涙雨ってどういう意味なんだろうな。恋人同士が恋い焦がれて流す涙。それが俺たちの頭に降り注いでいる。それを受けた人は、恋に落ちちゃうとか?」
 ふざけてそんなことを言うと、安藤は呆れ気味に「誰と恋に落ちるんだよ」と俺に突っ込みを入れる。そんなの、決まってるじゃないか。
「一緒に居る人とか」
 ある意味、願いを込めてそう言った。俺と一緒に催涙雨に当たってくれたら、安藤は俺に恋してくれるだろうか。落ちてくれるだろうか。そんなことを想っていたのがバレたのか、安藤は俯いて何も答えなかった。
 それからも淡々とどうでも良い話をしながら、歩いて行く。T字路に差し掛かったところで、安藤の足が止まった。
「なぁ、家、どっちだ?」
 その質問に俺は右と答えた。さすがに戻りますよとは言えずに、戻れる方向を指さすと、安藤は「俺は左だ」と答えた。あぁ、もう、ここでお別れ何だなって思うと、ちょっとだけ寂しくなって、それが顔に出てしまった。
 安藤が顔を上げて、「傘、使えよ」と俺に言う。
「俺、家近いし」
 安藤の家はもうそこまで来ているようで、俺から一歩、離れる。
「良いよ。元々安藤の傘なんだから……。安藤が使いな」
 もう一本持ってるから要らないよなんて本当のことは言えないけれど、俺が吐いたウソで安藤が濡れながら帰るのは忍びない。傘を押しつけると、安藤は不安げに俺を見る。
「お前、家どこなんだよ」
 疑っているのか、それとも濡れながら帰すのがイヤなのか、安藤は傘を握らずその場から動かない。
「俺もそんなに遠くないから」
「……でも、風邪ひくぞ」
 どうやら、俺は心配されていたようで、安藤が眉間に皺を寄せながらそう言った。ほんと、そう言う表情が可愛らしくてたまらない。ちょっとだけ、ウソ吐いたことを後悔した。
「陸上部のホープなんでしょ。ホープが風邪引いたら、俺、陸上部に申し訳ないよ」
 もう一回、俺は安藤に傘を押しつける。
「……でも……」
 安藤は中々引き下がらない。
「良いから。こんなことしている間に、俺びしょぬれになっちゃう」
 そう言うと、安藤は仕方なく傘を受け取った。それでも俺を不安げに見上げて、帰ろうとはしてくれない。もし、この場で一緒に濡れたら、安藤はちょっと俺に恋してくれるだろうか。
 催涙雨には少し早い。
 俺は安藤の手にある傘を横に向けて、安藤に顔を近づけた。キモイことしてるって言う自覚はあるけど、キスしたら安藤の気持ちは変わってくれるだろうか。催涙雨に打たれる人のように。傘で俺たちの間を隠して、唇を合わせる。
 雨が俺たちに降り注ぐ。
「……じゃぁね」
 もう逃げるしかないと思って、俺は安藤に手を振るとその場から走りだす。してしまったあとに、とんでもないぐらいの羞恥心が襲ってきて、顔が一気に赤くなる。ほんと、俺、勢いで飛んでもないことをしてしまったと思う。
 走っていると背後から、ガラガラと何かを引きずる音が聞こえた。
「待て!!」
 叫び声とともに腕を掴まれた。振り返ると、安藤はびしょぬれになって、俺を見上げている。殴られたりとか、するかな? と不安になりながら、「どうしたの? 濡れてるよ」と見当違いなことを尋ねてみた。
「どうしたのじゃねえええ!!!」
 安藤の顔は真っ赤になっていて、殴るどころじゃなさそうだった。俺の両腕を掴んで、わなわなと唇を震わせていた。
「なななな、何で!!」
 怒っているって言うより、照れているようだった。からかいたくなって「……あぁ、キスしたこと?」と笑いながら聞くと、安藤はちょっとどもって「そ、そうだよっ!!」と大声を上げる。普通、男にキスされたら、殴ったりするだろう。気持ち悪いと思って、追いかけてすら来ないだろう。それなのに、安藤はわざわざ全力疾走してまで、俺を追いかけてきてくれた。
 こんなことされたら、俺、自惚れる。
「照れてんの? 可愛いね」
 茶化すと、安藤の目つきが変わった。さすがに怒ってしまったようで、俺を睨みつけている。
「なんでキスしたかって? 簡単な理由だよ」
 そう、俺がキスした理由なんか、簡単なことなんだ。ただ、好きだと言う気持ちからなのに、キスぐらいじゃ安藤は分かってくれない。首を傾げている安藤に近づいて、耳元で「雨の仕業じゃないかな」と囁く。そして、もう一度、傘で俺たちの間を隠して唇を合わせた。
 安藤は俺を拒まなかった。
 頬に雨が伝うのが、分かった。
 ただでさえ、かなり調子にのっちゃってるのに、これ以上乗ったらまずいと思って、俺は安藤から離れた。
「じゃぁね、安藤。風邪ひかないように。ダメだよ、もう追っかけてきちゃ」
 俺はそう念を押してから、安藤の頭を撫でて、また走りだした。生ぬるい雨だけど、この雨が俺の火照った頬を冷やしてくれて、ちょっとだけ気持ちよかった。
 最後、安藤は口を押さえながら、俺を睨みつけていた。何も言わなかったところを見ると、嫌じゃなかったってことかな? 安藤は何を考えているのか、分からない。全然、分からない。
 不安もいっぱいあるけれど、楽しい気持ちもいっぱいあった。新しい安藤を見るたびに、体の中心が暖かくなる。
 俺のこの暖かい気持ちは、雨のせいなんかじゃないだろう。雨の仕業にしたら、安藤は許してくれそうだから、雨の仕業にしてしまったけど。
 この恋は、雨の仕業じゃない。


 晴れの日は、陸上に譲ってやる。

 だから、せめて、雨の日だけは安藤の気持ちを俺が占領したい。



山本君視点だと、ただの変態にしか見えないな。山本君が。笑
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