劣情過多


 お前は、どうしてそう、ヤることばっかり考えてるんだよ。
 と、俺の恋人は別れ話の切り出しにそう言った。はぁ、知るかよ。と言ってやりたかったものの、確かに俺はヤりたくて仕方なかった。だって、男の子だもん。なんてカワイイふりして言うことも出来ずに「ヤりたいって思うことが罪なんですか」と可愛くないことを述べ、ぶったたかれて、三年間の交際にピリオドを打った。
 アイツの言いたいことは分かっていたんだ。セックスすることで、愛情を計っているみたいで、イヤだと。でもさ、セックスって愛情を計る一番分かりやすい行為だと思うんだよね。ま、そんな風に開き直っちゃうから、俺のダメなところであり、ダイスキだったアイツと別れてしまうはめになったわけですわ。あぁ、苦しい。どうして、恋ってこんなに苦しいんだろう。でも、きっと、この傷が癒えたら、バカの一つ覚えに誰かをまた好きになって、同じことを繰り返すんだろう。
 全くもって、しけた人生である。
「久保。もう、やめとけよ」
 持っていたグラスを奪い取られ、俺は「あー」と言いながら、取り上げられたグラスを追う。飲まなきゃやってらんねーって思って、親友でもあり、俺のよき理解者でもある真壁からグラスを取り返した。焼酎の水割りを飲み干し、「うっせぇよ」と悪態をつく。
「そもそも、目の前に好きな人のチンコがあったら、舐めたくなるのが人間つーか、ホモの性だろ」
「……ちょ、声でかい」
「その下に穴があれば、そりゃ、突っ込みたくなるのが男の性だろ」
「でけぇよ、声が。お前と知り合いだと思われんのイヤになるから、やめて」
「んだと!? お前、ホモをバカにすんのか!!!」
 真壁が呆れた顔をして俺を見る。先ほどから、じろじろと視線を感じてるのは、俺がかっこいいから、と言うわけでは無さそうだ。分かってるよ。顔だって頭だって収入だって平凡だもん。俺に魅力なんてないこと、俺が一番分かってるっつの。でも、好きだったんだから、ちょっとぐらい自棄酒に付き合ってくれたっていいじゃないか。カウンターでグチグチとホモの愚痴を聞いてるのがイヤなのかもしれないが、俺はお構いなしだ。んなの、気にしてられるか。この居酒屋に、二度と来れないぐらいだろ。マイナス面なんて。
「そんな凹むなら、どうして引き止めなかったんだよ」
「引き止めたよ。けどな、俺はタチとして、泣きながら引き止めることは出来なかった」
「………………無駄にプライド高いのが、お前の悪いところだよ」
 ……うっせ、と言いそうになって、酒を一緒に飲み込んだ。さっきからずっと俺の悪いところばかりグチグチ言いやがって。俺はかなり腹が立っていた。真壁は俺と目が合うと、いっつもため息をつく。少しでも良いから慰めて欲しかったのに、優しい一言なんて一個も貰ってない。何だ。プライドなんか全て捨てて、泣きながら、別れないでーと泣きつけばよかったのか。そうすれば、お前は褒めてくれたのかと。問い詰めたくなったけど、なんだか方向性が変わってきたので、あえて言わない。決して、俺は真壁に褒めて欲しかったわけじゃない。ただ、慰めて欲しかっただけだ。……もう、酔っ払いすぎて、どうしてほしかったのか分からなくなった。おかわりした水割りを飲み、体の力を抜く。
 ぴるるるるるるるると、隣から携帯の着信音が聞こえる。隣を見ると、真壁が「あ」と言い、ポケットの中から携帯を取り出した。最愛の彼女さんですね、分かってます。真壁には、付き合って四年になる彼女がいる。もう結婚するだの云々言ってたけど、どうなるんでしょうね。表情がニコニコしている。俺と話してる時とは違う表情。どうせ、俺の愚痴なんてつまんないでしょうよ。優しく笑ってる顔を見たら、何だか申し訳なくなって真壁の肩を叩く。そして、満面の笑みで「行ってやれよ」と言った。今の俺、超カッコイイかもしれない。そんな自分に酔っていると、「うざいな」と言われ、肩を叩いてた手を払われた。
「言われなくても行くっつの。じゃあな」
「……え、マジで俺を置いて行っちゃうの!?」
「当たり前だろ? 泣きべそかきながら、別れた奴の愚痴聞いてるぐらいだったら、カワイイ彼女のところへ行くっつの。あんまり、飲みすぎんなよ」
 そう言って、真壁は俺の前に札を置いて居酒屋から出て行ってしまった。本気で帰ると思ってなかった俺は、唖然としたまま、真壁を見送る。友達が、親友が、こんな窮地に立たされているというのに、どうしてアイツは簡単に見捨てることが出来るんだ。それに、泣きべそなんかかいちゃいない。恋人にセックス迫って、フラれるなんてあり得ないだろう、と言いたかっただけなんだ。好きだから、ヤりたいって思うんだろうし、お前だって彼女とセックスぐらいするだろうと、男なら分かるだろうと……。つーか、単に同意して欲しかっただけなんです。
 俺はただ、お前は悪くない、って言ってほしかっただけだった。
「……マスター、おかわり」
 グラスに入っている焼酎を飲み干して、前にいる店主らしき人にグラスを差し出す。この人がマスターかどうかなんて分からないけれど、苦笑いでコップを受け取ってくれた。顔が、早く帰れ、と訴えている。でもまだ、飲み足りないから帰らない。皿に乗った冷めたポテトフライを手にとって、パクパクと食べる。塩味が、俺の心にまで沁みた。ヤバイ、地味に泣きそうだ。一人になると辛いから、真壁を誘って飲みに来たのに、これじゃ、全く意味がなかった。
「お待たせしました」
 トンと、グラスが俺の前に置かれる。一口飲んだら、トイレに行きたくなって、椅子から降りる。思った以上に、俺は酔っ払っていたようで、足がふらついた。ヤバイ、こける。どうにかして体勢を整えようとしたが、酔っ払ってるので平衡感覚なんて全くなくて、そのままカウンターに向かって倒れていってしまった。ガシャンと、皿が音を立てる。俺の服にしょうゆが染み付く。ここは俺の座ってた席か? でも、しょうゆなんて使ってなかったけど。わーって慌てる声が遠くから聞こえた。
「……大丈夫ですか?」
 その声だけはやたらはっきりと聞こえ、俺は上を見る。あら、やだ、イケメン。まぁ、雰囲気ではあるが、中々良い雰囲気を持った好青年が俺を心配そうに見ている。もしかしなくても、俺は彼の席に倒れこんでしまったようだ。白を基調としたポロシャツは右半分しょうゆまみれになり、散々だ。本当に散々だ。
「…………大丈夫じゃないです」
 思わず、そんなことを言ってしまうと、好青年は笑って「そうみたいですね」と言った。あぁ、なんか笑顔が心に沁みる。俺、さっきから、沁みてばっかりだ。人の優しさに飢えてたのかもしれない。最後のほう、アイツとはケンカばっかりだったし、確かに飢えてた。いつまでも、こけたままの体勢でいることも出来ず、俺は体を起こす。あぁ、べったりとしょうゆがくっついてる。これ、捨てなきゃダメだな。
「あの、付いてたりとかしませんか?」
 ほとんど、俺の服で受け止めてしまったから大丈夫だと思うけど、一応、好青年にも聞いてみる。好青年は笑顔で「大丈夫ですよ」と答えてくれた。服についてなくてよかった。
「食事、めちゃくちゃにしちゃいましたね。弁償します」
「いえ、気にしなくていいですよ。もう、ほとんど食べ終わってましたから」
「……でも」
「良いんです。ね?」
 好青年は首をかしげて笑う。優しい笑顔にほだされそうになった。
「良い人、ですね」
「……え?」
「そんでもってカッコイイ。ああ、良いな。こう言う人」
 思わず、そんなことを言ってしまう。もうかなり酔っ払ってたのかもしれない。俺はなんだか泣きそうになって、「ほんと、貴方、良い人だ」と連呼してしまう。目の前に居る好青年は困った顔をして、「あの、ちょっと……」と俺の肩を叩く。店員や客が俺をじろじろと見てた。でも、そんなことが気にならないぐらい、俺は酔っ払っていた。
「とにかく、座ってください」
 そう言って、好青年は自分の隣に俺を座らせ、焼酎の水割りを俺の目の前に置いた。
「嫌なことがあったんですよね。飲んでください」
「……うん」
 そこからの記憶が、さっぱりない。

 目を覚ますと見知らぬ天井。何が起きたのか分からず、俺は体を起こす。それと同時に襲ってきた吐き気と頭痛。完全に二日酔いだ。飲みすぎたのはよく覚えているし、俺はどうしてこんなところにいるんだろう。好青年に向かってずっこけ、良い人だと連呼したら隣に座らされて、水割りを一口飲んだところで、記憶が途切れている。記憶を無くしたなんて久しぶりの出来事だ。頭を押さえて項垂れていると、「大丈夫ですか?」と声を掛けられ、俺は顔を上げた。水が入ったコップを持った好青年が、笑顔で近づいてきた。
「え、あ……、えっと……」
 よく見ると、俺は服を着ていない。もしかしなくても、俺は彼を襲ってしまったのだろうか。ダラダラと冷や汗が流れる。どうぞ、と優しい声が聞こえて、俺は差し出されたコップを受け取った。冷たい水を一気に飲み込むも、沈んだ気持ちは戻ってこない。
「あの……、もしかして、俺……」
「あぁ、何も無かったですよ。安心してください」
 好青年は笑顔でそう言う。それにホッとしたけれど、どうして俺は全裸なのだろうか。
「……え、なんで俺、裸?」
「あー……、それはですね」
 好青年は少し気まずそうな顔をして、俺を見る。何か、とんでもないことでもされたんだろうか。でも、俺、元々ホモだし、そう言うところ寛容だから許してあげようと思っていた。なんてったって、俺の方が彼に迷惑をかけたのは確かなことだし。一皿、無駄にしちゃったし。
「自分から脱いだんですよ」
「え……」
 俺から、脱いだのかよ。好青年はなお、苦笑いをしている。
「余計なことかもしれませんが、付き合ってる人、いや、好きな人以外とセックスしようとしちゃダメですよ」
 そう言って、好青年は笑う。俺はダラダラと冷や汗を流し、答えることはできなかった。ああ、酔っ払った勢いで俺が迫ってしまったのか。まぁ、あの寂しい心をどうにかしたくて、セックスして紛らわそうとしたんだろう。ああ、手に取るように、全く覚えてない自分の行動が良く分かってしまい、居た堪れなくなる。
「えっと……。ごめんなさい」
「いえ、気にしないでください」
 なんかもう、穴があったら入りたいってこう言う気持ちなんだろう。俺は顔を布団に埋める。うちの布団とは違って、凄くふかふかしてて心地いい。好青年は布団越しに俺の肩を揺すり「起きてくださいよ」と言う。相変わらず、優しい声だった。顔も良いし、声も良いし、優しいし。本当にいい人なんだなって思った。それと同時に、自分がしてしまった行動があまりにも軽率でバカげてて、盛りまくったことでフラれたのに、俺はまた同じ道を歩もうとしていたのか。酔っ払った時の行動は、大半が本意だ。俺はまだ、ヤり足りないと言うのか。
 あぁ、あまりにも性欲が旺盛すぎて死にたくなる。
「……久保さん?」
 好青年が俺の名前を呼ぶ。どうして、彼が俺の名前を知っているのだろうか。疑問に思ったが、昨日は隣に座ってたんだし、真壁との会話を聞かれていたんだろう。俺の名前を呼ぶ声は、柔らかくて心地よかった。
「ごめんなさい。俺、ホテル代全額払うんで……。そっとしておいてくれませんか」
 苦し紛れにそう言うと、好青年の手が俺の肩から離れて行った。彼だって、こんな酔っ払いの面倒を見たくないだろう。ま、今は酔っ払いじゃなくて二日酔い野郎ですけど。
「半額、置いて帰りますから」
 そう言って、好青年の声が遠ざかった。酔っ払って絡んで挙げ句の果てには迫って、本当に迷惑な野郎だった。でも、あまりの恥ずかしさと、変わらない自分の行動に苛立って、布団から出ることが出来なかった。彼に礼を言いたいけれど、もう、会うこともないはず。彼にとって昨日は悲惨な日だったかもしれないが、俺にとっても、悲惨な日だった。何十分か布団にくるまっていると、ピルピルと聞き慣れた携帯の音がする。俺はもぞもぞと布団から這い出て、携帯を手に取った。
 フラれようとも、親友に見捨てられようとも、見ず知らずの人に絡んでしまおうとも、日常と言うのは不変だと言うのを、俺は携帯電話によって思い知らされた。
『久保! お前、今、何時だと思ってるんだ! とうに出社時間は過ぎてるぞ!』
 そう言われて、俺は今日が何曜日で何時なのか知る。今日は木曜日で、今は午前十時だ。出社は九時からで、もちろん今日は仕事だ。部長の声に、血の気が引く。
「す、すみません! い、今から……」
『早く来いよ!』
 そう言われ、電話は一方的に切られる。今日は午後から会議があって、絶対に出社しなければいけない日だ。襲ってくる頭痛を堪えながら、俺は綺麗にたたまれた服を見つめ、泣きそうになる。絡んで迫られたのに、あの好青年は服まで畳んでくれた。そして、半額置いて帰ると言ったのに、テーブルに置かれた紙幣の額は半額よりも多かった。
 何だか与えられる優しさが、少し辛くも感じた。


 一旦、家に帰ってから風呂に入り着替え、それから出社したため、会社に到着したのは電話を貰ってから一時間半後だった。もちろん、そんな遅い出社に電話をかけてきた部長はもちろん、課長、主任と順々に怒られた。それで一時間半の時間がまた潰され、昼飯も食べれないまま、会議に出席することとなった。他社との合同プロジェクトで、相手は同じビルに入っている広告会社だ。ノートとか筆記用具を持って、課長たちに連れられ、会議室へと向かった。中に入ると既に、相手の会社のチームは会議室に集まっていた。
「よろしくお願いします〜」
 そんな軽い会話が、両者の間で行われる。何度か会議をしてるらしいが、プロジェクトチーム全員が集まる会議は初めてだ。俺もこのチームに入れられて、結構な時間は経つけど、会議に初めて参加する。名刺を片手に、相手のチームの人達と名刺交換をする。
「どうも、久保です。よろしくお願いします」
 流れ作業で名刺交換をして行き、俺は相手の名刺を受け取る。宮崎と言う名前を見てから、俺は笑顔で顔を上げた。そこには見慣れた顔。笑ったまま、俺は固まってしまった。
「……大丈夫ですか?」
 彼は俺に何度、そう尋ねただろうか。忘れようと思っても、今朝の出来事を忘れることなんて出来ない。俺は口をぽかんと開けたまま、彼の顔を見つめていた。
「おい、久保。終わったなら、早く席に着け」
 そう部長に怒鳴られてから、俺の意識はようやく現実へと帰ってくる。「は、はい!」と返事をして、好青年こと宮崎さんから目を逸らした。交換した名刺をマジマジと見つめる。宮崎……、郁哉と書かれている。何て読むのか、分からなかった。
 俺が席に着いたと同時に、会議が始まってしまった。対面に居る彼を見て、目が合う。俺から思いっきり逸らしてしまい、また居た堪れなくなる。完全に愛想悪い奴だよ。お礼とか、お金返したりとか、色々したいのにここじゃ出来ないし、どうしたらいいんだろうか。会議の内容なんて、俺の頭の中にはさっぱり入ってこなかった。
 会議が始まって二時間後。三時になり、十五分ほど休憩が入った。俺は会議室から一番最初に抜け出し、喫煙所へと向かった。終わるまでになんとか、話すきっかけを作らなければ。話しかけたくない気持ちも強いが、お金を返すつもりだってちゃんとあったし、謝る気だってあった。ただ、それをするための勇気が足りないだけだ。扉を開け、非常階段の踊り場にある灰皿の前に座る。夏場は暑いし、冬場は寒いここは、人気が無くゆっくり休めれる場所でもあった。スーツのポケットから煙草を取り出し、俺はそれを銜えて火をつける。何も話を聞いてなかったのに、とても疲れた。
 まさか、同じビルに入っている会社で働いてるとは。もう二度と、会うことなんて無いと思ってた。彼が居なくなってからは、彼にどうやって礼を言おうか、謝ろうかと考えていたけれど、いざ、彼と頻繁に会えることが分かると、居た堪れなくなって逃げた。結局、俺は自分にすら良いように取り繕っていただけではないか。自分にすら良い格好をしてどうするつもりなんだろう。
 浅ましい考えにイラついて、凹んで、泣きそうになった。
 キィと音を立てて、扉が開く。ここに人が来ることはあまり無い。誰が来たのだろうかと顔を上げると、好青年の宮崎さんが外に出てきた。ビクと、体を震わせ、俺は言葉に詰まる。最初から、何を言えば良いのか分からなくて、また俺から目を逸らしてしまった。
「……あれから、仕事、間に合いましたか?」
 気を使ったような声が聞こえ、俺はすぐさま、彼を見る。
「あ、あの、ごめんね。それと、お金置いて行き過ぎだから。返すよ」
 彼が聞いてきたことは全部スルーして、そんなことを言ってしまう。彼は笑って「良いんですよ」と言った。全然、良くない。俺は「俺が悪いんだから、ちゃんと払わせてよ」と食い下がるも、彼は首を振って俺の主張を認めてくれなかった。
「……恋人に、フラれたんですよね。だから、俺はああなっても仕方ないと思います。迷惑とか、そんなこと全然思ってませんから。気にしないでください。ただ、それを言いたくてここに来ただけですから」
 彼はそう言って、俺に背を向けて、扉を開けてしまう。
「待って」
 咄嗟に、彼の腕を掴んで引き止めた。聞きたいことが、また出来てしまった。ここに人は全然来ない。俺が見つけてから、一度も誰かと一緒になったことがない。それなのに、どうして彼は俺がここに居ることを知っていたんだろうか。
「……何で俺がここに居るって分かったの?」
 そう尋ねると、彼は振り向いて笑う。その笑顔は、少し悲しげだった。
「休憩時間、終わりますよ」
 俺と同じぐらい、彼のはぐらかし方はあからさまだった。
 それでも彼の言う通り、休憩時間はそろそろ終わろうとしていた。吸っていたタバコを灰皿に押し付け、会議室に戻る。これからの方向性など、いろんなことを話し合っているうちに終業時間が終わってしまい、帰れるのかなと思っていたけれど、この勢いで飲みに行くらしい。昨日、酒の席で散々なことをしてしまった俺は、また彼の前で俺は酒を飲まなきゃいけないのか。自分で言うのもなんだが、俺は酒癖が良くない。
 あんまり行きたくなかったが、社会人になれば、酒を飲むのも仕事のうちの一つだ。断ることなんて出来るはずもなく、俺は相手のチームの主任さんやいろんな人に酌をする。わはは、と表向きはとても楽しそうな飲み会だった。きっと、俺と彼以外は、楽しかったに違いない。微妙にだけど、俺達の間に気まずい空気が流れていた。
 一件目は居酒屋。プロジェクトの主要メンバーを率いて、二件目に行くこととなった。彼も主要メンバーだったようで、一緒にスナックへと連れて行かれる。おっさんどもはおばさんたちと一緒に歌い、俺と彼は並んで座っていた。焼酎の水割りを飲みながら、俺は彼をちらっと見る。なぜか、目を合わせてくれなかった。
 俺が悪いんだろう。まぁ、ホモだし。偏見の目で見られるのは慣れている。
「人前でタバコは吸わないんですね」
 彼がポツリとそう言った。
「え、あ……。タバコ吸ってるって知られると、面倒なことも多いじゃん。いつもはどこで吸ってんだ、とかさ。俺、付き合いでタバコ吸ったりするの嫌いだから」
「そうなんですか」
 彼の顔が少しだけ、明るくなった。
「じゃぁ、知ってたのは俺だけ、なんですね」
 ようやく、そこで彼が俺の顔を見る。ジッと見つめられ、俺は何も言えなくなった。昨日、見せた表情と同じ柔らかい笑顔だ。その笑顔に安堵し、ちょっとだけ心が軽くなった。
「何で、知ってたの」
「十時と三時に、あそこでタバコを吸ってますよね。そのたび、いつも誰かと楽しそうに会話してるの聞いてて、羨ましかった」
「……羨ましい?」
「貴方を喜ばせる、その電話の主がです」
 彼の笑顔がまた寂しい笑顔へと変わる。どういうことだろうか。これは誰が聞いても、勘違いしてしまうフレーズだぞ。カランと、コップに入っている氷が崩れて音が鳴った。手を付けていないコップは、結露して水が滴っていた。
「どういうこと?」
「初めは、煩いなって思ってたんです。休憩時間ぐらい、静かに過ごしたいのに、下からは楽しそうな声が聞こえてくる。ああ、邪魔されてるなって思いながらも、会社の中って結構煩いし、静かになれる所って、あの非常階段しか無かったんですよ。だから、我慢してたんですけど。だんだん、話してる内容が耳に入るようになって、楽しそうな貴方の声を聞いて、幸せそうだなって思ってました。でも、ここ最近はケンカしてるのか、寂しそうな声で気がかりでした。……あ、居酒屋は偶然ですからね。後を付けたりとかしてませんから」
 彼は手をブンブンと振って、俺に身の潔白を証明する。最初から、そんなことを疑って無かったのに、なんか誤解させているようで俺は苦笑いをする。
「好きな人とセックスしたいって気持ち、俺は分かりますよ」
「……え?」
「だって、俺は貴方に対して、そう言う感情を抱いてましたから。いつの間にか、好きになってた。でも、貴方が自棄になって俺とセックスするのはどうしても許せなかった。気持ちが通ってないセックスなんて、気持ち良いだけで満足なんてしない。俺はそんなセックス、嫌いなんですよ」
 そう言って彼は笑い、いきなり立ちあがった。
「気持ち悪いのは俺の方です。すみません、いきなりこんな話しをしちゃって」
 彼は俺の前から、また居なくなるつもりなんだろうか。そう思ったら、なんか嫌でお金を置いて歩こうとした彼の腕を掴んで、俺の隣に無理やり座らせた。
「何で気持ち悪いなんて思うの」
「……だって、貴方は俺のことなんて知らないのに」
「そんなの関係ないじゃん、そんなの。好きになった気持ちが止められないのは、俺も分かるよ」
 詭弁だろうか。でも、そう思ったのは間違いなかった。
「まだ好きになれるかどうか分からない。でも、こうやって会えたのは縁だと思う。君の名前を教えて? 名刺、読めなかったんだ」
 そう言うと、彼は笑って「ふみや、です。宮崎郁哉」と自分の名前を名乗った。
 性欲旺盛な俺の気持ちを汲んでくれたのは、彼の優しさなのか本心なのか、今はまだ分からない。

<<<<<<<<<<< Index >>>>>>>>>>>