良性と悪性
レイは悪い男だ。
「はぁ? んなもん、他でやれ」
頼み込んだ俺をまるでごみでも見るような目でそう言い放った。当然、頼み込んでいる俺は言い返せないから、レイの進路を塞ぐしかない。
「ていうか、邪魔や。はよ、退け」
「イヤや。良いよって言うまで退けへんもんねー!」
「腹立つわぁ」
そう言って、レイは思いっきり俺を踏んづけていくと、半ば無理やりそこを通った。周囲の人間は俺らを哀れむ目で見つめていた。
「佐古田くんって怖いなぁ」
俺らの会話を傍観していた女子がそういう。
「そうか? ああ見えて、レイはツンデレやからな。ちゃーんと俺のお願い、聞いてくれんねんで」
「え? そうなん?」
女子が通り過ぎたレイの後姿を見つめて笑う。それが聞こえたのか、レイは振り返るなりに俺らを睨み付け、「絶対、やらへんからな!」と叫んだ。それから付け加えて、「俺はツンデレとちゃう!」なんて顔を赤くして言うからめちゃくちゃ可愛い。この場で襲ってやりたい。それにお前は完全にツンデレだからちゃんと認めろ。
「結構、おもろいんやな。佐古田兄弟は」
「レイは否定するけどな」
「で、どうなん? おっけーしてくれそうなん?」
「まぁ、大丈夫やろ」
家に帰ってからお願いすれば、レイはイヤでも頷くだろう。まぁ、レイもそこまで見込んでいる。だから最初は断る。
「……………………おま、えは、悪い男やなっ!」
俺の下で足掻くレイは珍しく頑固だった。いつもなら仕方なしに頷いてくれるのに、今回は本気で拒んでいた。
「レイに言われたないなぁ」
「何でやねん。俺は悪いことしてへんし……。それに、うちに、他の奴が来るなんて、絶対イヤや」
レイはキッと俺を睨み付ける。レイが断るのは分かりきっていたし、俺も最初は無理だと言ったけれど、話の流れ的にそうなってしまって断りきれなかった。たった一日ぐらい、我慢してくれたっていいじゃないか。
「しかも男だけやなくて、女も来るんやろ? ぜえええったいイヤや」
「しゃーないやんか」
「しゃーなくない。お前がちゃんと断れば終わることや。それに俺は友達を家になんか呼んだことないやろ。どうしてお前がそれをすんねん」
「レイの場合、友達いないからやないの?」
無言で足を蹴られた。けどレイが誰かと一緒にいるところなんて俺はあまり目にした事がない。てっきり友達なんていないのかと思ってたけれど、そんなこともないらしい。どんな友達なのか、少しだけ気になった。
「今回ばかりは何をされても絶対に頷かんからな」
そんなことを言うから、俺も煽られてレイに酷いことをしてしまう。結局、レイは俺に泣かされても、宣言通り首を縦に振ることはなかった。だから俺も面倒くさくなってレイの了承なんて貰わず、友人には「いいよ」と返事をしておいた。
事の発端は、一学期の成績だった。
授業中の半分以上は寝てしまったせいで、一学期の期末テストは最後から数えたほうが断然早い順位になった。レイには「お前ってそこまでアホやったっけ」と心配され、クラスメートには爆笑され、友人らは俺と同じぐらいの成績だった。夏休みは補習で半分以上が消えた。親がいないからと言って、さすがに最後から二番目はまずい。友人達も似たような成績だったから、中間テストの向けて勉強をしようと言い出したのは俺。だから、場所を提供しろと言われた。
レイの言うとおり、女もいる。というか、勉強をしようとでかい声で言ってしまったから、参加する人が増えてしまった。それも俺のせいだ。
そんでもってこの前、かなりこっぴどいことをしてしまったから、レイは俺を無視している。そのうち、機嫌が良くなるだろうと思っていたが、レイはかなり怒っていて口を利いてくれないまま、当日を迎えてしまった。
「わぁー、ここがイチの家? でっけー」
家の中に入るなり騒がしくなる。まぁ、こんなことは想定内だったけれど、やっぱりこの空間に他人が入るのは少し嫌な気分になった。それでレイが頑なに拒んだ理由を知る。リビングは無人で、入ってきたクラスメートが適当に座った。
「教科書とか取ってくるわ。くれぐれもリビングから出たりするなよ! 人の家を探検とかやめろよ!」
「はーい」
みんな小学生のように返事をしたが、ニヤニヤ笑っているのであまり信用できない。一階を探索されるのはいいが、二階はさすがにレイが怒る。まぁ、姿を見つければ、俺が怒ればいいわけだし、と思って階段を上がり始めたところで「あっちいってみよーぜ!」と元気な声が聞こえた。俺の言うことなんて全然聞く気ない。
こういうところもレイが嫌がったところなのかもしれない。レイの部屋の前を通ったとき、ガヤガヤと人の話し声が聞こえた。テレビでも見てるのだろうか。いや、会話してるぞ。
気づいたらドアを開けていた。レイは不機嫌そうに俺を睨んで、「何や」という。いや、それはこっちの台詞だ。これまで俺が友達を連れてきたことはそこそこあるが、レイが連れてくるのは初めてだった。俺の知らない顔ばっかりで気持ち悪くなる。俺のテリトリーに知らない奴がいる。
あぁ、そうか。俺がそう思ってるってことは、レイも一緒だ。
「ちょ、レイ。来て」
「イヤや」
「ええから、はよ」
相当、切羽詰った顔をしていたのか、レイはため息混じりに周りを見渡し、「ちょっとごめん」と謝ってから立ち上がった。部屋から出るなり、俺の部屋に連れ込むと「何やねん」と不満を漏らす。
「あいつら帰して」
「はぁ? いきなり、何なん? お前も友達連れてきてるやろうが」
レイはきっと仕返しのつもりだったに違いない。俺が連れてくるなら、自分も連れてきてやろう、というちょっとした意趣返し。けれど、それは俺に強烈なダメージを与えた。きっとレイも一緒だ。自分の場所に、知らない人間がいるのは酷く気分が悪いものだ。
あと俺が友達いないとか言っちゃったから余計か。まさに自業自得。
「レイが知らん奴と一緒にいるの耐えられへん」
「あまり大きい声でそういうこと言わんといてくれる? 聞こえたら相手に申し訳ないやろ。俺は少なくとも、お前の友達に聞こえるようそんなこと言わんで」
「……うん」
分かっている。
「俺、急用できたって言うから、レイも言って」
レイは少し考え込んでから、「分かった」と頷いて部屋を出た。隣の扉はすぐに開いて、レイが申し訳なさそうに謝っている。俺が言い出したんだから、早く行動に移さねば。
リビングに駆け下りると、案の定、クラスメートはリビングや客間などを散策している。
「あのさ、悪いんやけど、急用入ってもうた!」
「ええええ!!」
文句は当然のように降ってくる。俺が言いだしっぺだから余計だ。
「親戚が来るんだよ。本当にごめん」
「それなら仕方ないけど……、勉強はまた今度やねぇ」
「放課後に学校でやれへん? みんな残って」
友達と一緒に居るレイを見てあんなことを思った以上、俺も友達を連れてくるのはやめたほうがいい。俺が思っていることは、当たり前のようにレイも思っている。俺らは悪いところも良いところも全く一緒だ。
俺らが話している最中に、レイの友達が階段から降りてくる。リビングに階段があるからどうしても俺らの横を通り過ぎなければならない。三組の連中は俺らを見て少し足を止めてから、そそくさと通り過ぎようとする。
うちの学校は一組から八組まで成績でクラスが分けられている。六組から別棟なのは一組から五組までの優等生に俺らバカが干渉しないようにという教師の計らいもある。
俺らにとって一組から五組の連中は雲の上の人、憧れの様な存在でもある。
まぁ、向こうからすれば、八組なんて学校に巣食う害虫とでも思ってるだろうけど。
「キミ達、三組の人やんな?!」
一人が彼らの進路を塞いで話しかける。驚いたようにびく、と体を震わせた華奢な男は、「う、うん……」と返事をする。一応は同学年だから敬語は使っていないけど、明らかに警戒している。
「……おいおい、お前ら、レイの友達に迷惑かけんといてよ。俺が怒られるんやから」
「勉強教えてください! お願いします!!」
人の話など全く聞かずに、土下座せんばかりの勢いで頼み込む。他の奴らまでそいつに倣って頭を下げるもんだから、あまりの勢いに「え、ええよ……」と頷いてしまった。
「ほんまに!?」
まさに救世主、と言わんばかりに手を掴み、「ありがとう! ありがとう!」と礼を言う。バカだけど悪い奴らではないから、レイの友達をいじめたりなんて絶対にしない。むしろ、拝んでいる奴まで出ている。それを見ていたレイが噴出して、腹を抱えて笑った。
「何で拝んでるん」
「え! だって、俺らにとって三組とかマジで神様やし」
「じゃあ、一組の連中はどうなるんよ」
「恐れ多くて話しかけられへんわ。バカが移ったら申し訳ないし」
その返答にレイが大声で笑う。これまでレイが俺の友達に話しかけるなんて滅多になかった。別に見下したりなんてそんなことはしてないけど、単純に俺の周りにいるから気に入らなかったのだろう。それは俺も分かる。レイの友達なんてはっきり言うと憎い。
「そんなん、移れへんやろ」
「分からんで! 俺らのバカさ加減は半端ないからな!」
「えぇ、そんなんやったら、俺らにも移るんとちゃうん?」
頷いた一人がそういうと愕然とする。口を開けて絶句した顔を見て、レイは更に笑い「あまり意地悪言うたんなって」と先頭に立つ男の肩を叩いた。
「まぁ、俺のオニーチャンの友達だから悪い奴やないと思うし、こっちも急で悪いな」
「ええよ。また分からんとこ、学校で教えて」
「うん」
そう言ってレイの友人が俺の友達を連れ出してくれた。レイは玄関まで見送り、俺はぼんやりとその姿を見つめていた。
帰り際、俺の友達が「佐古田君って笑うとイチに似とるなー」と言った。レイは鼻で笑って、「双子やから当然やろ。ほんまアホやな」と答えた。なんか急に俺の友達と仲良くなっているのに、俺は嫉妬した。
「お前の友達、かなりおもろいな。ずばずば言っても怒らないし」
レイは玄関から戻ってくると笑いながらそう言う。
「せやろ?」
「あんま嬉しそうな顔、してへんな」
レイは俺を見上げて笑う。俺とは全く似ていない意味深な笑いだ。
「そりゃ、そうやろ。俺の友達と仲ようしとったら」
「だってお前の友達、ほんまのアホなんやもん。話しててめっちゃおもろかったわ」
「嫌味?」
「まぁ、嫌味」
俺が思っている以上に、レイは今回のことを根に持っている。俺の友人がレイの友人に頼み込んだのは偶然だけど、レイはそれを利用してあいつらに話しかけた。これまではそんなこと絶対にしなかったし、明らかな距離を置いていた。お互い、公共のテリトリーには絶対踏み込まなかったのに、レイはわざと踏み込んだ。俺を怒らせるためだ。
本当に悪い男だ。
「学校なんてなくなればええのにな」
俺が独り言のように言うと、レイも「せやな」と頷く。学生だから周りに合わせて友達を作っているが、本当はそんなものいらない。いつでも俺らの世界には俺らしか居ない。同じ遺伝子を持っているだけで別人だが、俺らは考えも何もかも一緒だ。きっと、俺はレイが居なくなれば生きていけないし、レイも同じだ。俺が居ないと生きていけない。それは良いことなのか、悪いことなのか。そんなことどうでもいい。この世の倫理観なんて最初から無視している。
「なぁ、慰めてや」
「はぁ? イヤや」
まだ怒っているのか、レイは俺のほうをあまり見ない。この前、散々やってしまったのをかなり根に持っている。レイは一度怒ると、なかなか機嫌が直らない。まぁ、それは俺も同じ。
「この前、散々お預け食らって色々溜まってんのは、俺のほうなんやけど」
隣を見ると、レイは少しだけ頬を膨らましている。俺と同じ顔なのに、無性に可愛く見えてくるから不思議だ。
「なんや、そないなことで怒っとったんか」
「それもあるけど、女やら男やら沢山の人を集めて、何するんかと思ったわ」
「何って、勉強や、って言うたやん」
「何の勉強やら」
レイの言葉に首を傾げる。だからそろそろ中間テストが近いから、勉強しようって言い出したのは俺ってちゃんと説明した、よな。レイは俺をジッと見つめている。それはもう穴が開くわと言わんばかりの強い眼差し。
「あー、もしかして、やらしいこと考えてた?」
「だってお前の友人がおるとき、俺は家におらんやろ。何があっても不思議やない。輪姦とか乱交とか」
「ないわ。エロ本の見すぎ」
「お前とちゃうわ」
例えレイの予想通りの展開になってしまったとしても、俺がレイ以外の奴に手を出すわけがない。それを分かった上でそう言っているんだからバカだと思う。レイはこうやって俺よりバカなことを考えるけど、逆の立場だったら俺も同じ事を言っていた。つくづく一緒だ。だから考えもすぐに分かる。
「……勉強、教えてほしいなら、俺に言うたらええやん」
拗ねてるような声でレイが呟く。
「え、レイにだけはイヤ」
「はぁ!? 何でやねん!」
そんなもの、問わなくても十分に分かっているはずだ。俺達は一緒にいなくては死んでしまう生き物だが、双子としてのプライドだってある。片割れには負けたくない。弱味を見せたくない。教えを乞うなんて絶対にできない。
「お前なんて、学年ビリになってしまえ!」
俺の言いたいことが十分に理解できたレイはそうはき捨てると怒って部屋に閉じこもってしまった。それからレイが機嫌を直すことはなく、三組の連中に勉強を教えてもらった友人達よりも悪い成績だった俺は、レイの捨て台詞通りの結果になってしまった。
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