サブスティテュート


 四方を山に囲まれたド田舎の、地主の家に俺たちは生まれた。俺の弟は、普通の男と少し変わっていた。一般的にはそう、両性具有と言われる染色体の異常によって、男の体でもあるし、女の体でもあった。そんな弟の双子の兄として生まれた俺は、染色体の異常もなく、通常の男として育っている。どうして、代わってやれなかったのか。なぜ、俺は普通なのかと考える日々。そもそも、双子自体忌まわしいと噂される時代錯誤の村に生まれた俺たちの肩身は狭く、弟がそんな体だとバレればもっと騒がれて下手したら消されてしまう危険まであった。だから、俺は常に弟の傍に寄り添い、苛める輩を追い払っていた。俺は弟のためなら、何でもすると決めていた。俺が守ってやらなきゃ、ダメだと思っていた。
 十五歳になったある日、突然、こんな話が舞い込んできた。
 弟をほしがっている人がいると。
 弟の体の事情を知っているのは、うちと本家のみ。どうやら本家の坊ちゃんが興味本位に、俺の弟をほしがっているようだ。体の作りこそは違うけれど、顔や見た目は全く同じ。だから、その時は何も考えずに、俺と弟が入れ替わることにした。
 後悔、までとはいかないが、どうしてこうなったのか、誰か詳しく分かりやすく教えてほしかった……。
「どっちでも良かったから」
 なぜ、こんなことをするのかと尋ねたら、男は平然とそう言いのけた。
「……ハァ!? っていうか、俺は男だぞ!」
 足払いをされて床に押し倒されて約十分、貞操の危機に見舞われている。弟をほしがったという本家の長男は俺より十歳年上だ。一流企業の会社員と聞いたが、田舎育ちの土臭いガキをどうするつもりなのか、さっぱり分からなかった。眉間に皺を寄せると、楽しそうに微笑まれる。
 こういう笑い方をする奴は、善人でない。
「男なのは知っているよ。双子だと言うのもね。そもそも、俺が欲しかったのはキミの弟だったはずだけど……、どうしてキミがここにいるのかな?」
 張り付いた笑みを見せる男を見上げて、俺はぐっと息を呑む。俺ではなくて、弟を要望したのはもちろん分かっている。親ですら見分けのつかない俺たち。入れ替わるのは簡単だった。違うのは、体の構造だけだ。
「それを両親に言えば、キミの家族がどうなるか、分かって抵抗してるのかな?」
 笑顔で脅迫するやつを、俺は初めて目にした。
 うちは東京にある富豪の分家として、ド田舎で地主をやっている。遠い昔は血縁だったらしいが、今やほとんど血の繋がりはなく、他人といっても過言ではない。にもかかわらず、事あるごとに本家だの分家だの、差別のような用語が飛び交って不快を感じていた。しかし、ここで俺が逆らったりしてしまえば、弟を出さなかったことを責められて、両親、弟がどうなるか分かったもんじゃない。
 つまり、弟と入れ替わってしまったなら、俺は最後まで役目を全うしなければいけないということだ。まぁ、こんなこと、弟が、鈴が犠牲にならなくて良かった。
 鈴は生まれてからずっと体のことでつらい思いをしてきたんだから、ちょっとぐらい俺もつらい目にあったって良いと思う。
「ようやく自分の立場が分かったみたいだね」
 大人しくなった俺を見下ろして、男が笑う。ええと、名前はなんて言ったっけ。もう全然、覚えていなかった。
 その日、俺は男に抱かれた。十五歳になったばかりの春のことだった。

 田舎から都会に出てきて半年、高校生活にもようやく慣れてきた。最初は目を奪われた高層ビルなんかも、今は視界にも入らない。そう言えば、今日は会議で遅くなるだのなんだの言われていたことを思い出して、これからの行動を考える。携帯の画面を見つめて、メールや電話が来てないのを確認してから、食事は簡単に済ませてしまおうと決める。身代わりでこの地に自分の意志で来てから、家事を覚えた。相手が何もできなければ、自分がやるしかない。一応、長男の坊ちゃんとして育ってきたから、最初は散々だった。
 目玉焼きを作れば丸焦げにして、卵焼きを作っても丸焦げ、魚を焼いても丸焦げ、肉を焼いても丸焦げ。とにかく丸焦げばかりだった。それからようやく、原型をとどめ始めて、三か月でようやく一般的な食事ができるようになった。笑顔を張り付かせた嫌味野郎はケータリングで良いと言っていたが、そんな食事ではいつか体を壊しそうだったので料理を覚えようと決めた。まぁ、失敗の数々を見つめたくそ野郎は、「こんなものを食べてるほうが、体を壊しそうだ」と言っていたが、今は問題もなく食べている。時折、「平凡」だなんてセレブリティな嫌味を言われるが。
 料理は苦戦したけれど、掃除洗濯は簡単だった。なんとか生活が成り立つようになり、夏休みの間は成績を落とさないように勉学に励んで、時たま友人と出かけて、高校生活を満喫していた。
 コンビニで適当にご飯を買ってマンションの前に立った時、「柚子!?」と俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある俺と似たような声。振り向かなくても、誰が呼んだのか一瞬で分かった。振り返ると俺と同じ顔が、泣きそうに歪んで突進してくる。
「柚子ううううううううううう!!!!!!!!!」
 弟の鈴だった。鈴が泣きながら俺に向かって突っ走り、見事に衝突。勢いを殺しきれなかった俺は、そのまま後ろにぶっ倒れた。上に乗っかった鈴は、俺の体に抱きついてうわんうわんと大声で泣いている。通り過ぎる人たちの視線が冷たくて痛かった。
「す、鈴……、ちょっと退いて」
「柚子ぅ! 会いたかったあああ!」
 こういうときの鈴は、人の話を聞かない。コンクリートの地面に押し倒されたままの俺は、どうしていいのか分からなかった。こつんと固いものが頭に当たって、目を開ける。頭上には鈴を欲しがった変態の坊ちゃん、関谷一志が立っていた。わざとらしい笑顔を浮かべて。
「何してるの、柚子」
 穏やかな声で尋ねられる。誰に対してもこんな笑顔で、優しく話しかける一志に騙される奴は多い。他の奴の声が聞こえたのか、鈴がようやく俺の上から退いた。一志を見上げて、悔しげに表情を変えた。
「あんたのせいだ……」
「え?」
「あんたが僕を欲しいとか言ったせいで、柚子が……。柚子が僕から離れていったんだ!!!」
「キミ、柚子の弟の鈴君だね。顔、そっくりだ」
「柚子のことを呼び捨てにするな!!!!」
 わーわーと騒ぐ鈴を見てから、一志が俺を見る。黙らせろと、表情が語っていた。まだ知り合って半年だが、一緒に住んでることもあって表情で感情ぐらいは読み取れるようになった。常に笑ってるようやなつだけど、性格は悪いし、意外と顔に出やすい。
「鈴。とりあえず、ここでは静かにしろ」
 今にも噛みつきそうな勢いで凄んでいる鈴を宥めようとしたところで、今度は怒りの矛先が俺に向かってきた。
「どうして止めんだよ!」
「外だしな」
 そこでようやく、ここがどこなのか把握してくれたらしく、鈴が黙り込んだ。鈴の悪いところ、その二だ。カッとなると目の前しか見えず、所構わず喚く。
 泊まる場所なんて用意してないとやたら踏ん反り返って言った鈴を泊めるはめになり、一志の起源は最高潮に悪かった。表面上、そんなそぶりを見せないから余計に性質が悪い。
「手伝おうか? 柚子」
 聞いたこともない言葉が真横から聞こえて、思わず目を見開いてしまった。本当は簡単に済ますはずだったのに、鈴は何も食べてないと言うし、一志も食べたいとか言うから渋々飯を作ることになった。俺のコンビニ弁当は、明日の昼飯に変える予定だ。賞味期限がぎりぎりだけど、あんまり気にしない。
「……え、手伝えるのかよ」
 ついつい、そんなことを言ってしまうと、一志はにこりと笑って「何言ってるの、いつもやってるじゃん」と息を吐くように嘘を吐く。こいつのすげぇところは、こういうところでもある。
「じゃ、じゃぁ……、うん、まぁ、頼むわ」
 断るな、と笑顔が訴えていたので、あまり頼みたくないけど手伝いをしてもらう。料理なんかしたことないって言ってたくせに、手際は良かった。本当はできるのではないか。炒めたりしてるのを見たら、余裕でできるんだと思う。俺が初めて作ったときは、笑ってみてるだけだったのに……。
「そう言えば、今日、会議って言ってなかったか?」
「あぁ、うん。来週に延びたから、今日は定時。そろそろ、柚子の学校では文化祭とかあるでしょう」
「う……、うん。よく知ってるな……」
 純粋にそれはびっくりした。俺のことなんて基本的に興味なさそうな感じなのに、文化祭とか行事のことを知ってるとは思わなかった。目を見開いていると、一志がにこりと笑う。それが気に食わなかったのか、鈴がリビングから大声を出す。
「って言うか、なんで柚子がご飯なんか作ってるの!? 家じゃやったことなかったのに!!!」
「鈴。ここは家じゃないから、ちょっと声のボリューム下げろ。近所迷惑だから」
「……どうして、僕のこと怒るの? 柚子らしくない!」
 甘えて育ったせいと言うか、まぁ、甘えさせてしまったのは俺のせいかもしれないが、鈴は自分の思い通りにいかないと癇癪を起こす。悪い癖だが、どうしても怒れなかった。隣の男が機嫌悪そうに顔を顰めた。
「鈴。ここは俺の家でもない。お願いだから、言うことを聞いてくれ」
 静かに言うと、今度は不貞腐れたようにそっぽを向いてしまった。かなり機嫌が悪いのは分かっているけど、静かにしてくれるなら助かる。俺も大人しく、包丁を動かした。
 どうやってきたのか聞こうと思っていたのに、気づけば鈴が寝てしまっていたので、何も聞けなかった。すやすやと寝息を立てているのを見て、息を吐く。このままでは風邪をひいてしまう。嫌味を一つも言わず、一志が客間を用意してくれて、鈴を運んでくれた。俺の力では、鈴を運べない。鈴を欲しがっていただけあって、わがままに文句ひとつも言わないのは、印象を良くするためだろう。
 鈴が来たら、俺ってここにいる意味、あるのか。
「すごい子だね」
 運び終えた一志が、やれやれと言った顔でリビングに戻ってくる。テーブルに並べた食事を見て、定位置に座った。俺も一志の対面に座って、箸を握りしめる。
「ま、食べようか」
「うん」
 気になることはたくさんあるけど、言葉に出来なかった。いただきますと言って一志が箸を伸ばしたのを見てから、俺も味噌汁に手を付ける。格段、美味いとも言えない飯だけど、なんか今回は味気ない気がした。気持ちがなんだか、沈んでいる。鈴に会えて、嬉しいって気持ちと、わがままを普通に言える状態が、疎ましくもあった。俺が作ってしまった状況なのに。
「えーっと、彼は、鈴君、だったよね。ほんとに、柚子とそっくりだな」
「双子だからな」
 本当に見た目だけはそっくりだった。性格が全然違うから、俺と鈴を間違える人はあまりいないけど、俺が鈴のように振る舞えば間違える人なんていない。
「でも、性格似てないね。わがまますぎない?」
 顔を上げると、一志はちょっとだけ不満げな顔をしていた。確かに傍から見たら、鈴はただのわがままだ。だけど、鈴は人には決して分からない悩みを抱えている。わがままぐらいは許してやらなきゃいけないんだ。俺が代わってやれたらどんなに良かったことか。味気ない飯は、どんどんとまずく感じてくる。
「……鈴はつらい思いをしてるから、仕方ないんだよ」
「ふぅん? まぁ、俺には分からない悩みだから、何とも言えないけど」
 俺の言ったことはどうも一志に通じてないようで、不可解な顔をしていた。
 食事が終わり、食器は洗浄機の中に突っ込む。あとはスイッチを押しておしまいだ。この家には、家事を楽にさせるものがたくさんあった。あっという間に片付けが終わってしまい、一志は既に風呂だ。出てきたら俺も入ろうと思って、支度をした。鈴はどれほどいるのか分からないけど、荷物はかなり多かった。家出か。俺がいなくなったあの家がどれほど寂しいのか、想像するだけでも悪いことをしたなって思ってしまう。まぁ、でも、これは不可抗力だ。鈴がここに来てれば、俺以上に酷いことをされてたかもしれない。
 でも、なぜ、一志が鈴に目を付けたのか、聞かされてなかった。ただ、興味を持っただけと両親からは聞いたけど、一志の口からは聞いてない。まぁ、俺が拒めば家がどうなると思う? と脅されたから、両性具有の鈴を欲しがったのだろう。見た目は善人そうだけど、中身は真っ黒だ。半年間、一緒に住んでて性格の悪いところはたくさん見てきたが、悪人だとは思えなかった。
 誰かを欲しがったりとかするようには、見えないのにな。というか、あいつが他人に興味を持ってる姿が想像できない。
「柚子? お風呂、空いたよ」
「ん、入る」
「明日も学校だよね? えーっと、鈴君だっけ。彼はどうするのかな?」
 言われてみてようやく、問題に思う。そうだ。俺は明日も学校だし、明後日も学校だ。今日は火曜日の平日だ。それはもちろん一志も同じで、鈴を一人でここに置いておくわけにもいかない。
「……どうしよう」
「って言われてもねぇ……。実家に連絡してもいいけど、大騒ぎにならない? 一応は彼、柚子のふりをしてるんでしょう? いっそのこと、これを契機に入れ替わっちゃう?」
 一志がにやりと笑う。俺は怒ったりできなかった。
「………………鈴のがいいなら、そうしろよ」
 なんだか無性に泣きそうで、俺は立ち上がった。名前を呼ぶ声が聞こえたけど、無視して風呂場に向かう。今はあまり、顔を見られたくなかった。
 今の一言は、一志の本心だと思った。
 確かにあの日から、俺と鈴は入れ替わっている。俺は関谷鈴として生活をして、鈴は関谷柚子として生活を送っている。わがままだった鈴が、俺の代わりなんてつらいに決まってるだろう。でも、これも鈴のためだと思って、俺は身代わりになることを引き受けた。でもそれって、ただのおせっかいだったかもしれない。今はとても自由な生活を送らせてもらっている。まぁ、それなりに酷いことを一志にされてるけど、それさえ我慢できたらド田舎よりまともな生活だ。鈴は俺みたいな自由を求めて、ここへ来たのかもしれないな。なら、元通りになるのが、一番のような気がした。
 ちゃぷんと水面を叩く。頬を伝っている水滴が、髪の毛から落ちてきた水なのか、涙なのかよく分からなかったけど、凄く辛いと思った。
「柚子? ねぇ、柚子ってば」
 脱衣所から一志の声が聞こえて、体をはねさせる。かなり驚いた。
「な、なんだよ!」
 声を荒げると思いっきり扉を開けられて、不機嫌な顔をした一志が俺の前に立った。何を怒ってるのか、よく分からない。きょとんとした顔で見上げていると、腕を掴まれて引き上げられた。
 唇を奪われて、舌が入ってくる。抵抗しようと思ったけれど、舌を絡め取られると力が抜けてしまう。不覚にも自分の体が、反応してしまう。
「ン……、ッ……、うぅ、んぁ……」
 軽く舌を噛まれて、中心に血が巡っていく。
「かず、しっ……、やめ、ろ」
 そう言うと、思いの他、あっさりと唇が離れる。近くで見る一志の顔は、珍しく不機嫌だった。薄茶色の目が、俺を捉えて離さない。
「さっきの、どういうこと? 聞こうと思っても、なかなか風呂から出てこないし」
「…………」
 なんでそのことで怒られなきゃいけないのか分からないから、俺もずっと黙っていた。するとどんどん一志の機嫌は悪くなって、俺を睨み付けている。なんで怒られてるのか、さっぱり分からない。
「答えろ」
 口調がきつくなった。本気で怒ってる証拠だ。
「入れ替われ、とか言うからだろ。そもそも、一志が欲しかったのは鈴なんだし」
 一志を見てられなくなって、目を逸らした。なんだか不貞腐れるような言い方で、子供じみた自分の言い分に呆れてくる。こんなことしてれば、一志はもっと俺のことをいらないと思うかもしれない。
 っていうか、俺、なんか一志に必要とされたがってないか?
 元々はいらないって言わせるために、ここへ来たって言うのに!
「うーん、まぁ、最初は鈴君のほうが欲しかったけど、柚子が来ちゃったんだから仕方ないよね。脅したら大人しく抱かれちゃうし」
 顔を上げると、一志が困った顔で俺を見下ろしていた。
「あとの八割は大人の事情かな。とにかく、今は柚子で満足してるんだから、そんな自分を下げるようなこと、言っちゃダメだよ」
 ペシンと軽く叩かれる。大人の事情ってところが凄く気になったけど、言わないってことは口にするつもりはないのだろう。満足してると言われて、あまり納得できなかったけど、必要とされてるならそれでもいいかなと思った。
 例え、性欲処理が目的だったとしても。

 翌日、俺は学校を休み、一志も午前中に有給を取ってくれた。鈴がここへ来た理由を知るためだ。のそのそとリビングにやってきた鈴をソファーに無理やり座らせ、尋問してるかのように質問をする。
「鈴。どうしてここへ来たんだ。父さんや、母さんは知ってるのか?」
 そう問いかけても、鈴からの返事はない。ぼーっと目を擦って、俺を見つめている。
「んー、知ってるよぉ。だって、来週から柚子と同じ学校に通うんだもん」
「「ハァ!?」」
 俺と一志の声が被った。俺と同じ学校へ行くってどういうことだ。そもそも、鈴は地元の高校へ入学したはずなのに、なんで転校してきている。両親との連絡は春以降取ってないけど、鈴がここにくるなら連絡一本ぐらいはしてくれてもいいはずだ。しかも、鈴はどうやって通うつもりなんだ。まさか、一志の家からとか言わないよな……。
「どういうことだ、鈴。父さんと母さんがそんなこと許すはず……」
「えぇーっとねぇ。一志さんのおじさん? かなぁ。とにかく本家の人がうちに来たとき、柚子のこと気に入ったんだって。で、夏休み中に来たから、僕からお願いしたんだ。「鈴と一緒に居たい。俺が鈴を守るんだ」って、完璧に柚子の真似をしてね。そしたら、おじさんが何とかしてくれるって」
 にっこりと笑っている鈴に対して、一志の表情が固まっていた。一志にとってのおじさんってどんな人か俺は見たことない。知らない間に気に入られてたなんて、ちょっとゾッとしてしまう。一志のような人だって、世の中にはたくさんいるだろう。
「それでね。僕の家を用意してくれたんだ。父さんと母さんが。だから、柚子。一緒に行こう?」
 そう言って、鈴は俺の手を取った。その腕を今度は、一志が取る。
「それは困るなぁ」
 やたらと優しい声に驚いて振り返ると、にこにこと笑っている一志がいる。こういう笑顔をしているときは、結構、キレてるときだ。ゾクリと背中が粟立つのを感じる。
「柚子はもう、俺の物なんだ。キミにはあげないよ」
「……柚子は物じゃないし」
「残念だけど、キミがそういう手で来るなら、俺にも策はある。例えばそうだなぁ……。キミたちが入れ替わってることがバレたら、騙されたおじさんは怒ってキミをいたぶるかもしれない。そりゃぁ、もう、口にはできないぐらい酷くてド変態な行為をねぇ……」
「な、おじさんはそんな悪い人じゃないし!」
「分からないよ? 人間、いきなり変わるから。あいにく、キミたちが入れ替わってるのを知ってるのは、俺しかいない。キミは、俺の言うことを利かなければいけない。分かったね?」
 本当にこいつは鬼だ。悪魔だ。大魔王だ。つくづく、とんでもない奴のところに来てしまったと後悔する。苦々しい顔をした鈴は、言い返せなかったようで立ち上がると客間へ行ってしまった。
「……本当にそのおじさんは、豹変するのかよ」
「いや? しないよ。すごくいい人で有名だしね」
「鈴を……、脅したのか」
「やだなぁ、人聞きの悪いことを言わないでよ。柚子のためにやったのに」
 そんな言い方をされるとは思わず、一志を見る。にっこりと笑った顔が近づいてきて、ちゅ、と唇が触れる。俺のため? 何でだ。
 でもちょっと、心地いいと思った。

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