最悪な奴と悲惨な再会


 大人として、間違っていることをしたとは思っている。けど、人生の中で退けないところってのがあって、俺はその選択を間違えた。
「……あのねぇ、分かってる? おにーさん」
「うっ、うぐっ、うぇっ……、わがっで……、まずっ……」
「多分ね、泣きたいのは子供達の方だと思うよ? 君が泣くから、ドン引きして顔が真っ青だよ」
「うぇっ、ずびば、ぜんっ……」
「謝るならやんなきゃよかったでしょう。ま、まだちょっと話すことあるから、ちょっとそこで待ってて。保護者さんたちには、こちらからお話ししますから」
 そう言って、俺の目の前にいた青い制服のお兄さんは子供たちの所へ行って、このクソ狭い部屋から出て行ってしまった。俺は悪くないと思っていたが、「大人なんだから、自制心持たなきゃ」とか、「あんたのせいで、うちのひーちゃんが!!」とか、「あのおじさん、働いてないのー?」とか言われて、泣いてしまった。あまりにも長い間、外に出ていなかったせいか、久しぶりに出た下界は魔界へと変わってしまっていた。
 俺だって、イジメるつもりでそんなことをしたわけじゃなかった。いや、むしろ、最初に「おい、アイツにお月見団子投げてやろうぜー」と子供からケンカを吹っ掛けられたんだ。何がお月見団子か知らないが、俺は月見バーガーを食べたいから無視していたら、泥団子を投げられた。ネット通販で買った一張羅が、泥まみれになったのは言うまでもない。
 子供はゲラゲラと笑っていた。あぁ、こう言う遊びに無理やり巻きこまれたのかと思って、俺もお月見団子を投げ返してやった。そしたら、子供が「んだ、あのおっさん!!」とキレてきて、また泥団子を投げられた。それから、俺と少年たちによるバトルが開幕したわけだ。そんなことしてたら、どっかで俺の姿を見ていたバカが通報して、連行された。
 俺に泥団子を投げたガキの親は発狂寸前。恐ろしいキレっぷりだった。俺のかーちゃんだってあんな狂ったキレ方しない。もし、うちの子供が対人恐怖症になったらどうするのよ!! と言ってきたが、アンタのその顔見る方が対人恐怖症になるだろうよ、と、言いたくなったが怖すぎたからやめた。
 見た目、そこそこカッコイイお巡りさんは、「いくらね、先にやられたからって……。投げ返しちゃダメでしょ。子供の遊びなんだから」と苦笑いで言っていた。いやいや、服がねとアピールしたけど「まぁ、やり返したら……、ねぇ?」と俺の主張は見事に潰されてしまった。この時点で半分泣いていたんだけど、最終的に俺が大泣きすることによって終わった。
 扉が開いて、お巡りさんが戻ってくる。俺の前に座って「もう保護者の人は怒ってないから」と言って、ため息をついた。そのため息が、凄く重たい。怖い。重たい。
「あんたねー、少なくとも26歳の男なんだから、あんぐらいで泣いちゃダメでしょー」
「ずびばぜん……」
「反省してる? 今の保護者さんは凄く煩いんだから……。あんまり迷惑かけないでねー」
 もうこんだけ泣いてるんだから、俺がどれほど反省してるか、見てれば分かるだろ。何の羞恥プレイだよ、コレ。もう俺、一生外に出ない。俺が外に出るとき、かーちゃんは「やっと、外に出てくれる気になったのね」と言って笑ってくれた。物凄く大喜びしてたのに、警察に捕まるなんて、かーちゃんは大泣きするだろう。もう、俺、生きてる意味すら無い気がしてきた。死にたい。もうヤダ。でも、死ぬのも怖い。
「とりあえず、泣きやんでくれる? 名前とか一応ね、調書取らなきゃいけないから」
「さ、里井、智弘、です……」
「里井さんね……、里井? ん、もしかして、中学さ、そこの三中だった?」
 いきなり目の前のお巡りさんは、タメ口になって俺に話しかける。顔を上げると、お巡りさんは肘を付いて目を見開いていた。何で、この人、俺が三中に居たことを知ってるんだろうか。一つ頷くと、「やっぱり」と言って笑った。笑顔がちょっとカッコイイ。お巡りさんで爽やかな顔って、色々と良過ぎで羨ましい。
「覚えてないかな。俺、同じクラスだった岡」
 お巡りさんは俺を指さしながら、ニコニコと笑っている。同じクラスの岡。覚えてるどころの話じゃない。俺を引きこもりにさせた張本人じゃないか。そんな奴が今、警察官だと!? 世の中、不条理過ぎる。爽やかで優しいお巡りさん像が、俺の中で崩れ去る。
「へぇ、里井。お前、無職なんだ?」
 爽やかなお巡りさんこと、デビル岡は笑っていた表情を変えた。ああ、悪魔が降臨してる。俺はコイツにされた仕打ちを一生忘れるつもりは無い。牛乳雑巾は当たり前、弁当は早弁され、パシリとか、いろんなことをされた。俺が泣きそうになると、このデビル岡は「また泣くのかよ。本当に泣き虫だな、お前」と言ってケラケラ笑うんだ。よく見ると、顔もあまり変わってないじゃないか。くそ、どうして俺はコイツがデビル岡だと気付かなかったんだろう。うう、もうダメだ。帰りたい。でも、コイツ警察官だから、コイツが良いよって言ってくれないと帰れない。怖い。
「あれ、思い出した?」
 デビル岡はにっこりと笑って、俺を見る。その笑顔に騙されたヤツは何人いたんだろう。なぜかコイツは、俺だけをイジメた。しかも、たった一人で。他の奴らみたいに、徒党を組んで一人を袋叩きにするような奴ではなかった。やってることは、とても下劣だったけど。
「なぁ、里井。お前さぁ、途中から学校に来なくなったけど。どうして?」
「……どうしてって……」
 そんなの、お前が居るからに決まってるじゃないか。って思ったけど、やっぱり怖くて口になんか出せない。泥まみれになった一張羅を握りしめ、俺は俯く。怖い。俺の中に埋め込まれた恐怖心は、消えることなく、むしろ、増大していった。
「…………もしかしなくても、俺のせいだよな」
 デビル岡の声が小さくなったから顔を上げると、岡も俺と同じように俯いていた。え、なんかお前キャラ違うじゃん。と突っ込みかけてやめた。反撃が怖いから。岡が顔を上げる前に、俺はさっきと同じように俯いた。
「何か言えよ」
「え、あ……、どど、どういう」
「里井さ、今日、久しぶりに家を出ただろ? その格好、すげぇ時代遅れ」
「……………………え」
 顔を上げると、岡は呆れた顔をして俺を見ている。これでも、この格好、巨大掲示板でスレ立てて、ボロカス叩かれながらもアドバイスを元に買ったんですけど。かーちゃんも「カッコいいわよ! ともちゃん!」とか言っちゃって、すげぇ調子に乗ってたのに、俺。時代遅れってどういうことだよ……。すっげぇ、ショック。泣きそう。
「つーか、似合ってない」
「……う」
「俺、もう上がりだから。俺が連れて行ってやる」
「え、要らない……」
「うるせぇ。それぐらい、させろ」
 素直に断ったのに、岡は「ここに居ろ」と言って部屋から出て言ってしまった。調書とか、取るとか言ってたくせに、岡は何も書かずに出て行ってしまい、またこの狭い部屋に閉じ込められた。怖い。岡と一緒に行動とか、本当に考えたくないし、俺もう一生外に出ないから服とか要らないんだけど。どうしよう。断りたい。そんなことを考えている間に、岡は着替え終わったようで、俺のところにやってきた。今どきの若者のように、カッコイイ格好をしている。これが、リア充と、引きこもりの差か……。
「ほら、行くぞ」
「でも、俺……。服が泥まみれ」
「……仕方ねぇな。とりあえず、俺の家に行って着替えろ」
「え、ヤダ」
「ヤダじゃねぇよ。早くしろ」
 いつの間にか、優しいお巡りさんはどこかに消えてしまい、岡は俺の腕を引っ張って歩き始めてしまう。何だよ、何の罰ゲームだよ、これ。そう思っているのは、岡の方かもしれない。前を歩く岡の顔を、斜め後ろから見る。昔から、岡はかっこよくて、女子からモテてた。男子も、岡のことを嫌いな奴なんて居なかった。多分、嫌いだったのは、俺だけだと思う。だって、岡は俺だけをイジメていた。他の奴は、イジメたりなんかしなかった。俺は岡に何もしてない。だけど、岡は俺をイジメ続けた。その理由が、分からない。
 知らない間に、俺はとあるアパートの前まで連れて来られた。岡はズボンのポケットの中から、鍵を取りだして鍵穴に差し込んでいる。ああ、ここ、岡の家だ。早く逃げなきゃ。そう思ったけど、岡ががっちりと俺の腕を掴んでしまっているから、逃げ出そうにも逃げれない。それにさっき、調書取るって言って住所書かされた。ってことは、逃げても、コイツ、制服着て俺のところまでやってきそうだ。そんなの、本当に地獄だ。
「きたねーけど」
 そう言って岡は家のドアを開けて、俺を家の中に押し込んだ。一人暮らしをしているようで、岡の家は決して、広くなかった。中に入ると、それなりに片づいてない部屋があって壁際に布団の丸まったベッドが置いてある。岡も三中出身なら、実家は近いはずだ。それなのに、どうして、こんなところで一人暮らししているんだろうか。警察官なら、生活だって不規則で大変なはずだ。ああ、そうか。女連れ込むためだな。そんなことを考えていると、岡はクローゼットの中から服を取りだし、俺に向かって何かを投げる。
「それ着ろ。俺、ちょっとキツイ奴だから、里井なら普通に入る」
「……え」
「で、その来てる着てる奴を俺に寄こせ。洗濯してやるから」
「い、いいよ! 持って帰る!」
 そこまでしてもらう義理は、岡に無い。むしろ、してもらったことのお返しが怖いから、俺は拒否した。泥まみれになった服を握りしめていると、岡は「あっそ。とりあえず、着替えろ」と言って俺に背を向けてしまった。何だかちょっとだけ、悲しそうな顔をしていたことが気がかりで、首を傾げる。
「なぁ、里井」
 俺に背を向けた岡が、話しかけてくる。脱ぎかけていた手を止めて、「何?」と返事をする。
「何で、今日、外に出たんだよ」
「…………月見バーガー買いに」
「そっか。じゃぁ、帰り、食って帰ろうぜ」
 岡は振り向いてそう言う。見たことも無い笑顔を、俺に向けていた。何故かしらないけど、胸が苦しくなって、泣きそうになった。何で笑ってるのか、分からない。岡は俺をイジメていた悪魔で、デビルで、デーモンで、俺は岡が憎くて憎くて仕方なかった。泣いて帰った日もあった。おなかが痛くて行きたくないと、かーちゃんに泣きわめいて、学校に行かなくなって、人生全てが狂ってしまった。全部、全部、全部、岡のせいなのに。
「早く着替えろよ。暗くなる」
「……う、うん」
 どうして、ここで頷いてしまったのか、俺には分からない。
 岡から借りた服は、無難なTシャツだった。下はジーパンだったから、そこそこまともに見える。岡の見立ては、それなりに間違っていなかった。
 薄暗くなった街には、ちらほら、街灯がつき始める。岡は「そうだな。まずは上だな」と言って、俺の前を歩いている。俺はその後ろ1メートルぐらいの距離を置いて、あまり関係の無いようにふるまった。岡の関係者だなんて、俺は思われたくない。
「おい、里井」
 岡がいきなり振り向くから、俺は「ヒッ」と情けない声を上げてしまう。それを聞くなりに、岡は呆れた顔をする。
「ヒッじゃねぇよ。何でそんなに後ろなんだよ。早くこっち来い」
 俺がわざと距離を置いているって言うのに、岡は俺まで近づいてくると腕を引っ張る。その時、ビルの窓に俺と岡が映し出された。
 岡は、ジーパンにパーカーを着ていて、体格も良いから凄く似合ってる。そして、結構、顔が良いし、短い髪も似合っている。さっきから、ちらほら、女の子が岡を見ていた。そんな岡に比べて、俺は、何年間も引きこもっていたから、髪の毛だって伸び放題。自分で切ったりしていたから、ざく切りで、やせ細っていて、はっきり言って気持ち悪い。そんな俺と、岡が並んでいるって、凄く不格好だった。
 気持ち悪い。
 俺が、気持ち悪い。
 鳥肌、立った。
「うわああああ!!」
 何だか叫びたくなって、俺は岡の腕を振り払う。帰りたい、家に帰りたい。その一心で俺は走りだした。もう、岡となんか関わりたくない。俺は一人で、家に引きこもっている方がマシだ。どうして、今さら、俺と関わったりするんだ。俺は、俺は、お前のせいで人生がめちゃくちゃなんだ。全部、全部、俺がこんなに気持ち悪いのも、職歴真っ白なのも、全部全部、岡のせいだ。
 岡のせいだ!
 なのに何で、岡は俺に構うんだ! やめろ! 俺が惨めになる!!
「待てよ!!」
 強い力で、腕を引かれた。体が後ろのめりに倒れて、誰かに抱きとめられる。目からは大量の涙が零れて、鼻水も垂れてて、前髪が頬にくっついて、悲惨な格好をしていた。
「……待ってくれ」
「はな、して」
 これ以上の苦痛を、まだ与えるつもりなんだろうか。もう十分だろう。岡は十分、俺をイジメてきた。だから、本当に、俺と関わるのはやめてほしい。涙が沢山、目から溢れてきた。上半身を抱きしめている腕は、少しだけ震えていた。
「ごめん」
 俺は、その言葉に耳を疑った。
「里井に酷いことをしたって、居なくなってから気付いた。本当にごめん」
 岡が謝ったりするから、涙が止まった。ズッと、鼻水を啜って、「離して」と言って岡の腕を解く。簡単に解けた腕は、ブランと脱力気味に揺れる。指で目を拭ってから、振り向き、岡を見る。今日、取調室で見たときと同じように、岡は項垂れていた。
 今さら、謝られたって。許せるわけない。
「なぁ、里井。今からでも、やり直せないかな」
「……え、何を?」
「俺達の関係。イジメたかったわけじゃないんだ」
 そんなこと言われたって、俺が岡にイジメられてた事実は変わらない。今さら、ごめんとか謝られたって、どうして良いのか分からないじゃないか。俺は岡が嫌いで、憎くて、会いたくなくて、その一心でずっと引きこもってたんだ。それを謝られたりしたら、俺、どうして良いか分からなくなる。生きてる意味も、分からない。
 現にイジメられていた俺は、人生がめちゃくちゃだ。もうまともな職になんて就けない。けど、岡は違う。警察官だ。誇れる職業だ。何だよ、この差。ふざけるなよ。
「俺、里井の人生めちゃくちゃにした。だから、俺が責任取る」
 何、言ってんだ、コイツって思った。
「え、困る……」
「ッ……、んなこと言うなよ!」
「どうして、そんなこと言うんだよ。岡の方が可笑しい……」
 あんまりにも子供みたいなことを言うから、俺は困った顔をして岡を見る。夕日に照らされているせいかもしれないが、岡は顔を赤くして、俺を見ている。
「里井のことが」
 岡の声が、ちょっとだけ小さくなった。俺がどうかしたんだろうか。
「好き、だから……」
「……………………………………は?」
 つい、本音が口からポロっと出てしまった。岡は拳を握りしめてて、顔がマジだ。ってことは、さっき言った言葉もマジってことか。どういうことだよ。なんか気持ち悪いよ。気持ち悪いよ、コイツ。
「え、気持ち悪いし、意味も分からないんだけど……」
 俺の顔はドン引きしてしまっていると思う。岡は困ったように頭を掻きむしって、「だから!」と大声を出す。それに驚いて、ビクと体を震わせてしまうと、岡は「……ごめん」と謝って俯く。岡がどうしたいのか、もう俺には考えられない範囲だった。
「とりあえず、そう言うことだから。これからも、俺と仲良くしてほしい」
「え、ヤダ……」
「何でだよ、良いじゃねぇか」
「良くないよ。だって、岡は……」
「分かった。じゃぁ、中学の時の俺を払拭できるように頑張るから。だから、里井も、暇な時で良いから、俺と遊んで」
「……俺、毎日、暇なんだけど……」
 そう言うと、岡は笑った。その時の笑顔があまりにも嬉しそうだったから、俺もそれ以上、断るのはやめた。岡に対する恐怖心はいまだ健在だ。俺が10年間、岡のことを憎んでいたのだって、本人にちゃんと伝えるつもりだ。
 これって、復讐かな?
 俺の頭の中から、中学の時の岡を払拭させるのは、かなり難しい。
 今から、岡はそれに挑戦するって言うんだ。
 嫌な記憶なんて、消えた方がマシだ。
「じゃ、とりあえず、今から月見バーガー食べに行こうぜ? 俺が奢ってやるよ」
 岡は笑って、俺の腕を引く。今までパシリにされてた俺が、誰かから奢ってもらうのは、生まれて初めての経験だ。しかも、相手は俺をパシリにしてたいじめっ子。ちょっとだけ、ワクワクした。

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