素直になるには


 きっと先輩のことだから、俺のことを「クソ生意気な後輩」とでも思ってるだろう。
「あー、本当にアイツ、どうにかなんねぇかな。ムカつく」
 タバコを吸いながら同僚に愚痴っている姿を見て泣きそうになった。それでも無駄にプライドだけ一丁前の俺は、ズカズカと先輩の目の前へ行き、
「ムカつく後輩ですみませんね」
 と、笑顔でそう言いのたまった。そんな俺を、先輩はタバコを握りつぶしそうな表情で睨みつけていた……。
 自分で言うのも何だが、俺はそれなりに出来る人間だ。仕事は人並み以上に出来るし、顔だってそこそこモテるぐらいに整っている。背だって先輩よりも高いし、上司からの信頼だって同期の中では一番だ。以前、女子が「結婚するなら、白鳥君がいいよねぇ」と言っていたのを聞いたことがあるし、やればできる奴だと自負している。決して、自慢ではないけど。性格はまぁ、ちょっとひねくれたところはあるものの、友人だって多いし人望はあると思い込んでいる。にも関わらずだ。教育係だった三枝先輩だけには素直になれず、生意気なことを口走りまくっていた。
「三枝先輩、白鳥殺すってさっき叫んでたけど」
 書類の山に顔を突っ伏させたくなった。どうして三枝先輩が俺のことを殺したいのか、それは喫煙所でのやり取りだ。俺の事をムカつくと言った三枝先輩に偉そうな返答をして、言い合いになった。口喧嘩は強いから、三枝先輩を言い負かしていい気になっていた。……なっていた。
「心当たり、あるんだ」
「……ある」
「超キレてた」
「……知ってる」
 うわあああああ、と叫びたくなるのを堪えながら、書類を手に取った。三枝先輩のことを考えるだけで泣きそうになるけど、今は仕事するのが一番だ。三枝先輩の評価を上げるには、仕事で結果を出すしかない。いや、仕事については認められてるから、今更頑張ったって俺の最悪な評価は上がることないわけだけど。
「お前、三枝先輩のこと、好きなんだよな?」
「平然と言うな。他に聞かれたらどうする」
「いや、みんな知ってっけどね」
 ぐっと喉が詰まる。
「知らないの三枝先輩だけじゃね?」
 辺りを見渡すと、哀れんだ目で見られた。
 二十五年間の人生、ここまで好きな人に素直になれない性格だと知ったのは、社会人になってからだ。一流大学を卒業して、大手に入社した俺に仕事を教えてくれたのは三つ年上の三枝先輩だった。最初は多分、かなり良い印象の新人だったと思う。要領良いし、物覚えも良いし、仕事出来るし。三枝先輩への敬意なんてその当時は持ってなかったけど、熱心で仕事に忠実な三枝先輩を見ていたら敬意とか好意とかを抱き始めてしまった。それからだ。やたらと三枝先輩に突っかかるようになって、生意気な口を利くようになったのは。好きだと思えば思うほど、三枝先輩にムカつくようなことを言ってしまう。まるで好きな子の気を引かせるように、悪戯をするガキみたいだ。泣きたくなった。
 三枝先輩にだけそんな態度を取るんだから、俺が特別な感情を抱いているのは周りにバレバレだったらしい。同期で一番仲良い井本に「お前って三枝先輩嫌いなの?」と聞かれて、「好きだよ!」と反射的に答えてしまい大爆笑された。好きだと分かっていた上で嫌いだと聞いたと、後からバラされて死にたくなるほど恥ずかしくなった。それがあっという間に広まってしまい、三枝先輩以外はみな、俺が好きだと知っているらしい。
「あ、そういや俺ら、今日は三枝先輩と飲みだから」
「は!? 俺、誘われて……」
 ない、と言おうと思ったけど、誘われない理由は自分が一番分かっている。それに仕事だってたんまり残ってるんだから、黙ってメールの確認をした。三枝先輩のことが好きだと思えば思うほど俺は素直になれず、評価は下がっていく一方だ。性格も最悪となってしまったからには、とりあえず仕事だけは評価されようと必死になって取り組んでいた。
 定時が過ぎるとどんどんと人が帰っていく。まずは女子、それから三枝先輩達。どうやら同期で誘われなかったのは俺だけだったらしく、ほとんど帰ってしまった。それから部長が帰って課長が帰り、さっき主任が帰った。主任はポンポンと俺の肩を叩き、哀れんだ目で「じゃ、先に帰るな」と声を掛けてきた。それにイラっとしたが、哀れんだ目で見られる理由は分かっているから、「お疲れさまでした」と返した。明日に回せば回せるけれど、家に帰って一人悶々とするのはイヤだから、仕事をして気を紛らわせていた。時折、井本からメールが入って来て、楽しそうに飲んでる三枝先輩の写真を送ってくれる。嫌がらせだ。泣きそうになるのを堪えながら、一心不乱にキーボードを叩いた。
 三枝先輩を好きだと思ったのは、入社してから一年が経った頃だ。教えてもらうのは半年ほどで終わってしまったが、三枝先輩には何かと教えてもらっていた。同期の中で一番仕事が出来てた俺はすぐに顧客を与えられて周りよりも一歩先を進んでいた。初めてのことが多く、三枝先輩は俺の質問に嫌な顔一つも見せず教えてくれた。そんなある日だ。教えてもらっていたにも関わらず、俺がミスをして顧客に迷惑を掛けた。大事にはならなかったものの下手すれば取引停止も考えられたため、部長と課長に呼び出されてかなり怒られた。もちろん、これは俺のミスだったから弁解もせず、減給されても仕方ないと思っていた。黙って話を聞いていると、いきなり三枝先輩が会議室に入って来て「俺がしっかり教えてなかったのが原因です。白鳥は悪くありません」と俺を庇った。俺はそれを否定しようとしたけど、隣に立った三枝先輩が黙ってろ、と顔で威嚇してきたので、言うにも言えず、最終的に三枝先輩まで怒られてしまった。このことに対して礼はちゃんと言った。しっかりと感謝の気持ちを伝えたと同時に、俺の胸の内に何か温かいものが広がった。ここまで俺をかばってくれる人は今までいなかったし、凄く頼もしい先輩だな、とも思った。
 それと同時に出てきた言葉が……。
「ま、俺一人でも何とか出来ましたけどね」
 と、思い出すだけでも死にたくなるぐらいの生意気な言葉だった。最初は笑っていた三枝先輩も、その言葉を聞くなりに表情を一変させて「テメェ!」と怒鳴られて胸倉を掴まれた。
「言い返せないからって暴力ですか」
「むっかつく野郎だな!」
「まぁ、三枝先輩には感謝してますよ? あなたみたいなバカが居てくれたおかげで、俺も出世街道まっしぐらですし。アリガトウゴザイマス」
 その後、思いっきり腹を殴られた。当たり前だと思った。
 さっきの言葉が本音でないことを自分自身が分かっていたって、三枝先輩に伝わっていなかったら意味無い。それに言っていいことと悪いことだってある。何度も直そうと努力してるのに、話しかける度憎まれ口を叩いてしまって三枝先輩の評価を下げてしまう。写真のような笑顔を、俺は最近全く見ていない。俺が好きになる前はよく見せてくれたし、飲みにも誘ってくれた。二人っきりで飲むことだってあった。三枝先輩はいつも奢ってくれて、ベロベロになるまで飲んで俺に送らせる。言動や行動はしっかりしてるくせに、次の日には何も覚えていない。俺に送らせたことすら覚えていないんだ。最初はなんつー先輩だって思ってたけど、今となっては可愛い思い出でしかない。今なら喜んで送ってくけど、どうせ俺のことだからまたそれを理由に憎たらしいことを言ってしまうんだ。伝えたいことは正反対なのに、どうして良いか分からなかった。三枝先輩を目の前にすると、思考回路がショートして思ってることとは反対のことを言ってしまう。俺の方がバカだ。井本から送られてくる可愛い笑顔を待ちうけにしようと思ったけど、画面を見てバレたらもっと気まずいからやめた。泣きそうになって、携帯を机の上に置く。さっきから仕事が全く捗っていなかった。
 時計を見ると十一時を回っていた。フロアの中には俺しかおらず、残っている仕事は明日に回そうと思ってパソコンの電源を切った。それから帰り支度を済ませて、電気を切った。他のフロアはもう無人なのか、廊下はいつも以上に薄暗かった。エレベーターに乗って一階まで降り、正面は閉まってるから管理人に声を掛けて裏口から出た。冷たい風が頬を撫でる。痛みすら感じる寒さに体を強張らせた。
「あー、出てきた」
 知っている声が聞こえて振りかえると、花壇に座っている三枝先輩がいた。何でこんなところにいるのか、幻覚なのか。俺はついに、三枝先輩の幻覚まで生み出してしまったのかと自分の脳を疑った。
「遅くまでごくろーだな」
 ぶっきらぼうな言い方をする三枝先輩は、立ち上がると俺に近づいてくる。はぁ、と三枝先輩は息を吐いて空を見上げる。頬が赤い。酒を飲んでいたからか。ってことは、この目の前にいる三枝先輩は幻覚ではない。
「……何ですか? 井本達と飲みに行ってたんでしょ」
「井本がバラしたって聞いて、謝ろうと思って」
「ハァ? 何で」
 三枝先輩が謝るようなことは一つもしてないのに、どうして謝るのか。それに何で俺はいつもそう不機嫌な言い方をしてしまうのか。三枝先輩の眉間に皺が寄ったのを見て、ぐっと胸から込み上がってくるものを感じた。ああ、もう逃げたい。この場から逃げ出したい。
「なんかお前を仲間外れにしたみたいだったから」
「したみたい、じゃなくて、したんでしょ?」
 そもそも俺が誘われないのは俺のせいなのに、どうして三枝先輩のせいみたいな言い方をするんだ。もう、自分が嫌だ。死にたい。
「だってお前、俺と飲み行ったっておもしろくねーだろ」
 そんなことない! と言い返したいのに、
「えぇ、そうですね」
 と頷くバカがここにいる。
「分かってっけど、お前がこんなに仕事頑張ってんのに、俺も大人げないことしたなーって思って。悪かったな」
「別に俺は自分のために残ってるだけですから。三枝先輩が大人げないのは今更です」
「お前、人をムカつかせるの得意だろ」
「三枝先輩が子供っぽいだけでしょう」
 子供っぽいのはどっちだ。もう自分の言動に突っ込むのも飽きてきた。折角、俺が出てくるまで待っててくれて、話しかけてくれてるのに何でこんなことしか言えないのだろう。こんなんじゃ好きになってもらうどころか、絶縁されたって可笑しくない。普通の先輩だったら俺のことなんか気にもかけない。なのに三枝先輩はどんなことを言われようとも、ムカつくと思ってたって俺に声を掛けてくれる。気に掛けてくれる。良い人すぎる。
「……あのさ、俺、なんかお前に悪いことした?」
「え?」
「いっつも考えてるんだけど、俺、お前にそこまで言われるようなことしてねぇよな? 嫌いなら嫌いって、はっきり言えよ。すればなんか、納得できるから」
 三枝先輩の顔は真剣だ。嫌いって言えば、三枝先輩はもう声すら掛けてこない。俺のことを気にもかけてくれない。それは凄く寂しいことだけど、素直になれない俺のせいだ。いつまでもいつまでも、三枝先輩を振りまわすのはよくない。だから、嫌いだって、言ってしまおう。凄く好きだけど、嫌いって言ってしまえば、いつかこの胸を締めつける感情だって忘れてしまうだろう。好きになってもらう資格なんて、俺にはない。ぐっと、拳を握りしめた。嫌いです、といつもみたいに生意気に言えば良いんだ。
「………………好きです」
 は? ってなった。三枝先輩も「は?」と言って、俺を見ている。
「三枝先輩のこと、好きだからこんなことするんですよ。そんなことも分からないんですか? 本当にバカですね」
 バカはどこの誰なのか。壁に頭を打ちつけて死にたくなった。どこまで俺は素直に行動できないんだ。嫌いって言おうとして好きだって言ってしまうなんて、バカを通り越している。
 三枝先輩が何も言わないことに不安を覚えて顔を見ると、三枝先輩は口を半開きにしてわなわなと震えていた。逃げ出したくなって背中を向けると、「待て!」と引きとめられた。ゆっくり振り向くと三枝先輩がズカズカと近づいてくる。
「お前、俺のこと好きなのか?」
「ち、ちち、ちが、ちちちちちちがいますよ!!!!」
「じゃ、嫌いなのか?」
「ちが、い、ます」
「どっちだよ!」
 ガツンと頭をグーで殴られる。頭を襲った衝撃は、三枝先輩を好きになった時の衝撃と似ていて、反射的に目の前にある体を抱きしめてしまう。ここで素直になれなかったら、俺はもう終わりだ。言葉には出来ないけど、せめて態度には、態度には示したかった。
「……好きなんだな? 俺のこと」
 返事をすることも頷くことも出来なかった。黙っていると腹を殴られる。
「ぐっ……」
「ちゃんと言え。じゃないと信じられない」
 三枝先輩は俺の目をジッと見つめていた。
「……好きです」
 ようやく好きだと、はっきり言うことが出来た。今はちゃんと好きだと思いながら言えた。三枝先輩は俺の顔を見て小さく笑い「そっか」と言った。
「おい、白鳥」
「はい」
「家まで送ってけ」
 懐かしい台詞だった。俺が好きになる前はこうやってよく、飲んだ帰りに三枝先輩を家まで送ってったもんだ。そういや今日はあまり飲んでなかったのだろうか。いや、三枝先輩はどんなに酔っ払おうと言動と行動だけはしっかりしていて、次の日になったら全く覚えていない。……嫌な予感がした。
 タクシーで家まで送っている最中、三枝先輩はいつも通り眠ってしまった。そんな三枝先輩を俺が抱えて部屋まで運びベッドに寝かせる。熟睡してしまった三枝先輩は目を覚ますことなく、いびきをかいている。
 ポケットの中から携帯を取り出すと、井本からメールが入っていた。
<三枝先輩がお前に文句言いに行くって>と他人事のような本文だ。その下には、ベロベロに酔っ払ってるから気を付けろよ、と書かれていた。

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