うんめいのひと


 同じゼミの女の子に「当たるから行こうよ!!」とかなり無理やり連れてこられた占い屋で、開口一番、こう言われた。
「あなた、あと2時間後に運命の人と出会いますよ」
 一体、何がなんだか分からないし、占いなんて全く信じちゃいないから、俺は「……はぁ」と気の抜けた返事をしてしまい、占い師を激怒させた。
「あなた、私の言っていること、信じられないわけ!?」
「……そんな初対面の人、信じられるわけないでしょ」
「じゃー、何で占なんかに来たのよ!!」
 占い師の言うとおりだった。俺は仕方なく、今日のゼミで隣に座っていた女の子が占いの話をしていて、香田君って占いとか興味ある〜? って聞かれ、興味ないって答えたのに無理やり連れてこられたことを、簡潔に説明した。机を挟んで対面にいる占い師は、くすくすと笑って「そぉなのー」となぜか嬉しそうな声を出していた。見た目にしても、声にしても、完全な男なのに格好と口調は女っぽいから、はっきり言って気色悪かった。
「信じようが信じまいが、全てはあなた次第。今日の午後4時ぐらいね。運命の人と、出会うわよ」
「運命の人、ねぇ」
 俺は完全に信じていなかった。何が運命の人なのか知らないが、別に俺は彼女なんて要らないし、作ろうとも思わない。そりゃ、居たほうが楽しいキャンパスライフを送れるんだろうけど、貧乏苦学生にそんな余裕はなしってことで、あんまり気にしていなかった。
 話も終わって外へ出ると、同じゼミの子が「どうだった!?」と目をキラキラさせて見つめてくる。運命の人と出会うんだってーなんて、乙女なことは言えない。
「ん、特に何も無かったよ」
「へぇー、そうなんだぁ。あたし達、これからケーキバイキング行こうと思ってるんだけど、香田君も行くー?」
 頭の中にいろんなケーキがよぎったけれど、この占いすら奢って貰った状態の俺に、ケーキバイキングに行く余裕なんかなくて、「いや、いいや」と断る。本当は物凄く行きたいけど、金ないし、大学へ戻らなきゃいけないから、女の子たちとはその場で別れて来た道を戻る。夏は絶好調に加速していて、はっきり言うと歩いているだけでうっとうしくなるぐらい暑い。大学の図書館で勉強をして、涼もうと思っていた。俺の家には、扇風機すら、ないし。
 涼しくなることを考えながら、図書館へと向かう。涼しくなることを考えていても、暑いもんは暑いし、かなり冷えている図書館の中に入ったら、とても気持ちよかった。
 もう、俺の頭の中から、占い師の言葉なんて消え去っていた。
 窓際の一番奥の席が空いていたから、そこに座って息を吐き出す。さすがに1時間近く歩いたのはとても疲れたし、行きは電車を使った。歩いて帰れる距離だったから良かったものの、無駄なお金は一銭も使いたくなかった。ため息ばかりが、口から零れる。勉強するためにここへ来たと言うのに、昨日、遅くまでバイトしていたせいかとても眠たい。机に突っ伏して完全に寝入っていると、空から何かが降ってきた。
 バサバサバサバサ。
 その音とともに、頭に衝撃。目が覚めて顔を上げると、俺の周りには教科書やら辞典やら転がっていて、あとからジンジンと痛みが襲ってきた。寝起きにこんな状態。何がなんだか、分からなかった。
「あ、大丈夫?」
 他人事のような声が聞こえて、俺は顔を上げた。携帯を片手に持ち、茶髪で耳にピアスじゃんじゃんつけて、チャラチャラとした俺が大嫌いなタイプの男が隣に立っていた。
「……は? 何が?」
 見た目からして仲良くなれないと思った俺は、容赦なく低い声で尋ねる。チャラチャラとした奴は、笑いながら「だからー、それ、落としたの俺だからさぁ」と、イライラするぐらい語尾を伸ばして話す。話し方ばかり気が行ってしまい、このクソ野郎が俺の頭の上に教材を落としたなんて聞き逃していた。
「大丈夫かなぁーって思って」
「大丈夫だよ!」
「つーか、中学生が大学のキャンバスにいるってどういうことー?」
 その一言に、俺はブチギレた。
「中学生じゃねぇよ!!!!」
「え、違うの? じゃぁ、高校生?」
「ちげーよ、バカ!! お前の目、節穴か!? こんなところにいんだから、大学生に決まってんだろうが!」
 怒りをぶつけるように、大声を出すと、図書館に居た人全員が俺達を見る。居た堪れない視線に俺は俯き、クソ野郎は「目立っちゃったねぇ」と笑っている。挙句の果てに、司書までやってきて、「静かに出来ないなら、出てってください」と笑顔で言われ、俺は大人しく外へ出た。もっと涼んでから帰る予定だったのに、クソ野郎のせいで台無しだ。はぁとため息を吐いて時計を見ると、丁度4時15分をすぎたぐらいだった。
 今日の午後4時ぐらいね。運命の人と、出会うわよ。
 占い師の言葉を思い出す。瞬時に頭をよぎったのは、あのチャラチャラとしたクソ野郎だった。でも、図書館の中にはいろんな人がいたし、もしかしたら、あの司書さんかもしれない。あんなチャラチャラとしたクソ野郎が、俺の運命の人だなんてありえない。ましてや、俺は、男だ! そう決め付けて、家に帰ろうと出口へ歩き出したところで、「待って待ってー!」と叫び声が聞こえた。俺に話しかけられているなんて思わないから、足は止めない。
「待って! そこの中学生待って!!」
 その言い方は、聞き覚えがあった。そう、今から約10分ほど前の出来事だ。確かに俺は、そこらの男に比べて背が低い。それは認める。そんでもって童顔だ。それも認めよう。けれども、俺は先ほど、中学生であることも、高校生であることも否定したのだ。それなのに、もう一度中学生って言うのはどうだ? そんなに俺を怒らせたいのか!?
「ちげぇって言ってんだろうが!!!!」
 振り向きざまに怒鳴ると、クソ野郎は「やっと振り向いてくれたー」と笑っている。何が笑えるのか知らないけど、俺は全く笑えない。1日に2回も中学生だなんて言われれば、機嫌だって最高潮に悪くなる。
「待ってって言ったのに、待ってくれないし。教材と辞書、頭の上に落しちゃったからさ。お詫びしたいんだけど」
「……は? 俺の眠り邪魔したの、お前かよ」
「さっき言ったじゃーん」
 クソ野郎は悪びれる様子もなく、へらへらと笑っている。これが、頭の上に辞書や教材を落としてしまった奴の態度なんだろうか。なんか、見ているだけでイライラしてきた。こんな奴が運命の人だなんて、絶対にあり得ない。ってことで、俺の運命の人は勝手に司書さんに決まった。
「ね、せめてものお詫びになんか奢らせてよ」
「要らない」
「いーじゃんいーじゃん」
 どこが良いのか全く分からないけれど、クソ野郎は俺の腕を掴んで歩き始める。身勝手な行動に苛立ち、俺は「離せ!」と叫んで手を振り払った。バイトだってあるんだ。奢る前にちゃんと謝るってのが、筋ってもんだろう。
「ごめんなさいは!?」
「……え?」
「人に悪いことをしたと思ったら、まず、ちゃんと謝るのが先だろ!」
 怒り任せに大声を出したせいか、人ががやがやと俺達を見て何か喋っている。凄く恥ずかしいことをしてるみたいだけど、謝らないと俺の気も済まない。クソ野郎は唖然としてから、少しだけ笑って「ごめんなさい」としっかり謝った。
「ってことで、お詫びに奢らせてね」
「バイトあるから無理!」
 クソ野郎の誘いを一刀両断して、俺は出口に向かった。謝りさえすれば、もう俺はあんなクソ野郎と関わりたくない。悪かった機嫌も少しずつよくなったとき、ポケットの中に入っている携帯が震えた。ものっそい、嫌な予感がする。ポケットの中から携帯を取り出すと、着信は「バイト先(工事現場)」と書かれている。今日行く予定だった、バイト先だ。
「も、もしもし……」
 通話ボタンを押して、受話器を耳に当てる。遠くから人の話し声が入ってきて、それから主任の野太い声が聞こえてきた。
『あー、香田君? 今日ねー、作業なくなっちゃったから休みねー』
 主任はそれだけ言うと、俺の言葉も無視して電話を切ってしまう。割の良い仕事だっただけに、ショックは計り知れない。意気消沈して、とぼとぼ歩いていると「ねーえー!」とあのクソ野郎の声が聞こえた。俺は振り向かずに、幻聴だと思ってそれを無視する。
「バイト、何時から? コーヒーでも紅茶でも何でも奢るからさぁー」
 背後から話しかけている様で声が近い。仕方なく振り返ってクソ野郎を見上げると、相変わらずヘラヘラ笑って俺を見下ろしている。俺の背が低いってこともあるんだろうけど、コイツの背も無駄に高いから見上げていると首が疲れた。
「要らないって言ってんだろ」
「そういうの、よろしくないと思うんだよね。さすがに頭に辞書の角、ぶつけちゃったのは物凄く悪いと思ってるし。ね、バイトまでで良いからさ」
 あんまりにもしつこいので、ケーキバイキングを奢ってもらうことにした。女の子達がケーキバイキングに誘ってくれたのにいけなかったのは、ちょっとショックだったし。ムカつくからケーキいっぱい食ってやろうと思った。
 野郎二人で、ケーキバイキングに行くことが、どれほど恥ずかしいことかも知らずに。
 クソ野郎は俺の要望に対して「いいよいいよー」と笑っていたけど、俺は店の入り口で固まってしまった。順番待ちしている女の子、女の子、女の子……。おっそろしいぐらい女の子ばかりで、はっきり言ってドン引きだ。けれども、来てしまった以上、逃げ出すこともできずに俺は順番を待つ。クソ野郎は普通な顔をして、座っていた。
「ケーキ、好きなのー?」
「……人並みに」
「人並みってどんぐらいだよ。こんなところ来ちゃうんだから、相当好きなんでしょー」
 このタラタラ伸ばした喋り方が一番気に食わなかった。常時、携帯は片手から離さず、俺に話し掛けているときですら弄くっていた。そんなに携帯が好きなら、俺に詫び何か入れなくて良いから携帯で遊んでいれば良いと思った。はっきり言って、関わってほしくない。
 それでもケーキバイキングを奢ってくれるので、文句は言わなかった。並ぶこと30分でようやく、席に案内される。そんときにはもう、女の子ばっかりだとか、野郎二人で空しいだとかは思わなかった。トレイに並んでいるケーキを見つめて、俺は涎が出そうになるのを堪えていた。
 皿にありったけのケーキを乗せて席へ戻ると、クソ野郎はコーヒーを飲みながら携帯を弄っていた。ケーキを取りに行かないのかと目で訴えると「俺のことは気にしないで食べて」と言われて、俺は大人しくケーキを食べ始める。口に広がる砂糖の甘み。ここのケーキバイキングは美味いと有名なだけあって、頬が溶けそうなぐらい美味かった。俺はクソ野郎なんて気にせずに、目の前のケーキを味わいながら食べていた。
 最後の1個が終わって、取りに行こうと立ちあがったところで、クスクスと笑い声が聞こえた。
「ケーキ、かなり好きでしょ」
 皿を持って立ちあがっている俺を見て、クソ野郎が笑っている。何で笑っているのか分からなくて、俺は怪訝な顔をしてクソ野郎を見ていた。
「そんな楽しそうにケーキ食ってる奴、初めて見た。奢り甲斐あるから、いっぱい食べてね」
 クソ野郎はそう言って俺に笑顔を向けた。言われなくても奢ってもらうなら、俺はいっぱい食べる気満々だ。ケーキバイキングなんて1年に1回来れるかどうかの希少価値。ましてや、人に奢ってもらえるなんて思っても居なかった事態だ。
 背を向けて俺はケーキが並んでいるエリアへと移動する。女の子たちが「カロリーやっばぁーい」とか言ってたけど、カロリーなんて気にしていたら、ケーキなんて食えないと思った。まぁ、俺自身、貧乏すぎてご飯も満足に食べれない日があったりするから、カロリーはむしろ取りたいほうだ。
 1時間のケーキバイキングで腹いっぱいケーキを食べた俺に対し、クソ野郎はケーキを1個も食べなかった。ずーっと携帯を弄りながら、コーヒーを2、3杯飲んでいた。
「なーんだかんだ言って、良い時間になっちゃったなぁ。腹、減ってないよねぇ」
「減ってないな」
 先ほどまでケーキを腹いっぱい食べていたんだ。腹が減っているわけなんてない。それなのにクソ野郎は「俺、腹減っちゃったから、居酒屋行こう」と言って歩き始めてしまう。なんて自己中な奴なんだ。そう思ったのに、俺は仕方なく、クソ野郎と一緒にちょっと早めの夕食をすることになってしまった。もちろん、ここの会計もクソ野郎が払う。入って早々、俺だけ身分書の提示を求められ、車の運転免許所を取りだした。この前20歳になったから、引き止められることは無かったけれど、店員が不審な目で俺を見ていたのはムカついた。
「お酒は飲めるの?」
「……ある程度は」
「あ、でもこの後バイトか」
 バイトがあると言って休みになったことを説明してなかったせいで、クソ野郎は俺がこの後バイトに行くと思っているようだ。それで抜けだすことも出来たんだけど、俺は素直に「休みになったと」と言ってしまった。俺の返答に、クソ野郎はにっこり笑った。
「よし、じゃー、生二つ頼もう!」
 そう言ってクソ野郎はメニューを見ながら、適当に頼みやがった。腹はいっぱいだったし、食べたいものなんてあんまり無かったけど、俺の意見総無視して勝手に頼まれたのは腹が立った。
「じゃー、かんぱーい」
 クソ野郎は楽しそうにジョッキをぶつけてゴクゴクと飲み始める。俺もそれを見ながら、ちびちびとビールを口に入れた。この苦い飲み物はあんまり好きじゃなくて、ペースはあまり早くなかった。
「そう言えば、自己紹介してなかったね。俺は、中橋基也。君は?」
「香田愁」
「愁って言うんだ。名前で呼んでも良いー?」
 なんて馴れ馴れしい奴なんだと思った。けど、断る理由も無くて、俺は「別に良いけど」とぶっきら棒に答えてビールを飲みこんだ。中橋と言うらしいが、俺の頭の中ではクソ野郎で定着しているから呼び方を変えるつもりなんて更々なかった。
「あれ、あんまり飲んでないけど、もしかしてビール苦手?」
 クソ野郎がジョッキ1杯を飲みほしたところで、俺は丁度4分の1を飲み終わったぐらいだった。同級生や他の人と飲みになんて来たことが無いから、みんながどんなペースで飲むのか知らないけど、クソ野郎は無性に早かった気がする。来てから、10分も経っていない。
「……あんまり」
「甘いの好きな子って、ビール苦手だったりするもんね。俺、それ飲むから、愁は好きなの飲みなよ」
 と言って、クソ野郎は俺の前に置いてあるビールを奪い取って行った。今日、知り合ったばかりなのに呼び捨てかよ、この野郎と思った。馴れ馴れしいどころじゃない。
「何でも、飲んで良いからさ」
 クソ野郎はそう言って笑うと、飲みかけのビールジョッキを掴んで飲み干す勢いで飲んでいた。もしかしたら、甘いの嫌いだったのかもしれない。俺に辞書をぶつけてしまった程度で、こんなことをするんだろうか。そんなことを考えながらも「奢ってもらえる時は奢ってもらえ」と俺の頭の中で誰かが言っていたから、高そうな酒ばかり頼んでやった。辞書をぶつけられて、図書館から追い出された恨みは根強い。
 3時間ほどクソ野郎はガンガン飲み食いして、俺は時たま自分が好きそうなのを摘んで酒ばかり飲んでいた。普段、あまり酒を飲まないせいか、かなり酔っ払いかけていた。目の前がぐるぐると回っていて、クソ野郎が何を言っているのか理解すらしようとしていなかった。
「……えっと、大丈夫?」
「だいじょーぶだよ」
 店を出てすぐにクソ野郎が心配そうに俺の顔を覗きこんできた。チャラチャラとしていて、耳にはピアスがいっぱいついていて、俺の大嫌いなタイプではあるが顔はそこそこ整っていた。さぞかし、モテるんだろうなと思ったら、また怒りが込み上がってきた。
「まっすぐ歩けてなくね?」
「帰れればもんらいない」
「ああ、舌まで回ってない。家、どこ? 送っていくよ」
「いらん」
 心配してくれてるのは嬉しいことだけど、これ以上関わりたくないと思って、俺はクソ野郎の制止を振り切って歩き始める。酔っ払っているせいか、足元はふらつくし、前に何があるかなんてあんまり見ていなかったと思う。気付いたら、道路の脇にある植木に突っ込んでこけていた。
「いたっ!!」
「ほらー、大丈夫じゃないじゃん」
 見事に上半身を植木に突っ込ませた俺の体を持ち上げて、クソ野郎がくっついた葉っぱとかを払い落してくれる。見た目と違って面倒見が良い。しゃがんでいるクソ野郎は俺を見上げて、再度「大丈夫?」と尋ねた。
「らいじょーぶだって、言ってんだろ」
 何度も同じことを聞いてくるクソ野郎に嫌気が差して、俺は苛立ちながら答えると、さすがにクソ野郎もムカついたのか心配そうな顔から一変して、眉を吊り上げた。
「大丈夫じゃないでしょ! 強がらなくても良いよ。一人で家に帰れるわけない。送るから、家を教えて」
「イヤだ!」
 逆ギレしてきたクソ野郎に、俺はキレ返す。二人揃って、道路のど真ん中で言い合ってる姿ははっきり言って酔っ払いがケンカしているとでも思われたんだろう。通りすがる人たちが、じろじろと俺を見つめていた。
 何でクソ野郎に対して怒ってるのか、怒る原因がありすぎて俺はよく分かっていなかった。
「じゃ、とりあえず、そこの公園で休んで行こう。酔い、覚まさないと」
 食い下がらない俺を見て、家に送っていくことは諦めたのか、クソ野郎は俺の腕を引っ張って歩き始めた。近くにある公園のブランコに俺を座らせると、クソ野郎はどこかへ消えてしまった。一人、暗い公園に一人ぼっちにされ、俺は空を見上げた。足で地面を蹴って、ブランコを揺らす。キーキーと甲高い音を立てて、鎖が唸る。景色が一気に、後ろへ流れた。
 ゴツンと大きい音が脳内に鳴り響いた。上を見つめすぎていたせいか、体重が後ろにかかりすぎてそのまま転んでしまったようだ。後頭部を殴打して起き上ったと同時に、ブランコが俺の顔面に向かって突撃してきた。
「っ!!!」
 鼻に、ブランコがぶつかる。あまりの痛みに、酔いなんか吹っ飛んだ。鼻を押さえて蹲っていると「何してんの!?」と大声が聞えた。
「少し目を離したら、ブランコから落ちるなんて……。どんだけドジなんだよ」
「……うるせぇ」
 駆け寄ってきたクソ野郎は、片手にペットボトルを持っていて、俺の隣にしゃがみこむと鼻にペットボトルを当てた。ツンと冷たいのがジンジンとしている鼻の温度を下げてくれて、少し心地いい。どっかに消えたと思ったら、飲み物を買ってきてくれたのか。ちょっとだけクソ野郎を見なおした。
 あまりの心地よさに、俺は眠たくなってきて目を瞑った。ペットボトルが鼻から離れて、目を開けるとクソ野郎の顔が間近にあった。
「……え」
 後頭部を押さえられて、唇が触れあう。何をされているかなんて、考えなくても分かるはずなのに、俺は分かっていなかった。熱い唇が、俺の呼吸すらも奪っているようで、息苦しかった。
「中学生に悪いことしてる気分だな。でも、誘ってきたのは愁だから」
 唇を離すと、クソ野郎がそう言って自嘲気味に笑う。俺は茫然としていて、中学生って言われたことすら気付いていない。
「ずっと前から、好きだった。まぁ、一目ぼれ何だけどね」
 そう言ってクソ野郎は俺の体を抱きしめた。ようやくこの辺で、思考回路も動き始めてきて、好きだと言われたことや中学生と言われたこと、そしてキスされたことが頭の中に巡った。突然やってきた膨大な情報に、俺の脳内はパンクしそうだ。
「……な」
「今日、図書館で寝てるから、顔を覗きこもうと思って屈んだら、教材が落ちちゃったんだよね。でも、これもきっかけだと思ってさ。なんか一つでも良いから、きっかけ作りたかった」
 俺を抱きしめている力が強くなる。俺の心拍数は上昇を続けていて、このまま心臓がパンクしてしまうのではないかと思った。ドキドキとしている鼓動が、クソ野郎に聞えていないか心配だ。
 なんで俺は恥ずかしがっているんだろう。分からない。
「友達からでも良い。俺と、仲良くしてくれないかな?」
 クソ野郎が離れて、俺の顔を覗きこんだ。クソ野郎の顔も、ちょっと赤くなって照れ臭そうだった。
 ふいに、頭の中に占い師の言葉が過ぎる。

 こんな奴が運命の人だと? 笑わせるな。

 じゃあなんで、俺の鼓動は鳴りやまないんだろう。


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