ずっとなんてあり得ない


「殺したくなるほど、人を憎んだことってある?」
 そんな何気ない質問に、ないです、と答えて笑みを浮かべた。実際、そう思ったことは一度だけあって、その理由を言うことが出来ず、ないと答えた。


 俺のことを、好きだと言った奴が居た。そいつに対して興味も何も持ち合わせていなかったけれど、好きだと言われてしまったら意識をしてしまうのが人間の心理であって、その日から気になって仕方が無かった。返事を保留にしていたこともあって、俺はそいつに「付き合ってみてもいいかも」と適当な答えを返した。それから、ヤツは俺に対して優しく壊れ物を扱うかのように繊細な手つきで触れていた。
「ずっと、好きでいるよ。ずっと」
 そんな言葉を耳元で囁かれるたびに、俺はどこか安心感を得ていた。裏切ることすら思いつかず、言う通り、コイツは俺のことをずっと好きでいるのだろうと確証もないのに決めつけていた。
 そんなある日のことだ。そいつが他の女と歩いているところを見てしまった。ただの友達なんだろうかと思っていたが、どうも様子が可笑しい。そう思って後を付けてみると、安くてショボイラブホテルへと入って行った。この時、俺はなぜか「こんなショボイ所に連れ込まれる女もダセェな」と負け惜しみにも近い言葉を吐いて、ラブホテルに背を向けた。
 まだ、浮気されてるなんて、考えても無かった。
 だって、俺のことをずっと好きでいるって言ったんだ。男を抱くことに飽きてしまったから、味見程度で女に手を出したと思ってた。そりゃ、たまには柔らかいおっぱいでも揉みたいんだろうなとか、必死に自分を慰めていた。
 けど、日に日に、連絡が無くなってくることに、不安を覚えた。毎日、鬱陶しいほどに送ってきたメールだって週に1回あるかないかになってしまい、携帯を見つめている自分を見て情けないと思った。
 でも、俺の心の中で、いつでも「ずっと好きでいるよ」と言う言葉が支えになっていて、それがあるから、現実が見えていなかった。
「新しい彼女が出来たんだって。いーよなぁー」
 そんな噂話を食堂でされた。目の前にいる同僚は、羨ましそうな目線をそいつに向けて、はぁとため息を吐いた。
「……え、誰に?」
「あれ、お前しらねーの? 仲良かったじゃん。中沢だよ、な、か、ざ、わ」
 ガチャンとカレーの上にスプーンを落としてしまった。ルーの上に乗っかってしまったスプーンは、盛大にルーを跳ねさせてスーツに思いっきりカレーがこびりついてしまった。同僚はそんな俺に、「何してんだよ」と笑って紙ナプキンを手渡してくれた。
「そうなんだ?」
 動揺しているのを隠すように、俺は同僚に話しかける。
「知らなかったんだ。いがーい。経理の女の子だって。超、有名な話だよ」
 落としてしまったスプーンを拾い上げて、俺はもらった紙ナプキンでスプーンを拭う。ルーはすでに落ちたはずなのに、俺は何も考えない様、必死にスプーンを磨いていた。決定的な言葉を言われてしまった。どうして、こんなことになってしまったのか、この時の俺はさっぱり分かっちゃいなかった。
 俺の何が悪かったのか。浮気されたことが分かると、すぐに俺はそう考えた。俺に何も悪いところは無い。だって、ずっと好きでいると言ったやつが、ちょっとぐらいイヤなことをしたからって嫌いになったりしないと思っていた。人間の思いなんて、確信は無くて移り変わりやすいと知っていても、振るのは俺の方だと思っていた。
 連絡も来なくなると、ついに終わったかなと悟り始める。怒りの矛先は、相手ではなく、俺から奴を奪い取った経理の女の子に向けられた。このクソ女が、誑かしたんだって。
 嫉妬に狂った女は醜いと言うけれど、嫉妬に狂う男の方がもっと醜かった。「ずっと好きでいる」と言う言葉に取り憑かれて離れられなくなっていた。
「もう、やめてくれ」
 ある日のこと、俺は恋人だった奴にそう言われた。何が何だか分からなくて、「何がだよ」と聞いてみたら、「俺達、結婚しようと思ってるんだ。だから、アイツに嫌がらせとかするのは……、やめてほしい。俺もしっかり言わなかったのは悪かった。だから……」と言って、そいつはいきなり椅子から立ち上がると、俺の前で土下座した。ずっと好きでいるよと言った言葉はどこへ行ってしまったのだろうかと考えて、何度も床に額を擦りつけているそいつには目すら向けなかった。
 悔しかったのかもしれない。それ以上に、俺はいつまであんな不確定な言葉を信じているつもりだったのだろうかと、自分の考えが狂っていたことに気付いた。
「……ごめんな」
 不格好な笑みでそう言って、俺はレストランから出て行った。悲しかったはずなのに、涙も出なかったし、秋の風が酷く冷たかったことだけが印象的だった。
 それから、俺は人を信じたりなんかしないと、心に誓った。


「好きな人に振り向いてもらえないってどうしたら良いかな?」
「……アナタが死ねば、問題ないんじゃないんですかね」
「冷たい! けど、そんなところが大好き!!」
 あれから2年後、俺の前に鬱陶しい男が現れるようになった。相手は取引先の営業で、名前は大沢。何でこうも好かれてしまったのか、俺には分からない。毎日毎日、うちの会社の前で待ち伏せされて、無理やり飯を食いに行かされる。好きだと言われたのは随分前のことだけれど、それがいつだったのか、俺は思い出せなかった。なんせ、毎日のように告白されているからだ。好きだと言う奴を信じられないのは、この前結婚した中沢のせいだ。名字も似ているから、俺は余計に大沢のことを信じられなかった。
「これ、飲んだら帰ります」
「うっそぉ。まだ早いでしょ。ねーねー、今日は金曜日だしさー、2件目行こうよ。ね? ね?」
「鬱陶しいです。死んでください」
 腕を掴まれて身動きが取れなくなってしまい、俺は諦めたように息を吐いた。大沢は取引先の営業だから、一応、礼儀は尽くしているけれど思いに答える必要はない。1件、ご飯に付き合えば満足するかと思ってけれど、強欲だからそれじゃ満足しなかったようだ。綺麗にセットされた黒髪が揺れる。
「俺の何が不満?」
 大沢はテーブルに肘をついて、手の甲に顎を乗せ、ほんのり笑みを浮かべて俺を見つめる。
「……はい?」
「イヤなところがあるなら、直すよ。だからさ、俺のこと好きになってよ」
 珍しく真面目な顔をしてそんなことを言うから、余計に苛立った。言い方も、中沢と少し似ている。それがイヤだから、気持ちには応えられない。いや、応えたくなかった。
「直しても……、好きになるなんて分かりません。俺のことは諦めてください」
「イヤだよ。だって、木原君はどこか放っておけないんだもん。こうして、俺がご飯に連れて行かないと、ご飯も食べなさそうだし」
「子供じゃないんですから、そのぐらい、自分でできます」
 まるで何も出来ない子供のように言うから、腹が立った。本当は一緒にご飯なんか食べたくもないのに、わざわざ時間を割いて一緒に食べにきてやってるのだって、大沢が取引先だからだ。何もなかったら、誘われる前に逃げ出してやってる。ちょっと顔が良いからって、その気持ちに応えてもらえると思っているところも酷く腹立った。
「どうして、そんなに俺のことを邪険にするかなぁ。別に木原君はノンケってわけじゃないんでしょ? その辺のリサーチはしっかりしてきたからなぁ」
「自分のことが気持ち悪いとか思ったことありませんか?」
「うーん、無いね」
 考えてもいないのに、大沢は考えたふりをしてから答えた。そんなところも大嫌いで、見ているだけで鬱陶しくなってくる。きっと、大沢は今まで恋愛で苦労してきたことなど無いんだろう。だから、自分に自信がある。好きだと言えば、相手も同じ返事をしてくれると思いこんでいるんだ。
「男だろうが女だろうが、俺のことを気持ち悪いなんて言うの木原君ぐらいだよ。落としにくい子ほど、燃えるもんは無いね」
「……へぇ、じゃぁ、俺があっさり好きですよって言えば諦めてくれますか?」
「なわけないでしょ。木原君が好きって言ってくれたら、俺、嬉しくて舞い上がっちゃうからなぁ」
 舞い上がりたかったら勝手に舞い上がってくれればいいと思ったけど、喜ばせるのも癪なので、大沢を無視してコップに注がれている水を飲みほした。どう言う理由か分からないけれど、金曜日だからと言っていつもよりちょっと高級なレストランへ連れてこられた。個室で俺達の会話は周りに聞えていないけれど、どこかそわそわしてしまって一刻でも早くこの場から出たかった。それなのに、大沢は赤ワインをもう一本追加して、長居する気満々だ。大手の会社に働いている営業マンは違うなと、僻んだ考えを持ってしまった。
「木原君、今年で何歳?」
「……今年で26歳ですけど」
「あぁ、俺の一個下か。まぁ、知ってたけど」
 ニコニコと笑っている大沢を見て、眉間に皺が寄ってしまった。どうして大沢が俺のことを好きになったのか分からないけど、初めて仕事以外で顔を合わせた時、大沢は俺のことを知りつくしていた。俺が、中沢と付き合っていたことも、そして、嫉妬から中沢の彼女に嫌がらせをしていたことも。その話に触れることはないけど、昔の話を知ってる奴と顔を合わせたくもない。中沢のことは忘れたい記憶の一つだった。
「……なんで、そんなこと知ってるんですか。本当に気持ち悪いですよ」
「何でって……。そりゃ、好きな人のことは何でも知りたいでしょ。俺は木原君のことを知りたいから、自分の権力使って色々と調べたの」
「へー、世間ではそう言うのストーカーって言うんですよね」
 冷めた目でそう言うと、大沢はワインを片手に持って苦笑いしながら「手厳しいな」と言った。
「まぁ、でもさ。俺は木原君の口から木原君のことを聞きたいんだ」
「大沢さんに話すことなんて、一つもありません」
「連れないことを言うなよ。ね、今日はこんな俺を憐れんで、もう一件付き合う気にならない?」
 こう言われたことも何度目になるのか分からない。結局のところ、しつこく誘う大沢に俺が折れて2件目や3件目に付き合わされるのだが、今日は何となく折れたくなかった。
「イヤです」
「よし、行こう! 今日はこの不景気を吹っ飛ばすようにガンガン飲もう! 決定だ!」
「ちょ、あんた! 人の話きーてんのかよ!!」
 あまりにも自己中過ぎる考えに、俺はつい、本音をぶちまけてしまった。立ち上がった大沢はにっと笑って「俺は自分に都合の良いことしか聞いてないよ」と言って、俺の腕を引っ張ってレストランから出て行った。コイツに文句を言うことすら、無駄じゃないかと、頭の中で誰かが俺にそう訴えていた。
 2件目に連れて行かれた場所は、またもや個室で、大沢は先ほど大声で言った通り、ガンガン飲んでいた。それに付き合わされた俺は、程よく酔ってしまって、背もたれに体を預けながらちびちびとビールを飲んでいた。
「木原君、結構飲めるね」
「……え、あ、そうですか?」
 締めているネクタイが苦しくなって、ちょっと緩めていると、大沢はジョッキを片手に苦笑いしている。なんでそうも笑っていられるのか分からなくて、俺は大沢を見ながら眉間に皺を寄せていた。
「イヤなこと、あった?」
「……は?」
「いつもより、今日は口調が厳しいように聞えたから。……まぁ、木原君が俺に厳しいのはいつものことだけどさ。今日は言葉にとげがあった」
 大沢が立ちあがって、俺の隣に座る。いつもだったらそれにすら嫌悪を覚えるはずなのに、酔っているせいかイヤだとは思わなかった。イヤなことがあったなんて、昔の話だけど、この前結婚式に行ってからそれを思い出してしまって苦しいのが本音だった。
「聞くよ」
「……何を」
「イヤなことがあった日は、人にぶちまけた方が良い。生憎、俺は木原君の近くに居るわけでもないし、俺はただ木原君のことを好きな取引先の営業だ。話しやすいと思わない?」
 ゆっくりと頭を撫でられて、奥歯を噛みしめた。優しくされるのは、嫌いだ。
「……思いません」
「相変わらず、素気ないな。でも、そんなところも好きなんだから、恋って怖いよね」
 耳を掠める言葉が、いつもとは違った。こんなにも優しく切なそうに語る大沢は初めてで、聞いている俺までその気持ちが移りそうになった。でも、ダメだ。いつまでもいつまでも、俺の頭の中で「ずっと好きでいるよ」と言う言葉が足かせになって、身動きが取れない。
 それに、もう誰も人を信じないって決めたから、大沢なんて信じることは出来なかった。
「好きだよ、木原君」
 愛しむ様な甘い声で、大沢は囁く。
「俺は嫌いです。近寄らないでください」
 その言葉全てを否定するように、俺ははっきりと答えた。目も合わさずに言うと、近くから笑い声が聞こえた。
「そうやって、誰も寄せ付けないのは、過去のせい?」
 カッとなって俺は顔を上げる。大沢は表情を変えずに、仄かに微笑んだまま、俺を見つめていた。頭を撫でている手を振り払って、俺はカバンを持って立ち上がる。
「退いてください。帰ります」
「怒ったってことは、図星だよね。……酷いことをされたのは知ってるけど、君も随分と酷いことをしてたみたいじゃないか」
「分かったようなことを言うな!」
 伸ばされた手を振り払うと、一緒にジョッキまで払ってしまいテーブルからジョッキが転がって床で砕けた。バリンと大きい音が響いて、一瞬、場が静かになった。
「帰ります。……もう二度と、俺に話しかけてこないでください」
「……俺はいつでも、君のこと好きで居るよ」
「俺の過去を知りながら、そんなことよく軽々しく口にしますね。人の思いに永遠なんて絶対にない。だから、ずっとなんて言わないでください」
 その言葉に大沢はなぜか笑っていたけど、俺は一人キレながら、居酒屋を後にした。外に出ると冬の冷たい風が吹いて寒かったけれど、酔った体を覚ましてくれて気持ちよかった。
 ムカついてはいたけれど、悪酔いにはならなかった。


「木原さーん。東洋設備の大沢さんからお電話です」
「……居ないって言って」
 あれから1週間後、大沢から何の音沙汰もなく喜んでいた俺だったが、それをぶち壊しにするような電話がかかってきた。事務の子は苦笑いで「分かりました」と言い、電話で今は〜と俺が不在のことを伝えているが「え、あ、……はぁ」と困った顔をして、俺を見ていた。
 そして、もう一度、電話を保留にして「居るのは分かってるんだよ。変わりなさい、って、言われましたー」と何とも呑気な声でそう言った。居るのは分かっていると言われてしまっては出ないわけにもいかず、俺は点滅しているボタンを押して受話器を取った。
「はい、お電話代わりました。木原です」
『やぁ、木原君。今日は予定空いてるよね? なんてったって、俺とデートをする金曜日なんだから』
 いつから俺の金曜日はそんな日になったのか分からず、俺は無表情で返答する。本当は怒りを顔に出したかったが、会社の中なので出せない。
「……空いてません」
『ウソは良くないよ、ウソは。今日も5時に、下で待ってるから』
「……東洋設備さんはお暇なんですねぇ。うちみたいな中企業は5時に仕事など終わりません」
『待ってるから。じゃぁね』
 相変わらず、人の話を聞かない大沢はそれだけ言うと電話を切った。いつもみたいに自信満々だったけれど、最後だけちょっとその自信が失われているようで気になってしまった。信じないと決めた以上、そんな寂しそうな声も大沢の戦略の一つだと思って無視することにした。仕事が忙しいのは、本当のことだ。5時になっても、仕事が終わることは無かった。
 クレームやら、トラブルやらで、仕事が終わったのは日付が回ってからだった。帰るときに、大沢のことを思い出したけれど、約束の時間から7時間経っている。絶対に待ってないと思って、裏口から外に出た。
 今日は今年一番の寒さだとか言って、未明には雪が降るかもしれないとかテレビで言っていた通り、外は雪がちらついていた。街灯に照らされて、雪がはらはらと舞っているのを見上げて息を吐きだした。水蒸気に変わった吐息が、いつもより長めに佇んで暗闇に消えた。
「忙しいのは、本当だったんだね」
 背後から聞き慣れた声が聞こえて、俺は振り向く。頭に雪を乗せた大沢が、俺の顔を見て「……良かった」と言って笑った。何が何だか分からない俺は、唖然としたまま、大沢を見つめていた。
「この前は酔った勢いで言いすぎたかなとか、思ってて。今日、電話するとき久しぶりに緊張したよ」
 大沢は俺に近づいて、頭に積りそうになっている雪を払う。そして、自分の首に巻いていたマフラーを取ると、俺の首にそれを巻き付けた。その時触れた指がとても冷たくて、俺はハッとする。
「あ、アンタ……、何時間こんなところに居たんだよ!」
「ん、言った通り5時からだよ」
「バカじゃねぇの!? こんなに指冷たくして、頭に雪を積もらせて……。もし、俺が仕事じゃなくて逃げてたとしたら、どうするつもりだったんだよ!」
 何をしているのか、俺には理解が出来なかった。7時間もこんなところで待ってるなんて可笑しい。この前、あんなことがあったんだから、俺が逃げると言うのもあり得る。二度と関わるなって言ったのに、それでも近づいてくる。鬱陶しいこの上ない。
「ここまで健気なことしたら、信じてくれるかな? って。まぁ、それはちょっとウソかも。木原君がウソ吐いてないって信じたかっただけだよ。まぁ、10時過ぎたあたりから、逃げられたかなって思ってたけど。どうしても信じたくて」
 バカと言う言葉の意味が、分からなくなりそうなぐらい、バカだと思った。こんなにも健気なことをしたって、信じられるかどうかは分からない。俺はまだ、大沢のことを信じられないと思う。それでも普通に考えて、人が触れられない部分まで容易に踏みこんでくるところは、壊れ物扱いされなくてどこか清々しかった。
「……久しぶりにバカを通り越してどうしようもない奴を見た」
 額に手を当てて、俺はため息を吐いた。怒るよりも先に、呆れてしまった。
「うわ、辛辣だね。でも、俺に対して本音をぶつけてくれる木原君が大好きだよ」
 にっこりと笑う顔が近づいてくるから、俺は一歩後ずさった。何をしようとしてくるかなんて、考えなくても分かったからだ。今、キスされたら、少し自分の気持ちが揺らめきそうで怖い。
「好きになるのは、怖い?」
「……少なくとも、バカを好きになるつもりはない」
「あはは、そっか。でも、俺は木原君に優しくする気もないし、同情する気もないよ。君を最低な方法でふったあのクソ野郎との違いを、見せてあげる」
 腕を引っ張られて、雪がついた冷たいコートに顔を埋めさせられる。止むことを知らない雪ははらはらと舞って、俺達の体温をドンドンと奪って行く。寒いせいで、思考がはっきりしすぎて頭が爆発しそうになっていた。
「ずっとなんて、愚かなことは言わないよ。俺はいつでも君のことを好きでいる。どんなことがあっても、好きだと言う気持ちには変わりないってことだよ」
「……それが信用なんねーんだよ」
「信じなくて良いよ。俺はそうやって、君を好きでいることに自信を持っていたいだけだから」
 大沢は自信家だと思っていた。俺が好きになると決めつけていて、何事にも自分の行動には自信を持ってひたすら走り続けているのかと、思っていた。今の言葉を聞いて、ちょっとだけその考えが変わった。
 俺の帰りをこんな寒い中待っていることも、いつでも好きだと言って自分に自信を付けさせているのを見ると、思っていたよりも自信家じゃないことが分かる。
「だから、木原君も本当に信じれるまで俺のことなんて信じなくても良いよ。ずっと好きでいるなんて、目標にしか過ぎないんだから」
 そう言われると、中沢のことを信じていた俺を責められているようだった。女に取られたことも、ずっと好きでいると言って裏切られたことも、全部は相手が悪いと決めつけていたのかもしれない。そうすれば、勝手に恨んで嫉妬するなんて、逆恨みも良いところだ。俺は振られたことを、認めたくなかっただけだ。
 好きだと言い続けたやつが、俺のことを嫌いになるなんて、あり得ないと思っていた。本当にあり得ないのは、「ずっと」と言う言葉だった。
「ねぇ、木原君。もう一度、君に聞きたい。殺したくなるほど、人を憎んだことはある?」
「……ありますよ」
「それほど、君は彼のことが好きだったんだね。可哀想に。それを伝えられなかった君が、可哀想だ」
 優しくしないと言っていたのに、それだけが無性に優しく聞えて、涙が出てきた。初めて、俺は中沢に振られたことで涙を流す。一度、涙が出てきたら、それは止まらず俺は嗚咽を上げながら泣きじゃくっていた。
「涙の数だけ強くなれるって言う歌があるけれどさ、それは本当かもね。こうやって、泣いて、人は何かを乗り越えて行くんだよ。木原君」
 俺が泣いていなかったのを悟るかのようにそう言うと、大沢は泣きやむまで俺の頭を撫でてくれていた。
「何でアンタは、俺のことをそんなに知ってるんだよ。気持ち悪い」
「おぉ、相変わらずキツイお言葉。だから、前にも言ったじゃん。調べたって」
「だから、どうやってだよ! 俺は、中沢とのことを誰かに話したことは無いんだって」
 車に連れ込まれて、楽しそうに運転している大沢に詰め寄ると、大沢は苦笑いで「誰って……、そりゃぁ」と俺に目を向けてから、すぐに前を見た。雪はまだ降っていて30分ぐらい会社の前で立っていたから、俺達の頭の上はびしょぬれになっている。車のエアコンが、冷たい体を温めて行く。
「当事者からだよ」
「……はぁ? 当事者? 俺はお前になんか……」
 話したことはないと言いかけて、口を押さえた。当事者と言えば、俺のほかにもう一人いる。そう言えば、この前、中沢は他の部署に異動させられたけど、そのことに関係しているのかと大沢を見る。
「少し脅したら話してくれたよ。そりゃー、いろんなことまで。少しだけ後悔してるようだったけどね。逃げるように、他の女を好きになってしまったことを。まぁ、それすら愚かだと思ったけど」
「……逃げるように? どう言うことだよ」
 自問自答するように俯くと、隣から「なんか、好きすぎる自分が怖くて……、とか言ってたかな」と大沢は首を傾げながら答える。余計に意味が分からなくて、俺はジッと大沢を見つめた。
「元は浮気だったらしい。そしたらまんまとその女にハマってしまったと。バカだよねー。こーんなに可愛い木原君が居ながらも、浮気する理由が分からない。俺、浮気だけは大嫌いだから。そこは信じて良いよ」
「誰が信じるか……」
 信号が赤で車が停止する。夜遅いせいか周りには車が無く、都会だと言うのに静かだった。ギッと椅子が軋む音がして隣を見ると、唇を奪われた。
「……ん!? ちょっ」
「これからどこいこっか。……金曜日だから、暇でしょ」
 悪戯に笑う大沢を見て、俺は手の甲で口元を拭った。
「なんか、木原君もちょっとずつ俺に落ちてきてくれてるみたいだし。この際、俺んちにでも行って愛を確かめちゃう? セックスの時は優しいよ、俺」
「ふ、ふざけんな! 誰がお前になんか……」
「敬語を使ってないところが特にかな。まーいいじゃん。1年もヤってなかったら溜まってるでしょ? さー、いこいこ」
「降ろせー!!」
 俺の叫び声は空しく車内に響くだけで、軽快な笑い声が、抗う俺を嘲笑うように聞えた。大沢は拒んでいる俺を無視して、アクセルを思いっきり踏みこんだ。

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